第14話 女の家

 死体が運び出される頃には、死んだ男についておおよそのことが判明していた。


 ジャンニの言ったように、ヤコポはかつてワインの樽を運ぶ仕事をしていたが、数年前からは牢獄で水や食べ物を配ったり、汚れた毛布を回収したりで生計をたてていた。以前の仕事をやめた理由は分からなかった。


 河原には大勢の人がいた。が、何が起きたのかは誰も知らないようだった。もしくは知っていて語ろうとしなかった。死体が置かれるのを見た者はなく、殺人犯を知っている、とレンツォに耳打ちしてくる者もなかった。

 

 亡骸は未亡人のいる家に運ばれていった。


 ルカから聞いた話を考えれば考えるほど、脱獄計画があったという推測は間違っていない気がした。偶然にも同じ牢獄に出入りしていたヤコポがそれに加担していたのか――そのせいで殺されたのか――どうかは分からないが、事実と判明すれば公爵も無関心ではいないだろう。


 事の重大さを考え、警察長官は八人委員会との間に波風を立てるべきではないと判断したらしい。レンツォが庁舎へ戻ると、全ては八人委員会の手に渡っていた。ルカから情報を引き出したのはレンツォだが、警察長官が捜査の権限を譲ったとなれば、あとは彼らが動くのを黙って見ているしかない。


 庁舎を出た。壁に刻まれてある古い碑文が目に入った。


《ここでの立ち小便は禁止。八人委員会》


 レンツォは笑って、そこで放尿した。



 *



 スティンケの牢獄の入口には守衛が3人いた。レンツォは挨拶してたずねた。

「ヴァレンシア出身で石切職人のベルナはいるか?」


 年嵩の守衛が名簿を調べた。

「もう釈放されてるよ」


「いつ?」

「先月の24日だ。しばらく用心しといたほうがいいぜ。〈コロナ〉でやつを叩きのめしたのはあんたとバスティアーノだろ?」


 礼を言って、レンツォは詰め所に戻った。顔なじみの八人委員会の伝令がいた。裁判の証人や被告に宛てられた書類で膨れた鞄を肩から提げている。

「見てくれ、これから届けなけりゃならない書類がこんなにあるんだ」


「へえ、大変そうだ」


 バスティアーノはどこにいるのだろう。ベルナが釈放されたことはまだ耳に入っていないにちがいない。


 しばらく前、旧市場の宿〈コロナ〉で喧嘩があった。ヴァレンシア人のベルナは酔っ払い、最後まで暴れていた男どものひとりだ。ベルナを取り押さえようとして、レンツォは壁から突き出していた釘にぶつかって怪我をした。しまいにはバスティアーノが棍棒で殴り倒して御用にした。


 それからまだ3か月もたっていないのだが。釈放されたのは、看守4人に対して150人を超える囚人が収監されているのと無関係ではないだろう。


「なあ、手伝ってくれないか? これさえ片付ければ今日は終わりなんだよ」

 と伝令が言った。


 以前に一度、同じような頼みを引き受け、レンツォは届け先の男に鍋で殴られたことがあった。喧嘩相手に訴えられていたその酔いどれは、令状がくるのを見越して、扉の内側で平底鍋を握りしめて待ちかまえていたのだ。


「親戚が病気で、日暮れまでに駆けつけなけりゃならないんだ。厄介なのはおれが引き受けるから、残りを届けてほしいんだよ、な? お礼にいいことを教えるからさ」


「なんだ?」


「ヴィネージャ通りにある蝋燭売りの店へ行ってみろ。ハンガリー人の女が闇で経営してる淫売宿なんだ。夜警が規則違反を見逃してやった娼婦とやれるぞ」


 2通の書状を残して、伝令は立ち去った。宛先には知らない女の名前が書かれてあった。


 陽射しはやけに強い。眠気を誘うリュートの音色が流れてくる。〈コロナ〉のような乱闘でも起これば憂さ晴らしができるのに、午後の旧市場は平穏そのものだ。


 ヤコポの潰された鼻を見たときからベルナの顔が頭に思い浮かんでいた。〈コロナ〉では誰も死ななかったが、ベルナはローマで仕事仲間2人を殺している。銀行から出てきた老人の後をつけ、殺して金を奪ったという話もある。肉体労働者らしく大柄な男だ。ヤコポを殴り殺して河原に捨てるなど、わけもないだろう。


 書状の宛先に書かれた女の家は、どこにあるのかわからなかった。洗濯桶を抱えた女たちに尋ねると、年配の女が通りの先を示した。


 3階の窓だ。小さな明かりがもれている。

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