第10話
最初の夜、身体を重ねようとする新太郎に先手を打つように、突然生理が来たことを告げた。新太郎は優しいが正直な男だった。俯き、落胆したが、「しょうがないね」と言ってくれる。
もちろん全て嘘だった。生理が来ないことが問題なのだから。
だから二人は夜更かしを楽しんだ。それは中学時代の修学旅行に良く似ていた。薄明かりのなか、お互いのことを話した。
これまでも何度だってお互いのことを話して来たはずなのに、それでもまだ知らないことが多かった。尽きない泉は、もしかしたら新太郎の作り話だったのかもしれない。だけど真実として語られたそれらを嘘と見抜くよりも、ありのまま善意の包装と一緒に受け取ったほうが遥かに素晴らしい。
一夜、二夜を越えて、そして最後の夜がやって来る。お土産にと買ったミルククッキーは既に二つ空けられていた。
怜奈と新太郎はダブルサイズの枕の位置に足を放り出して、逆さまでベッドにうつ伏せになりながら、深夜のテレビジョンを眺めている。手を伸ばせばテーブルが、その上にはアルコールとウーロン茶が置いてある。
妊娠二ヶ月目だった。少し風邪気味だから、とさらに嘘を重ねてアルコールの摂取は避けていた。新太郎はそんな彼女を心配して、どこからか見つけてきた風邪薬を渡してくれたのは最初の夜のことだった。
後で飲むね、と受け取って、結局一錠も飲んでいない。カバンの中に放り込んでそれっきりのまま最後の夜を迎えていた。
「あのさ」
この夜に打ち明けようとずっと考えていたこと話そうと思い、怜奈は口を開く。明日になれば二人はもうトウキョウに戻っているのだ。今日を逃すとチャンスはない。
「あの」
同時に口を開いたのは新太郎だった。
「え、なに?」
「先良いよ」と、新太郎。
「ううん。いいよ、先」
自己主張の強い女じゃなかった。それどころか相手の立場を思って不利だと思えても一歩引けるような女だった。
「じゃあ、その、あのさ――」
新太郎は何かを言い澱む。彼はこの期に及んで、それを口から出そうか出すまいか迷っている。「なんでいうのかな、その」
「なに?」
そんな彼を見るのは初めてじゃなかった。だがこれまでにない不安と、期待があった。
「いや、だからさ――」
「もう、なに?」
彼は怜奈の質問に答えずベッドを出る。
そして自分のカバンを漁り始める。何を取り出すつもりなのだろうか、と怜奈は思う。
「ねえ、なんなの?」
うつ伏せの姿勢から、起き上がる。ベッドの端に座る。素足の裏が淡いピンクの床に触れる。
窓は開いている。夜風が二人の間にすぅーっと抜ける。心地よい風だった。何かを取り出した後、新太郎はテレビジョンを消す。
そして振り返ると、彼はベッドに座る怜奈の前に跪く。
「僕と結婚して欲しい」
嬉しい誤算だった。彼の太い指の間には指輪がそこにあった。
感情がこれ程までに溢れ出すことがかつてあっただろうか。いやなかっただろう。怜奈は感激をして涙を流す。頷くことすら忘れて、熱くなる目と鼻の頭を手で隠した。
「就職も決まった。君を絶対に幸せにする」
怜奈の視界は涙でぼやける。
「だめかい?」
彼女は首を横に振った。
「いい?」
彼女は首を縦に振った。
新太郎は優しく左手を取り、薬指に指輪を嵌めた。
妊娠のことなどどこかへ飛んで行ってしまっていた。
「ありがとう」
怜奈は呟いた。「ありがとう」
涙が止まらなかった。
カラ 山磐歌作 @yamaiwakasaku
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