リサ 十四年前
ねえ母さん。なんて冷たい足なの。ダメよ、母さんもいい年なんだから冷えには気をつけないと。
それにしても相変わらず無駄に広い家よね。よく一緒にかくれんぼをして遊んだっけ。隠れるのはいつもわたし。押し入れの中や、天井裏。新しい隠れ場所を見つけては母さんを誘って遊んだわよね。もちろん見つかってしまうこともあったけど、わたしが最後まで隠れ切ることだって少なからずあった。そのときはお母さんが「降参」って言いながら家の中を歩き回ったものよね。
ふふ、そうだ。覚えてる? いつだったか、わたしがいたずら心を起こして隠れ場所から出てこなかったときのことを。
母さんは最初笑いながらわたしの名前を読んでたわよね。「もう、ふざけてるんだから」なんて言って。それが次第に起こった声に変わり、最後にはひどく心配げな声に変わった。
ねえ、眠っちゃったの?
まさか外に出たんじゃないでしょうね?
そんな声が近づいたり遠のいたりしたわ。でも、そのうち声がぴたりとやんだ。
静寂ってものがあれほど恐ろしく感じられたことはないわ。わたしは隠れ場所からそっと飛び出し、母さんを探した。でも、やっぱり声が聞こえないの。
母さんはどこに行ったんだろう。そう考えると急に心細くなって、わたしは泣き出してしまった。そしたら母さんがどこからともなく現れてわたしを抱きしめてくれたの。母さんも泣いてた。親子二人でわんわん泣いて、そこに宅配便が来たものだから困ったのよね。母さんは目が赤いまま荷物を受け取りに出た。
あのとき、どこに隠れてたのかって? それは秘密。
不思議なものね。
母さんがいない。それだけのことがあんなに心細かったのに、わたしは何度となく家を飛び出しては母さんを困らせてきた。
友達の家に内緒で泊まろうとしたり、彼氏と旅行に出かけたり、悪い仲間とつるんで夜の街を徘徊したり。
でも、母さんはいつだってわたしを見つけてくれたわよね。わたしの遁走劇はいつだって母さんの膝の上で幕を下ろす定めだった。
最後の遁走劇は、これまでで最長の遁走劇でもあったわね。
わたしは男の人と籍を入れ、母親になるところまで行った。これでとうとう母さんから逃げきった。そう思ったわ。でも、違ったのね。誰かの母親になったところで、誰かの子供であることから逃れられるわけじゃないんだわ。
あの町に母さんの使いが現れたときは、長いかくれんぼが終わったみたいだった。ねえ、ホントはね、あの子のところに留まることもできたんだよ。ヒロタカさんはわたしの過去を知ってもなお受け入れてくれたもの。なのにわたしはここに戻ってきてしまった。
わたしはきっと母さんがいるからこそどこへでも行けたんだわ。どこへ行ったって必ず見つけてくれるって。その安心感があったから、どんな無茶だってできた。もちろん、わたしが母さんの前でそんなことを認めたことはなかった。顔を合わせればいつだって喧嘩になった。
戻って来てからすぐに、母さんと派手に喧嘩して、わたしはまた出て行った。でも、いったいどこに行けるっていうの? 何度繰り返したって、わたしは母さんの膝の上に戻るしかないんだわ。駅前の喫茶店でそんなことを考えた。そして、戻ってきたとき母さんはもう冷たくなってた。
ねえ、母さん。冗談なんでしょ。母さんはきっとわたしをからかってるんだわ。わたしが親不孝な娘だから、懲らしめようとしてるんだわ。そうに決まってる。だって、母さんが死ぬはずなんてないもの。母さんはいつだってわたしを見つけてくれた。捕まえてくれた。それに終わりが来るはずなんてないんだから。
ねえ、そうでしょ。
目を覚ましてよ、お母さん。
膝枕変奏曲 戸松秋茄子 @Tomatsu_A_Tick
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます