第20話 農夫たちの証言

「やつらの話は聞いてた。脱走した兵が、家畜の喉を切り裂いてまわってる、ってな」


 言いながら、ミケーレは林のほうを見た。


「1カ月ほど前、隣の夫婦が取り乱してやってきた。夜の間に番犬を殺されたっていうんだ。うちには男が10人いるが、武装した連中に襲われたらひとたまりもない。用心のため、夜も全部の火を灯しとくようにした。そしたら次の朝、あれが見つかったんだ! ここに住んでいた、グイドっていう名前の男だ。うつぶせで地面に倒れてた。顔は痣だらけで、割れた頭から脳みそが出ていた。ちくしょう」


 農夫は壁から銃身の長い銃を取った。


「次にきてみろ。頭を吹っ飛ばしてやる。豚みたいに吊るして腹をかっさばいてやる。はらわたをぜんぶ出して腸詰めにしてやるからな」


「あんたが死体を見つけたのかい?」

「いや、ブルーノだ」


 ミケーレは男を1人呼んだ。ジャンニが門のところで話した農夫だった。


「こちらの旦那がグイドのことを聞きたいそうだ。ブルーノ、見つけたのはお前だろう。話してやれ」


 ブルーノは脱いだ帽子を握りしめて、主人とジャンニの双方を見やった。気弱そうだが腕に筋肉が盛りあがり、武装した強盗も1人で撃退できそうに見える。


 呼ばれたのは叱られるためではないと分かり、ほっとしている様子ではあった。


「林の向こうの農場へ行こうとしてたんです。木立の手前で、何かが見えた。犬かと思ったけど、どうも妙で。そしたらグイドの腹だったんでさ」


「その場所を見てもいいかな?」


「ああ。ブルーノ、案内してやれ」


「旦那、おれはもうあそこへ近づくのは嫌ですよ。やつらがどこから出てくるか……」


「そうなったら、ふんづかまえりゃいいだろうが。図体がでかいくせに何の役にも立たない腰抜けめ。さあ、とっとと行け。このフィレンツェの詮索好きな旦那を満足させてやれ」


 ミケランジェロは犬にじゃれつかれ、服に大量の毛をつけてついてきた。



 *



 ブルーノが草むらを指さした。


 ラーポを追って走った場所だった。


 ジャンニはしゃがんで、あたりの風景に目を凝らし、道を振り返った。低木の向こうにラーポの工房の煙突と石造りの壁が見える。


「ここはよく通るのかい?」

「ときたま隣の農場へ行くくらいだ。おれが通らなかったら、ずっと見つからなかったかもしれねえ。とにかく恐ろしくて、すぐに旦那に知らせたんだよ」


「農場の所有者である奥方にも知らせは行ったのかな?」

「旦那に聞いてくれよ。でも、知らせたんじゃねえかな。ほら、女ってのはこういう物騒な話が好きだし」


「親方、そろそろ戻りましょう。リッチョ氏はさすがに帰っただろうし、仕事がたまってるんですから」


 農夫がうなずいた。一刻も早くこの場所から離れたいらしい。

「明るいうちにフィレンツェに戻りたいなら、それがいい。近頃は日が暮れるのも早くなった」


 ジャンニは腰に突っ込んでおいた布切れを引っぱり出した。赤く染まった布を見て、ブルーノの顔からまた血の気が引いた。


「なんなんです、そいつは?」

「ラーポの工房の裏にあったんだ」


「きっと鶏でも絞めたんでしょうよ。鶏の血ですよ。驚かすのはやめてくださいよ」

「あの男はこの農場で何をやってるんだい?」


「さあね。あんたも見たかい、あの妙ちきりんな薬瓶を。なんだか気味悪くってさ」

「硝酸だ。おれの工房にもある。ただの薬品だよ」


「行商人から買ったんだ。やつは自分のことを金細工師だって言ってるけど、おれは妖術師なんだと思うね」


 ラーポが近づいてきた。

「もうお帰りですか? 夕食をご一緒できると思っていたのに」


 ブルーノが慌てた。

「何言ってんだ。この辺りが夜は物騒なのは知ってんだろう」

「ミケーレの家に、お客のための部屋があるはずです。頼んでみましょう」


「ぜひにと言いたいとこだけど、あいにく片づけなけりゃならない仕事があってね」


「そうですか。ではごきげんよう。またお目にかかりたいものですね」


 ラーポは背中を向けて立ち去った。ジャンニは胸のうちで言った。


(ここにいると、朝になったら道ばたで殺されてた、なんてことになりかねないだろ?)


 驢馬を進める間、誰かに見られている気がしてジャンニは何度も後ろを振り返った。


 フィレンツェに辿りついて市門をくぐる頃になっても、その感覚は背中にへばりついていつまでも消えなかった。

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