第13話 公爵の宝石

 初老の男が工房を訪れた。身を乗り出して作業場を見まわし、机に積もった埃を見て顔をしかめている。


 また言いがかりでもつけられるのだろうか、とミケランジェロは思った。


「ご用ですか?」

「親方殿はおいでかね?」

「今、いないんです」

「ふん、どうせ昼寝でもしているのだろうが。いつお戻りかね?」


 ジャンニ親方は確か、午後も嘆願状の審査があって忙しいのではなかったか。ミケランジェロはそう伝えた。

 

「まったく、こちらを馬鹿にするにもほどがある。公爵閣下がご贔屓なさる理由がまるで分からん。私があの男なら宝石を持って逃げるだろう、とあれほど言っているのだが……」

「えっ、公爵?」

「さよう、フィレンツェ公爵コジモ・デ・メディチ閣下であるぞ」


 ジャンニ親方が角を曲がって歩いてきた。男を見て、ジャンニはぎょっとした。嫌な野郎に会っちまったと思っているのが如実にわかる顔だった。

 ミケランジェロの視線を追い、男は振り返って親方の姿を認めた。


「おや、ピエルフランチェスコ・リッチョの旦那。こんなところで会うとは奇遇だな。あのこまっしゃくれた坊やのお世話をしなくていいのかい?」

「公爵閣下をそのように言うことは許されん」

「あれ? おれは公爵閣下のことなんか言ってないけどな」


 リッチョ氏はその言葉を無視した。

「ジャンニ、公爵閣下は試作品を心待ちにしておられるのだぞ」


「じゃ、楽しみにしてろと伝えてくれ」


「いつからその言葉を聞かされていると思う。例のものを君に渡してもう半年だ。何の進捗もないとなると、噂を信じないわけにはいかなくなるのだがね」


「噂?」

「君があの石を持って逃げようとしているという噂だ」


「言いがかりだよ。おっと、察しが悪くてすまなかったな。旦那は公爵閣下の宝石がちゃんとあるかどうか見たいんだ、そうだろ? おい、ミケランジェロ、その汚い手をふいて公爵の執事殿を奥にご案内しろ」


 ジャンニは扉から一歩退き、工房の中を示してお辞儀した。


「さあ旦那、どうぞ好きなだけ見ていってくれ」


 がらくたが散乱して足の踏み場もない工房をもう一度見て、リッチョ氏はためらったようだった。


「いや……その必要はない。私は君を信用しているのでね。とにかく、ただちに完成させたまえ。おや、もう閣下がお戻りになる頃だ。では失礼する」


 リッチョ氏は足早に路地を遠ざかっていった。

 

「裁判官に選ばれたからにはああいう小煩い連中を縛り首にでもしたいけど、あいにくおれに割りあてられたのはでぶの高慢ちきと名家のドラ息子だけだ。リージ、確かランフレディ家の連中と親父さんが揉めてるんだよな?」


 年少の徒弟はうつむいたまま、ぼそりと答えた。

「ええ」


「喜べ、マウリツィオはもう戸口でくそを垂れることはできない。居酒屋で客に斬りつけてとんずらこいた」

「そのうちに戻ってくるんじゃないですか?」

「警察に追われたままじゃフィレンツェには帰ってこられないそうだ。ここでの生活を取り戻したいなら訴えを取り下げさせなけりゃいけないんだとよ。だが、パゴロのおっさんは和解に応じそうもないぜ」


 リージはさほど嬉しそうには見えなかった。ミケランジェロは、リッチョ氏とジャンニが話していた宝石のことが気になっった。

「公爵の宝石って、なんですか?」


「恐れ多きわれらがフィレンツェ公爵がローマの仲介人から5,000スクードで入手したルビーだよ」


 ジャンニはまるで関心のなさそうな声で答えた。ミケランジェロは絶句した。

「5,000スクード?」


 ちょっとした要塞が買えそうな金額だ。


「ミケ坊や、くれぐれもおれのようにはなるなよ。宮廷で出世したかったらリッチョのようなお偉いさんにはへいこらすることだ。たとえお前さんが人にかしずくのが苦手な、おれみたいに要領の悪い頑固者だったとしても。そうだ、見せてやるよ。リージ、ちょっと持ってきてやれ」


「えっ、ルビーをですか?」

「そうだ」

「今ですか?」


 少年はなぜか、うろたえたように見えた。

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