第93話 サン・ニコーラ施療院(3)
付属の礼拝堂もおんぼろだった。祭壇の横に小部屋があり、中に椅子が並んでいる。子どもに読み書きを教えていたという部屋かもしれない。
机の後ろから何かが飛び出し、ぶつかってきた。
「わっ!」
ジャンニは尻餅をついた。
6、7歳の男の子2人だった。
ふざけながら逃げて行く。
いてて。腰をぶつけた。起き上がろうとして、ふと椅子の脚に目が行った。
文字が数行にわたって彫ってある。
恋の炎は、我ら二人を一つの死に導いた。
カイーナは待つ、我ら二人の命消した者を。
これらの言葉が二人から投げられた。
手を貸してもらい、ジャンニはようやく尻を持ちあげた。
「1月26日に短剣を持ってトレッビオに行った日も、レオナルドはここで仕事をしていたのかい?」
「そういうことは、日誌を見りゃ分かる」
雑役夫はジャンニを事務員の所へ連れていった。
事務員は日付を見て困惑した。
「1月26日? 八人委員会の兵が来たのは1月15日ですけどね」
「そんなはずはない。事件があったのは26日だ。レオナルドが連行されたのは、その後だろう。よく見ろ」
「いいえ、長く伏せっていた病人がちょうどこの日に死んだんで、私も覚えてるんですよ。八人委員会の兵が彫刻職人を連れてったのは、15日です」
ジャンニは横から日誌をのぞいた。1月15日、八人委員会が彫刻家アンドレア親方の徒弟レオナルドを連行していった、と書いてあった。
*
この日付が正しければ、事件が起こった晩、レオナルドはすでに八人委員会に拘束されていたことになる。
彼はトレッビオには行かなかった。行けたはずがないのだ。その日にはもう警察長官庁舎の牢にいただろうから。
ライモンド・ロットは、レオナルドが事件の10日も前から牢にいた事実を知らなかったのか? 他の囚人と取り違えたのだろうか?
公爵の法律顧問がそんな間違いをするわけがない。
レオナルドは最初の供述で本当のことを言った。事件には無関係だったのだ。なのに下手人として「自白」した。
数時間前、自分がマウリツィオに嘘の告白書を書かせられそうになったのを思い出した。身に覚えのない殺人の供述書に署名するというのは少し不本意だったろう。
*
マルカントニオ・ラプッチは革表紙の冊子を脇に抱え、回廊の階段に足をかけたところだった。
ジャンニを見て、彼は顔をしかめた。この警察長官庁舎の由緒ある階段はジャンニ・モレッリのような職人風情がどた靴を踏み鳴らして登るためには作られていない――端正な顔はそう言いたげだ。
「ちょっといいかね、彫金師殿。言っておきたいことがある」
「おれもだ」
ジャンニは手の傷に巻いてある布を、歯を使ってきつく縛りなおした。
「公爵に話を通して、おれの罷免を取り消してくれ。あんたの前任者がやったトレッビオ事件の裁判はでたらめだ。やりなおさなけりゃならない」
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