第99話 3人の男(1)

 ジャンニは扉を叩いた。ライモンド・ロットの邸宅の前だった。警察長官と宮廷執事のピエルフランチェスコ・リッチョが一緒だ。


 正直なところ、リッチョにはついて来てほしくなかった。これから会う相手には腹を割って話してもらう必要があるのに、公爵の執事なんかを連れて行って場を複雑なものにしたくない。


 しかし、リッチョは監視のために同行すると言って譲らなかった。殺人犯を暴くなどというのは嘘であり、隙を突いてジャンニは逃亡しようとするにちがいない、というのがその理由だった。


「奥さん、たびたび押しかけてすまない。こちらにパゴロ・ボンシニョーリっていう、でぶの高慢ちきがお邪魔してないかい?」


「ええ、いらしてます。主人のところに」

 困惑顔のアレッサンドラ。訪問の目的をはかりかねているのだ。夫の見舞いではないことは察しているらしい。


 パゴロは驚いて立ちあがった。その姿は取調室で声を荒げていた評議員とはまるで別人だ。顔は憔悴し、胴衣の下からしわくちゃのシャツと腹の肉が出ている。


「やあ、パゴロさん。おれを覚えてるかい? ジャンニ・モレッリってもんだけど」


 公爵の執事と警察長官を交互に見やってから、パゴロはやっとジャンニに気づいた。


「八人委員会はもう賊を捕らえたのか?」

「まだだ。そいつが誰かもまだ分かってない」


「早く捕まえろ! あの2人が殺され、ライモンドまで……次に狙われるのは私だぞ!」


「なぜ、あんたが狙われるんです。いや、言わなくていい。おれは疲れてるし、戯言に耳を傾けてる間に寝ちまいそうだから。ここはひとつ、おれが話すよ。〈黒獅子〉亭のことだ」


〈黒獅子〉亭という言葉に、パゴロは髪を掻きむしっていた手を止めた。

「それなら、もうあなた方に話した」


「全部を話したわけじゃない。マウリツィオは手紙を突き付けてあんたを裏切り者となじった。どうして襲われたか分からないとあんたは言ったけど、本当は心当たりがあるんじゃないのかな」


「何のことだか分からん。手紙など知らない。そんなものはなかった」


「おや? すると〈黒獅子〉亭の主が嘘をついたのかな。その手紙は、あんたが彼から買い取ってるはずなんだけどね」


 公爵との謁見に赴く前、ジャンニは〈黒獅子〉亭の主人をなだめすかし――必要に応じて脅し――確かめてあった。


「マウリツィオが手紙を持ってたのは複数の証言から明らかだ。店の主人は裁判官に向かってこう話してる――」



――彼がパゴロに怪我を負わせようとするのを見て、私は止めに入りました。すると彼は短剣を持ったまま私の襟を掴み、邪魔をするなと言いました。



「はて、手紙はこの時どこにあったんだろう。右手には短剣がある。両手が塞がってたら相手の胸ぐらは掴めない」


 間を置いて評議員が話を飲み込むのを待った。


「彼は持ってた手紙を落としたんだ。たぶん興奮して投げ捨てた。その通りだった。腹黒い〈黒獅子〉亭の主はそれを拾って懐にしまった。金の匂いを嗅ぎつけて。となると、そこにマウリツィオを怒らせる何が書いてあったのか気になっちまう。しかもあんたが買い取ったとなると、ますます興味が湧く」


「ごく個人的な内容だ。君に話すようなことではない」


「パゴロさん、もう全部分かってるんだよ。おれが知りたいのは、どうしてあんたがピエロの馬鹿息子をそこまでして庇おうとしたかだ」


「別におかしくはないだろう。マウリツィオは愚かな男だが、友人だ。友人が醜聞に巻き込まれるのは遺憾だ。身銭を切って助けることの何が悪いのかね」


「あんたが言いたくないならおれが言おうか。その前に、ちょいと長くなるが聞いてもらいたい。メディチ家の別荘で葡萄酒運搬人が殺された事件を覚えてるかい?」


 パゴロは黙って床を見つめている。


「事件の晩に居合わせたヤコポは、最初は誰がピエトロを殺したか見なかったと言い、八人委員会の証言では一転して、やったのはレオナルドだったと言った。でも、レオナルドはその時、すでに警察長官庁舎の牢にいたことが分かった」


「何らかの手段で牢から抜け出したとも考えられるのではないかね」

 と、リッチョが言った。

「つい最近も、無頼の者どもに危うく脱獄を許すところだったそうではないか」

 

「3日後の1月29日、彼は警察長官庁舎で尋問されてるんだぜ。せっかく脱獄したのにわざわざ牢に戻ったってのかい?」

 

 息をしているようには見えないライモンドの顔を見やり、この会話が耳に届いているだろうかと思った。


「さて、ここからはおれの想像だ。的外れだったら、老いぼれの妄言だと思って忘れてくれ。その時は、ここにおわす警察長官殿がおれを牢にぶち込む。

 ヤコポの証言は嘘だった可能性が高いんだ。八人委員会から金を約束されて。けど再三の催促にも関わらず、金はもらえなかったか、先延ばしにされる。彼は貧乏になる。追い打ちをかけるように牢獄の賃金が下がる。同じ頃、エネアの息子のフェデリーコが、父親が書簡を火にくべるのを見ている。何でも、都合の悪いところを見られたような顔をしてたそうだ。それがヤコポからの手紙だったかどうかは分からないが、充分考えられるよ。相手にはされなかっただろう。もう8年もたってるんだもんな。そこでヤコポは、別の人物を脅して金をとろうと考える。事件のそもそもの元凶、つまりピエトロを殺した男だ」


「ジャンニ、その男の顔を、彼は見なかったのではないかね。先程そう言ったと思うが」


「おれは、本当は見たんじゃないかと思うんだ。どうしてヴィートに言わなかったのかは推測するしかない。気が動転してたか、腹に一物あったのか分からない。たぶん、後者だろう。彼は秘密を握り、そしてそれを利用する機会を得た。8月4日、ヤコポは手記に、Mという人物に宛てて手紙を書いた、と記してる。このMは〈黒獅子〉亭の事件にも登場する。そうなると、面白い結論が出てくるんだ。警察長官殿、あんたなら分かるだろう」


「彼が脅迫しようとした人物こそが、ピエトロを殺した本当の犯人だ。君はそう考えているということか。筋は通るが、若干の疑問が残る」


「それについては後で考えを言うよ」


 そこで言葉を切り、手を開いて差し出した。


「どうだい? パゴロさん、間違ってるって言うなら〈黒獅子〉亭の主から買い取った手紙を見せてくれ。それが脅迫状じゃなく、ただの卑猥な詩だったりした場合には、さっさと引きあげる。二度と言いがかりをつけに来たりしないよ」


 評議員は黙っている。蹄の音が外を行き交い、ただ時間だけが過ぎていく。


 全部分かっている、なんてのは大嘘だった。肝心の手紙の内容については、〈黒獅子〉亭の主人はのらりくらりとかわして喋ってくれなかったのだ。


 公爵にあんな大見得を切るんじゃなかった。

 レオナルドは死ぬまで牢から出られないだろう。

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