第53話 薄闇の先(3)
「100スクードという話をベルナはどこで聞いたんだ?」
「知らないね。でたらめだろ、どうせ。奴らは偽の令状を思いついたんだ。ちゃんと署名が入ったやつを。それを見せて入口を通せと言うつもりだ。うまくいくわけないのに」
「偽の令状? 面白いな。どうやって作成するのか聞かせてくれるかね」
「ベルリンゴッツォって名前のフィレンツェ人の詐欺師がいる。そいつが八人委員会書記官の筆跡をまねて偽造することになってる」
レンツォは思わず扉の隙間から覗いた。警察長官が怪訝な顔で聞いている。
「ベルリンゴッツォ?」
「レオーネ通りに店を出している骨董屋だよ。毎週木曜の晩は看守が1人いないんだ。だから警備が手薄になる。役人のふりをして門を開けさせ、それから看守どもを殺して……」
*
考えを巡らせた。
ベルリンゴッツォは、スペイン人の知り合いはいないと言っていた。でも、嘘だった。それどころか脱獄の計画を知っており、さらに一枚噛んでいた。
そのこと自体は別に驚かないが、なぜあの男は情報があるなんて突然言い出したのか。八人委員会に計画が漏れたのを知った? だからベルナたちを売って保身をはかろうというのか。
だが、ベルリンゴッツォが入手したというのはエネア・リナルデスキの事件に関する話だったはずだ。
バスティアーノは確かこう言っていた。
――さっきドッソがきて、骨董屋のベルリンゴッツォからの言伝を残していった。エネア・リナルデスキ殺しについて新しい情報があるから店に来いと……
どんな情報があるというのか。今は逃亡するほうが先だろうに。レンツォは通路に立てかけてある槍を1本つかんだ。
*
骨董屋の店は、十字路で西日を浴びていた。
通りの向こうにドッソがいた。うろうろして頭を掻いたり爪を噛んだりしている。
見られているのに気づいたか、小男は逃げるようにその場から離れていった。
その背中を目で追いながら、レンツォは扉を叩いて怒鳴った。
「ベルリンゴッツォ! 開けろ!」
物音が聞こえるまで長い間があった。扉が動いて、血の気をなくしたベルリンゴッツォの顔がのぞいた。
「そんなにでかい声を出さなくても開けてやるのに。何の用だい」
「情報があるから来てほしいんじゃなかったのか?」
「そ、そうだった。さあ、入ってくれ」
「バスティアーノは?」
「いないよ」
「ここに来たはずだ」
「さっき帰ったんだ」
「そうか。なら、ベルナは?」
骨董屋は額に汗をかいていた。入るように言いながらも、その場からどこうとしない。
「誰だって?」
「ベルリンゴッツォ、全部割れたんだ。居場所を教えれば、逃げる時間をやるよ」
「話さないか。外で」
「だめだ」
「あんたは誤解してる。確かにスペイン人どもの件ではあんたに嘘を言ったが、ベルナが八人委員会に目をつけられるような悪人だなんて知らなかったんだよ。居場所もわからない」
ベルリンゴッツォはするりと外に出てきて、後ろ手に戸を閉めた。
「奴を匿ってるのか?」
「い、いや。まず話をしよう」
「そこをどけ」
「待て! 待ってくれ。話を聞きたいから来たんだろ? 取引をしよう、な? あんたが知りたがってることだ。おれが何を掴んだかを聞いたら驚くぜ」
その体を押しのけて、レンツォは店の中に入った。
鎧戸が全部閉まっていた。
薄闇に目が慣れると、店の様子がいつもと違うのがわかった。割れた陶器やガラスの破片が散らばっている。
壁に血が飛び散り、引きずるように奥へ続いている。
振り返ると、ベルリンゴッツォがいなくなっていた。逃げたのだ。後を追うにも、床の血と足跡から目が離せない。
真っ先に頭に浮かんだのは、骨董屋がベルナを殺したという一事だった。この有様ではまず生きてはいない。
店は狭いので、帳場の他には物置しかない。続き部屋に踏み込んだ。煤だらけの暖炉があり、壊れた家具が積んである。その前に横たわっているものが目に入り、レンツォは思わず槍を取り落とした。
血で汚れた床に、バスティアーノが仰向けで転がっていた。目を開いているが瞳は何も映していない。
自分が何を見ているのか、すぐには理解できなかった。つい数時間前に言葉を交わしたばかりの男が倒れて動かないのを見ても現実だとは思えない。
後ろの扉からベルナが入ってきた。一緒にいるもう1人には見覚えがない。若い男で、派手な色の赤い帽子をかぶっている。
どちらの男もにやにや笑っている。
「後悔することになるって言っただろ、え?」
日焼けした顔に笑みを浮かべて、ベルナが言った。柄がIの形をした大きな短剣を右手に握っている。
その刃先からはまだ血が滴っている。
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