Live.89『影の女王が紡ぐセカイ 〜CHANGE THE WORLD〜』

 レベッカ=カスタードという人物は──優れたハッキングスキルを有してはいるものの──少なくとも表社会においては決して著名と言えるほどの知名度はなく、政治的な発言力なども当然ながら持ち合わせてなどいない。


 そんな有象無象うぞうむぞうの一人に過ぎなかった彼女が、匿名のままに大勢の人々を動かせるほどの影響力をることができた。

 誰もが彼女の顔を知らないまま、その言葉に突き動かされ、変わっていく世界を見届ける者となる。傍観者たにんごとではなく、当事者じぶんのこととして……。

 それを可能としたのは“チドリ・メイ”というバーチャルの記号かめんがあったからこそであり──さらにもう一つ、レベッカはを隠し持っていた。


《国際連合安全保障理事会議長・ルース=ツェッペリン殿。我が独立都市国家『トウキョウ』の正式な樹立と、当国への侵略行為を一切禁止することを承認していただきたい》


 ニューヨーク・国際連合本部ビル。

 国際連合安全保障理事会会議場のテーブルには、各加盟国の代表たちが席に着いていた。

 彼らの冷ややかな視線の先には、立体映像ホログラムで映し出された少女が立っている。

 現時点では非公認国家である独立都市国家『トウキョウ』──その主導者たるチドリ・メイは、怪訝けげんそうな一同からのバッシングの声を一身に受けていた。


「我々が本当に認めるとでも思っているのか」

「貴様たちは日本国の領土を不当に占領している、いわば統治国家とは名ばかりのテロリスト集団だ。その自覚がないのかね」

「そもそも主導者が姿を直接あらわさないというのは、一体どういう要件なのだ」

「交渉以前の問題だ。まったく、話にならん」


 可決の条件には理事国15カ国中9カ国の賛成と、常任理事国すべての賛成が必要となっている。

 それに加えて、世論は独立都市国家『トウキョウ』に対して批判的だ。決議の結果など、わざわざ話し合いをするまでもなく明らかだった。


 ──さて、そろそろか。


 会議場ここではない場所からチドリを遠隔操作しているレベッカが、人知れず口元をほころばせる。

 すると直後、常任理事国代表のうち何名かがメッセンジャーからの耳打ちを受け、その内容に少なからず動揺どうようしめし始めた。

 そんな彼らへと追い討ちをかけるように、チドリが言葉を発する。


《あら、如何いかがなされましたか? まるで極秘裏に動かしていた対テロ作戦が、なんの成果も挙げられずに失敗してしまったような落胆らくたんぶりですが》

「……ッ!」

《ふふっ、あくまでたとばなしですよ。ですが、もし仮に我が国を武力制圧するようなやからが現れたとすれば、我々はをもって、事態の対処に当たらせていただきます》

「そうやって力を誇示こじすることで、私たちを従わせるつもりか……!?」

《いいえ。我が国は他国への侵略行為をしとせず、恒久的な平和維持につとめることをなによりの美徳びとくとします。暴力で従わせようなどと、野蛮やばんな時代はもう終わったのですよ……ツェッペリン殿》


 皮肉をきわめたような冷笑を浮かべるチドリに、これまで高みの見物を決め込んでいた議長の顔が豹変ひょうげんする。

 チドリは何食なにくわぬ顔で続けた。


《そうそう。月面にあるマスドライバー施設の管制システムが、によって掌握されてしまったようですね》

「き、急に何を言っている……?」

《もし誤作動が起きて地上に大岩でも落下してしまえば、きっと大変なことになるでしょうねぇ。……例えば、この国連本部ビルとか》

「っ……!?」


 まるで世間話をするような調子で放たれたチドリの発言に、その場がどっとざわめき始める。

 彼女の言っていることが本当に起きてしまえば、この場所にいる全員……すなわち各加盟国の代表たちが一斉に失われてしまう事になる。


 ……いや、そうではない。

 仮にこのビルが倒壊するような事態になったとしても、ただ一人だけ助かる人物が存在するではないか。

 それは半透明ホログラムの体で議席に着いている、決して触れられざる電脳の妖精。

 たとえ今ここでで拳銃を撃ったところで、彼女を殺すことは誰にもできず、取り押さえて外へと連れ出すこともできない。

 もしこの場にでも落ちてきたとすれば、きっと実体を持たない彼女だけが無傷で済むことだろう。


「馬鹿な、あれは300人委員会の許可がなければ使えないはず……まさか」

《おや? 存在も定かではない秘密結社の名前をここで聞こうとは。まぁそんな与太話よたばなしともかく、そろそろ決議を取り行ってもらいましょうか》


 決議を急き立てるチドリに、代表たちはそれぞれおどろきやいきどおりといった表情を浮かべる。

 彼らは知るよしもないだろう。

 この少女を影で操るものが、偶然にも世界を裏で動かす秘密結社──そのトップたる人物オズワルドの識別IDを入手し、成り済ましているということなど。


「貴様ッ……我々を人質にとったつもりか!?」

《さて、何のことでしょう? 我々は他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、また他国同士の争いには一切介入いたしません。我々はただ、認めて欲しいだけなのです》


 チドリは一呼吸おいてから、はかなげに告げた。


《人が人として、その権利を認められる場所……誰の悪意にも染まることのない、純白で美しい世界くに。その実現を──》


 使

 


 そんなレベッカの想いをチドリが代弁した、数時間後。

 決議は至ってな話し合いのもとで行われ、こうして独立都市国家『トウキョウ』の樹立は、正式に認められたのだった。





 関東地方郊外の僻地へきちにひっそりとたたずむ、歳月を経た美しい邸宅ていたく

 その一室をおとずれた青年──いな、男装をした麗人れいじんは、椅子で待ち構えていた家主やぬしへと声をかける。


「久しぶりだね、

「ああ……待っていたよ、ティニー。いいや、今はもう一つの名前で呼ぶべきか」

「好きに呼んでいただいて構わない。だから護衛の者も付けていないのだろう、日本国内閣総理大臣……江ノ島えのしま紅葉こうようさん?」


 冗談めかしく匠がたずねると、その壮年そうねんは力ない苦笑を浮かべる。

 彼の名は江ノ島紅葉。その姓が示すようにウィルフリッド=江ノ島の弟であり、匠に密会の誘いを持ちかけた張本人であった。


「では、ティニー。折り入って君に……いや、に頼みたいことがある」


 紅葉はそのように前置きしたうえで、さっそく相談を持ちかける。


「現在首相官邸わたしたちは、独立都市国家『トウキョウ』を名乗る武装集団からの領土奪還作戦を極秘に計画している。自衛隊だけでなく有志軍も加えた、極めて大規模な作戦となるだろう」


 日本政府や国連が反攻作戦を画策かくさくしているであろうというのは、匠も予期していたことだった。

 革命を起こされた側がそのような行動に移るのはある意味当然の流れでもあったが、匠はえて冷たく現実を突きつける。


「戦略ミサイルを108発も撃って墜とせなかったアーマード・ドレスに、で対抗できるとでも?」

「そ、それは……」

「さらに言えば、国内の世論だって支持派と反対派で五分五分ごぶごぶに分かれている。いや、占領地内トウキョウだけでいえば圧倒的に支持派が優勢か。ただでさえ安保理あんぽりの承認騒動で人々は混乱しているというのに、そんな作戦を強行したりすれば……」

「わ、わかっている。しかしこれは、もうすでに国連うえが決定してしまったことなのだ。私の一存ごときでは今さら止められない……!」


 聞きながら、『なんて勝手な話なんだ』と匠は思った。

 匠個人としては“独立都市国家トウキョウ”の樹立について賛成も否定もしていないつもりではあるが──だからといって、あくまで安保理のルールにのっとった彼らを、今さらになって武力で抑えつけようというのは、あまりにも虫がよすぎる。

 第一、彼らがこうして独立をこころざすようになったそもそもの原因は、もとはと言えば国連側が作り出したものだろうに──。


「話は読めた。つまりゼスパーダに唯一対抗できる我々アクターにも、奪還作戦への協力を要請したい……と」

「結論を言えば、そういうことになる」

「……見損なったよ、叔父さん。あんた達はあれだけアクターを実験動物モルモットのように扱っておいて、自分たちの利権や立場が危うくなれば、今度は私たちを頼るのか……!」


 あまりにもいさぎよすぎる手のひら返しに、匠はあきれを通り越して怒りを覚える。

 そもそもアーマード・ドレス対アウタードレスというマッチポンプを仕組んだのも、そのために関東全域を実験都市として再開発したのも、すべてはオズ・ワールドと日本政府が共謀きょうぼうしたからだ。

 被害をこうむったのはアクターだけではない。何も知らない国民たちまで危険にさらしておいて、今度は『私たちを守ってくれ』だと? 冗談ではない!

 激しい口調で言いつのった匠に、紅葉は青ざめた顔で抗議する。


「仕方なかったんだ……お、脅されていた! 国連や、そのバックに存在するもっと大きな組織に逆らえば、家族の命はないと……!」

「なんて器量の小さい……国を背負っている男なんだぞ!? その自覚は……」

だって精一杯の努力はしたさ! だからって、より大きな力を持った者から国民を守ろうとしたなら、その力の下にすがるしかないじゃないかッ!」


 とうとう開き直ったように逆ギレし始めた紅葉に、匠は心の底から落胆する。


「寄生虫だ、あんたは……」

「どう言われようとかまわない……私はただ、国民を守るという義務を果たしただけなのだから……私はなにも間違っていない……」

「やはりあんたは信用できないな。悪いが先ほどの要請は、つつしんで辞退させてもらう……世論からの信用が地に堕ちた理由を、少しはじっくりと考え──」

「ま、待ってくれ……ッ!」


 すぐに匠が立ち去ろうとしたとき、その足元に必死の形相をした紅葉がすがり付いてきた。

 仮にも国のトップに立つ男が、一切のプライドを捨てて床に頭を擦り付けているその様に、匠は思わず同情してしまう。


「私のことはどうしてくれたっていい! 全てが終わったあとでさらしあげてくれてもかまわない! だがせめて、今だけはどうか力を貸して欲しい……! この混乱を治められるのは、君たちアクターしかいないんだ……!」


 痛烈に訴えかけてくる紅葉を見て、匠はふと理解する。

 この男はただ、自分の手がとどく範囲内で最善を尽くしているだけなのだ。

 ただ視野があまりにも狭く、くわえて英断を下すほどの胆力たんりょくが決定的に欠けてしまっている……というだけで。


 少なくとも彼自身の思想に悪意はない。

 目の前の男をみてそう感じた匠は、内心で少しだけ安心した。


「頭をあげてください、叔父さん」

「ティニー……! まさか、協力を引き受けてくれるのか」


 希望に縋るような目で見つめてくる紅葉だったが、すぐに匠は首を横に振る。


「残念だが……これ以上なにを言われようと、我々はあなた達の下手に付くつもりはない」

「そ、そんな……」

「しかしながら、『この事態を収拾させたい』という点については私も同意見だ。よって我々は我々で、独自の行動を取らせてもらう」

「なに……?」


 意外な答えを聞いた紅葉は目を丸くする。

 やがてその意図を理解したとたん、彼は思わず顔面を蒼白させた。


「ま、待ちたまえ……まさか君たちは、行動を起こそうというのか!? そんなことをすれば……」

「ああ。力を持った我々アクターもまた、世界の敵と見なされるようになるだろうな。不本意ではあるが、それもやむを得ないだろう」

「正気か、ティニー! 総理大臣の血縁者でもある君が……」

「違う」


 紅葉の抗議をさえぎるように言ったあと、匠はもう一つの名前を告げる。


「その名はもう捨てた過去。今の私は、くれないたくみだ」


 これまでのように、裏で政府と連携するのではない。

 アーマード・ドレスという力を、“世界の抑止力”として機能させる。


 そのちかいいと覚悟の第一歩として、匠は自ら悪役ヴィランとして名乗ってみせた。

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