第5話 思惑

 ジャンニ親方が工房からダミアーノを追い出したのと同じ頃、レンツォは警察長官庁舎で給料を受け取る列に並んでいた。


 今月は逮捕に関わったことで加算された報酬が1スクード15ソルド。警吏の職についてまだ2年だが、建設現場や織物工房で働いてすでに熟練職人になっている同年代の連中よりもよほど稼ぎがいいと言える。


 硬貨の入った袋を懐にしまって地下牢への階段を降りると、同僚の警吏バスティアーノと看守がカードで遊んでいた。看守は机の上の銅貨を急いでかき集めようとし、レンツォの顔を見てほっと息をついた。

「なんだ、あんたか。脅かすなよ」


 バスティアーノは不可解な顔でにやにや笑っている。

「やつは釈放されるらしいぞ」


 何のことかと一瞬考えたあと、レンツォは驚いた。

「釈放?」


「やつは――確か、ルカって名前だよな――ルカは、裁判官にこう言ったそうだ。あの袋は道に落ちていたもので、持ち主を捜して届けてやろうと思ってた。中に短剣が入ってるなんてぜんぜん知らなかった、と。八人委員会はその与太話を信じた。残念だったな」


 ルカは、1時間ほど前にレンツォが市場から引っぱってきた男だった。ことの発端は、市場の裏手にある安宿で賭博が行われているという情報だった。賭博は公爵が近年になって取り締まりを強化した娯楽のひとつだ。


 レンツォがその宿へ行くと、奥にひとりで腰を降ろし、皿に盛られた煮豆を食べている男がいた。それがルカだった。斜めにかぶった色褪せた帽子からのぞく、伸びぎみの黒い巻き毛。浅黒い顔、大きな鼻。足元には膨らんだ粗布の袋。直感が、レンツォに袋の中身を確認しろと囁きかけた。


 足を踏み出そうとした瞬間、男は立ちあがって袋をひっつかんだ。


 レンツォはびっくりした。そのせいで動くのが遅れた。ルカは裏口から外に出て野菜の荷車にぶつかり、洗濯籠を頭にのせた女たちを突き飛ばし、鶏を蹴散らしながら市場を突っ切っていった。その先は南北に延びる大通りだ。


「止まれ!」


 袋を胸の前に抱え、小男は走りにくそうだった。が、腰に剣を下げていて思うように走れないのはレンツォも同じだ。腕を伸ばし、衣服をつかんだ。ルカは足を滑らせて転んだ。


 黒っぽい粉の塊が飛び散った。


 レンツォは目の前が見えなくなった。地面に落ちている馬糞を、ルカが手づかみで顔に投げつけてきたのだ。レンツォは小男の頭を殴り、うつ伏せにして腕をねじりあげた。


 袋は路面に落ちていた。中味を地面にぶちまけると、葉模様の装飾を施した華奢な短刀が一本、石畳に落ちた。他に入っていたのは衣類とおぼしき上等の布地だった。馬糞まみれで激怒しながら、レンツォは布地を広げた。どこかの家紋だろう、斜交いの鎖の紋章が縫いつけてある。


 刃物の携帯は禁止で、所持すれば高額の罰金を科せられる。道に落ちていた、などという言い訳を真に受ける裁判官がいたとは信じられなかった。


 レンツォは椅子の脚を思い切り蹴り飛ばした。

「やつは逃げようとした、拾ったものなんかじゃない、盗んだに決まってる!」


「どこでつかまえたんだ?」

「サン・タンドレアだよ。馬の糞を投げつけてきたんだぞ! なのに無罪放免? くそったれ! バカども! いっそ廃止しちまえばいいんだ、八人委員会なんか!」


「上の連中に聞かれるぞ」

「聞かれて何が悪い? 公爵が八人委員会をどうしたいと思ってるかは、あのマルカントニオ・ラプッチの態度を見ていりゃわかる」


「古くからある行政職だから、公爵も邪険に扱えないんだよ。今でこそ刑事法廷だが、昔は権威ある議会だったらしいし」


 八人委員会はフィレンツェの領域内で起こった殺人や強盗、武器の携帯、詐欺、虚偽の倒産申告などの犯罪を主に裁くための刑事法廷だった。被疑者を尋問し――ときには拷問にかけ――判決を下す裁判官は議会の議員から5人、市民から3人選ばれる。


「もう釈放されたのか?」

「いや。まだ牢にいるよ」


 看守が札をそろえて各自に配り、自分の手札を一目見てつまらなそうな顔をした。

「あんたがたがしょっぴいてきた与太者どもで上の牢は満杯だ。連中の世話をしなけりゃならないおれの身にもなってみろ」


 壁には数人の名前と、各人の勝った回数分が木炭で書かれてある。バスティアーノが9、レンツォと八人委員会の下級役人トニーノがそれぞれ5で追いあげ、看守はいまだ3にとどまっている。バスティアーノが壁に印を書き込み、彼はこれで通算10勝になった。警察の職員が地下でこっそり賭博に興じていると知ったら、八人委員会の長であるマルカントニオ・ラプッチは眉を吊り上げるにちがいない。


「空いてる独房はあるかい?」

「ああ」

「そこへ入れてくれないか?」

「誰を?」

「ルカだよ」


 バスティアーノが眉間に皺を寄せた。

「何を考えてるんだ」


「思い知らせてやるんだ。こけにしようっていうなら、こっちにも考えがある。それをわからせてやる」


 看守が慌てた。

「馬鹿言うな。無断で囚人を独房へ移したりしてみろ、おれがくびだぞ」


「今、上には誰もいない。ばれたりしないよ」

「だめだ。知らない間に囚人の鼻が折れてたりしたら・・・・・・」

「痛めつけようってわけじゃない。あの袋の中身は盗品だった。やつはきっと故買屋を知ってる。その名前を聞き出す」

「そんなに簡単に喋るもんか」

「やれるよ。頼む、半時間でいいんだ」


 看守は渋々といった顔で腰をあげた。

「わかったよ。待ってろ、守衛と話をつけてくる」

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