第54話 取調室(1)
「稀代の彫金師ジャンニ・モレッリ、ここに進退窮まる。丸焼きを免れたってのに、公爵とリッチョの野郎が明日にもおれの尻を焼きにくるときた」
ジャンニは記録保管庫に入り、ヤコポの手紙を文書係助手のチェスコに見せた。
「貴殿が八人委員会の任にある間は連絡をとらないという約束は守りました。ですから次は貴殿が義務を果たすべきでありましょう。こりゃ、どういう意味だ?」
「これだけでは何とも言えません。八人委員会の任というのは?」
「それを聞きたいんだ。エネア・リナルデスキは市民裁判官だったことがあるのかい?」
「さあ。……あ、この手紙は1537年なのか。当時は何らかの役職についていたのかもしれませんね」
「調べられるかい?」
「ええ、まあ、名簿を見れば……」
「任せた。すぐ調べてくれ」
「8年も前ですよ! どこにしまってあるか……」
「昔の名簿なんかすぐに見つけられるだろう」
「古い記録は書記官がどこかへ移したんです。委員名簿はそれほど古いものじゃないけど、閲覧する機会がないので一緒に紐でくくってしまいました」
「捨てちまったわけじゃないだろ? どこへしまったか、ラプッチの野郎に聞いてくる」
「書記官は不在です」
「じゃ、やつが1537年のぶんを箱に入れ忘れたことを願おうか。なに、多分まだここにある。ちょいちょいと見ていきゃ、すぐに見つかる。うちの期待の若手、ミケランジェロも手を貸してくれるしな」
ミケランジェロは後ろでなぜか不服そうな顔をしている。
*
名簿を捜すのは、ジャンニが思ったほど簡単ではなかった。文書は積み重なり、日付が過去になるほど混乱していた。最近の調書の間に100年も前の冊子が挟まっていたりする。
「どのくらいの厚さなんだい?」
「薄いものです。ちょうど指の幅くらいの」
「なら、これじゃない」
ジャンニは順番に見ては肩越しに放り投げていった。辺りに埃がもうもうと舞った。
「よし、坊やたち。薄いのだけ見ていくことにしようや。でなけりゃ一晩たっても終わらない」
「でも、親方、そんなに薄いなら分厚い本に挟まっていて見逃すってこともありえます」
しばらくすると、ジャンニは表紙だけ見て棚に戻すようになり、やがて引き出すことさえしなくなった。端的に言って、飽きてきた。
「ラプッチがその箱をどこへやったか分からないのかい?」
「庁舎のどこかだと思いますが……しかし、リナルデスキ氏が八人委員会に在籍していたら何だというんです?」
「ヤコポは手紙の中で金をせびってた。2人が殺されたことに、それが関係してるような気がしてならないんだ。エネアのおっさんが八人委員会で何をやってたのか知りたい」
トニーノが扉から顔を覗かせた。
「ジャンニ、ちょっといいかい?」
「よくない。後にしてくれ」
「ピエロ・ランフレディがきてるんだ……」
マウリツィオ・ランフレディは庁舎へ連行されてきたが、2時間もしないうちに釈放されていた。
「ぐうたら息子をやっぱり縛り首にしてほしいって?」
「いや、ラプッチとの面会を要求してる。不在だと告げると、市民裁判官を出せと言ってきた。他の連中はヴァレンシア人のペロとハンガリー人の石工を尋問してて、あんたしかいないんだ」
*
ピエロ・ランフレディは控えの間で椅子にふんぞり返っていたが、ジャンニを見るなり立ち上がった。
「おい、私は市民裁判官を呼べと言ったはずだぞ! なんだ、この薄汚い浮浪者は?」
「おれが裁判官だよ、ピエロさん。ジャンニ・モレッリってもんだ」
ピエロは不信感も露わにジャンニを眺め、自分の後ろにいる若い女を指差した。
「ここへ足を運んだのはこの売女の件だ。うちの息子に強姦されたとほざいていたが、今になってあんたがたに告白したいことがあるそうだ」
表情を強張らせて壁際に立っている赤毛の女をジャンニは見た。
強姦の件で訴え出ていたのは、友人だった細密画家の娘のラウラではなかったか。
ということは、この若い女がそうなのだ。こりゃ、たまげた。びっくりするほどきれいな女になったじゃないか。ジャンニは内心で賞賛の声をあげた。
「この女は嘘をついていたのを認めた。息子に強姦などされていなかったのだ。我が一族の評判を落とすために、あらぬ言いがかりをつけていただけだそうだ」
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