第69話 裁判官には不適格(1)

 宝石は1つもなくなっていない、とアレッサンドラはジャンニに言った。


「そうか、いや、すまない。どうも気がかりだったもんで。おれはここでお暇するよ。あんたも少し眠ることだ、奥さん」



 *


 

 正面玄関のほか、館には裏通りに通じる勝手口が1つある。どちらも夜の間は閉められる。


 以前、空き巣に入られそうになったことがあり、ライモンドは戸締まりに神経質だったという。だから用心して日没には閂をかけることになっている、と使用人の男は言った。


 昨夜、この使用人はアレッサンドラに1日の暇を出されて不在にしていたとのことだった。



 *



 ジャンニは工房に行った。作業台の脇でリージがくず袋の中のごみを捨てている。


「ミケランジェロはいるかい?」

「今朝はまだ来てません」


 妙だった。ミケランジェロはたいてい誰よりも早く来て、床を掃いたり、こっそり何か描いたりしていたのだが。


「それより、さっき大工のサンドロの女房が来ました。たいそうな剣幕でしたよ」


 娘の婚礼のためにと、数週間前に首飾りの修理を頼んできた客だった。


「しまった、忘れてた! 婚礼ってのはいつだっけ?」

「明日だそうです。親方がやってくれないなら別の工房に頼む、と言ってました」


 ここ数日の騒ぎにかかずらっている間に、おれは昔からの客の頼みも忘れちまうほど耄碌したのか?


「後で詫びに行ってくる。よし、リージ、今日は溜まった注文をやっつけるぞ。八人委員会なんかくそくらえだ。炉に火が入れられるようにしといてくれ」


「親方……おれはどうしたらいいんです?」


「何がだ?」


「公爵の宝石です。ダミアーノがもう誰かに売っちまって、取り戻せないってことになったら、どうすれば……おれは牢に入れられるんでしょうか?」


「心配するな、そんなことにはなりゃしないから。それよりミケランジェロを下宿から呼んできてくれ。聞きたいことがあるんだ」


 ジャンニはライモンド・ロットの館で拾った鍵を取り出した。


 アレッサンドラと会話しつつ足でたぐり寄せるのは難儀だったが、彼女は何かに気をとられていたらしく、幸いジャンニの動きに気づかなかったようだ。最終的に床から拾うには、口実を作って彼女を部屋から追い出さなければならなかったが。


 目の高さに掲げ、光にかざして眺めた。


 どう見てもこの工房の鍵だ。


 昨日の夕方、記録保管庫でミケランジェロに渡したはずの。


 それがなぜ「盗人」が入ったとされる晩の翌日にロット家の館に落ちているのか、問いただす必要がある。



 *



 八人委員会のトニーノが来た。ジャンニは炉の点検をしながら表に聞こえるように怒鳴った。


「悪いな、ここんとこ注文が溜まって山ができちまった。今日は行かないとラプッチの野郎に伝えてくれ。どうせ会合があるから呼びに来たんだろ?」


 苦笑でもよこすかと思ったが、下級役人は真顔のままだった。

「ああ、会合が開かれる。だけどあんたにとっては最後になるよ。よっぽどラプッチのご機嫌を損ねたみたいだな」


「というと?」


「あんたは解任される。選挙管理官が、ジャンニ・モレッリは市民裁判官には不適格だと言い、それをラプッチは重く受け止めると表明した。聞いたところじゃ代わりの裁判官も決めてあるらしい。午後からはそいつが着任する。今から始まる会合で、書記官は他の裁判官みんなの前であんたに首を言い渡すつもりだ」

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