Live.92『あの忘れえぬ陽炎の日に 〜I REMEMBER THE FIRST TIME〜』

 ──かりま……かりま……!


 遠くで小さな子供が泣き叫ぶような声が聞こえた。鞠華はぼんやりと周囲を見回す。

 あたり一面には、地面を覆い尽くさんばかりの瓦礫がれきと、万物を燃やし尽くす業火だけがただひたすらに広がっていた。太陽は真上に登っている昼間じかんであるにも関わらず、空は夕焼けよりも赤く、おぞましい色をしている。


 まるで世界の終焉しゅうえんのような景色を目の当たりにし、そこで鞠華はようやく気付く。

 ここは10年前──西暦2020年7月21日の情景。

 かつて多くの人々が心に深い傷を負った、“東京ディザスター”の発生した日。その当時の記憶が見せている悪夢ビジョンだった。


「これは、僕の記憶……なのか?」


 そんな疑問を抱きつつも、もはや遊園地の面影すらなくなっているこの地獄を歩き続ける。

 すると案の定というべきか、燃え盛る炎のなかに倒れている二人の子供を発見することができた。


「姉さん……」


 瓦礫の下敷きになっている姉・天地あまち鞠華まりかの姿がそこにはあった。

 彼は苦痛に顔を歪めながらも、すぐそばで意識を失っている弟・天地雁真かりま──10年前の自分へと懸命に手を伸ばしている。


(このあと僕は気がついたら病院にいて、天地鞠華ねえさんだと勘違いされたまま治療を受けていて……それで姉さんの遺体はバイオアクターを造る素材として利用され、紫苑が産み出される……のか)


 この出来事から現在にいたるまでの経緯を振り返りつつ、我ながらなんて数奇な運命を辿たどったものだと驚いてしまう。

 これより数年後。雁真は女装少年“逆佐鞠華”となって、亡き姉の代わりとして生きるようになり……また紫苑も姉の生まれ変わりとして、この世に生を受けることになるのだから。

 鞠華と紫苑にとって“天地鞠華”という人物が、それだけ大きな存在であったのだということを改めて思い知った。


 ふとそのとき、鞠華の脳裏にある一つの疑問が浮かび上がる。


 ──僕は地獄ここから、どうやって助かったんだ?


 今まで思ってもみなかったことだが、いざ考えてみると不可解な謎だった。

 目の前にいる自分は意識を失って倒れているし、姉のほうも瓦礫に押し潰されていて、とても身動きのとれるような状態ではない。

 それに──そもそもこれが本当に自分の記憶を再現した光景ビジョンであるのならば、こうして自分自身を第三者の視点から俯瞰ふかんして見ていること自体がおかしい。何故なら鞠華かりまはこのときずっと気を失っていて、気がついたときには病室のベッドの上にいたのだから……。


(じゃあ、これはいったい誰の視点……誰が見た記憶なんだ……?)


 周囲を見渡してみたが、救助隊が来るような気配はまだない。

 そしてもし仮にこの數十分後に駆けつけたところで、すでに相当な範囲に燃え広がっている炎は確実にこの双子を飲み込んでいること間違いないだろう。

 つまりこのままでは、姉はおろか弟のほうも助かる見込みがない。そうなれば、鞠華がこうして生き長らえているという結果みらいとの辻褄つじつまが合わない。


 そうしている間にも、視界を埋め尽くす炎はさらに激しさを増していく。

 人の焼ける臭いが鼻を突き、建物が倒壊して巻き上がった塵芥じんかいがその場の空気を満たす。そこはもはや、とっくに人間の生存できる環境ではなくなっていた。


「……! まってて、いま助けるから……!」


 そのときだった。

 倒れている双子の姿を発見した何者かが、形振なりふりかまわずにこちらへ駆け寄ってくる。


 抜けるような白い肌と金髪が特徴的な、外国人の少女だった。

 見た目は若々しく、年齢はおそらく大学生くらいだろうか。外見に反して自然な日本語を発していた彼女は、姉に覆いかぶさる瓦礫を必死に退かそうとする。


「……ムリだよ、はやくぼくを置いて逃げて……」

「そんなのダメ! お姉さんが、絶対に助けるんだから……!」


 避難をうながす双子の姉に首を振りつつ、少女は泣きそうになりながらもコンクリートの塊を持ち上げようとする。

 だが、ただでさえ線が細く華奢な少女に、数百キロはあるであろう瓦礫をどうこうできるはずもなかった。それは鞠華から見ても明白であるし、おそらくは彼女自身も心の奥底でわかっているはずである。


 それでもこの少女はきっと、目の前の小さな命を置いて行ったりは絶対にしないだろう。

 このままでは炎が拡大してしまい、まだ助かる見込みのある彼女までもが道連れとなってしまう……!


「ねえ、おねえさん……ねえってば」

「大丈夫、大丈夫よ! 置いて逃げたりなんて絶対にしない……!」

「……ううん、そうじゃなくて。先にそっちを助けてあげて」


 そして、おそらく姉も同じことを悟ったのだろう。

 彼は近くに倒れている弟を指差すと、少女に連れて逃げるように頼んだ。


「な、何を言ってるの……そしたらキミは……」

「ぼくのことはいいから、かりまを……弟をつれて逃げて……」

「で、でも……!」

「このままじゃおねえさんも死んじゃう。だから、はやく……!」


 念を押すように言われ、少女は堪えきれなくなって涙を溢れさせる。

 やがて決心したように目蓋まぶたをボロボロの腕で乱暴にぬぐうと、気絶したまま倒れている雁真をおぶった。

 そして去り際に少女は瓦礫のほうを振り向くと、涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔で言い放つ。


「この子を安全なところにやったら、すぐに戻るから! もし大人の人を見つけたら、助けるの手伝ってもらうから! だから、少しだけまってて……っ!!」


 そう言ってから、少女は急いでその場から走り去っていく。

 壁のように燃え上がる炎を抜け、ようやく視界の開けた場所に出ることができたと思った──次の瞬間、耳をろうする轟音が背後から殴りつけてきた。


 少女は嫌な予感を感じながら、おそるおそる後ろを振り返る。

 まるで背景がすり替えられた舞台のように、そこにはただ炎の海だけが延々と広がっていた。メリーゴーラウンドの遊具は焼け果て、朽ちたジェットコースターのレールが耐熱限界を迎えて崩れ落ちている。

 その直下は、まさに先ほどまで少女のいた場所だった。


「うそ……私が助けられなかったから……?」


 客観的に見ても、少女の行動に非は全くなかった。

 むしろ、彼女のおかげで失われるはずだった一つの命が救われたのだ。それは賞賛されるべき立派な行いであるし、少なくとも彼女を責め立てるような者などいないだろう。


 が、傍観者の鞠華がなにを思ったところで、少女は負う必要のない責任を感じてしまっていた。そしておそらく彼女はこの先も、永遠に自分を責め続けることになるだろう。


 『私が不甲斐なかったばかりに、もう一人の命を助けられなかった』──と。















「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」


 この時の出来事がきっかけとなり、その少女──レベッカ=カスタードは、自らに2つの誓約を立てるようになる。

 自分やあの子供をこんな目に遭わせた原因不明の大災害……その原因を突き止め、それが人為的なものであるならば、絶対に報復してみせるという誓い。それが一つ目だ。


 そしてもう一つ。

 もう二度と弱き者を見捨てるようなことはせず、たとえどんな手段を使ってでも守り抜く。そう、誓った。

 それはかつて天地鞠華を救えなかったレベッカにとって、彼女なりのいましめであり、またあるいはつぐないでもあった。

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