自戒と贖罪の鎮魂歌(レクイエム)編

Live.87『覚めぬ夢の寝正月 〜THE STATE OF SLEEPING ALONE〜』

 高度50キロメートルの成層圏で破壊された大岩の破片は、地球の重力に引かれて落ちていった。

 そのことごとくは空気の圧縮と摩擦熱によって燃え尽き、年が明けたばかりの夜空にきれいな曲線を描き、きらめきとともに消えていく。


 ちょうどこの時間に空を見上げていた者は、思いもよらぬ流星群の到来に胸をおどらせ、幸運を噛みしめるように魅入みいっていたことだろう。

 だが、大勢の人々が宇宙の神秘さに想いをせていた一方で、流星群のシーズンでもないこの夜にそれを観測できたことを不自然に思った者は、ほとんどいない。

 ましてや流星それの正体が、マスドライバーから発射された“大質量弾”であることを知る者などごく少数であるし──その中にコントロールを失ったアーマード・ドレス“ゼスマリカ”が紛れていることを知る者は、さらに限られた。





 地上に落下したゼスマリカは、程なくしてオズ・ワールドリテイリングJPの部隊に回収された。

 幸いにも落下地点は街から遠く離れた山岳地帯だったため、奇跡的に怪我人や死傷者が出るようなことにはならなかった。

 そうして山肌に不時着したまま動かなくなったゼスマリカはヘリ数台によって輸送され、中で意識を失っていたアクターもすぐに医務室へと運び込まれた。


「……それで、ゼスマリカの状況は?」

「落下時の衝撃でフレーム駆動部に問題が発生していること以外、目立った損傷はほとんどありませんでした。どうやら“マスカレイド・メイデン”が常時展開していたヴォイドの障壁バリアが、緩衝材として働いたようです」

「アクターの無意識な防衛本能が、図らずも自身と機体を守った……ということね」


 結論から言うと鞠華とゼスマリカは、なんと慣性制御すらも効かないという極めて絶望的な状況下から、辛くも生還してみせたのだった。

 整備士からの報告を聞いたレベッカは安堵の息をつき、それと同時に表情をくもらせる。


「機体が無事だったことはいいわ。けれど……」


 レベッカはやりきれないような顔を浮かべながら、医務室の中の様子が映し出されたモニターを見やる。

 ベッドの上に目を向けると、ゼスマリカのコントロールスフィアから救出されたまま、未だ目覚めぬ眠り姫──逆佐鞠華の姿がそこにはあった。





「鞠華のやつ……まだ目を覚まさねぇのか?」


 医務室に入ってきた嵐馬がきながら、ベッドの上に視線を向ける。

 彼の後ろには百音や紫苑の姿もあり、三人が見舞いに来たのだということはわざわざ聞かずとも明らかだった。

 先に医務室をおとれていた匠は低くうなずいたあと、複雑な面持ちで嵐馬たちに答える。


「ああ。作戦終了からすでに18時間ほど経過しているが、まだ一度も意識は戻っていない」

「そんなにケガがひどいの……?」


 心配そうに鞠華の顔をのぞきこむ紫苑だったが、匠は彼女の肩に手を置きながら首を横に振る。


「……いいや。落下の衝撃のほとんどを“マスカレイド・メイデン”か肩代わりしてくれていたおかげで、幸いにも外傷は大したものではないようだ」


 彼女の言うように、ベッドの上に横たわっている鞠華は口に呼吸器を付けられてこそいるものの、これといって深い怪我を負っている様子ではなかった。

 目を閉じたまま眠りに落ちているその顔は、無防備に幼くさえ見える。


「怪我がないなら、どうして──」


 百音がたずねようとしたそのとき、不意に横から聞こえてきた声がそれに被さった。


「ヴォイドの力を引き出しすぎた結果さぁ。……あるいは、その“代償”とでも言うべきかねぇ?」


 声のした方向に全員が振り向くと、そこには麻酔銃で眠らされていた水見優一郎がいた。

 ベッドから半身を起こそうとした彼は、自分の手足が器具で拘束されていることに気付き、気に食わなそうに顔をしかめる。


「テメェ、そんな言い方は……!」

「わかるように説明して、水見さん。マリカっちのこの症状は、ドレスギャップが原因じゃないの?」


 今にも殴りかかりそうな嵐馬を制しつつ、百音は自らの推測を述べる。

 彼がそのように思った理由としては、以前にも嵐馬が“ネコミミ・メイド”を使用したときに、同じような症状に陥ったことがあったからだ。

 しかし水見はすぐにその考えを否定すると、ヴォイド媒介者専門医として視診した結果を口にする。


「逆だ。そいつぁせいで、一時的なショック症状を起こしてやがるのさ」

「まさか……アーマード・ドレスの力を限界以上に引き出してしまった影響が、アクターにまで及んでしまっているということか」

「早い話がそういうこった。……そうだな、とりあえずこいつを“過剰適合者オーバード・アクター”とでも呼ぶことにしようか」


 匠の発言に頷くと、水見は簡単に説明をはじめる。


「逆佐のやつはおそらく、適合シンクロ率の上昇にともない『肉体と機械の器インナーフレームの境界線』がだんだんと曖昧になってきてやがるんだ。アクターと機体が、文字通り“同一の存在”になりつつある……と言ったほうがわかりやすいか」

「その、境界ってのが薄くなっちまうと……どうなるんだよ?」

「はじめは『自分の体がまるで本当の体じゃない』といったような、“身体的違和感”を感じるようになるだろう。そのまま“過剰適合”が進行すれば、症状も次第に悪化していき……



 ……やがて


 水見の語った話の内容に、聞いていた全員が言葉を失っていた。

 とくに嵐馬と紫苑はなにか心当たりがあったように、かげりのある表情を浮かべる。


「そういやあのとき、コーヒーの甘さを感じ取れていなかったのも……」

「………………」

「それなのに、笑って誤魔化しやがって……あのバカ野郎」


 もしかしたらあの時からすでに、鞠華をむしばむ“過剰適合”の兆候は現れていたのかもしれない。

 その些細な変化に気付いてやれなかった自分の至らなさを、嵐馬たちはただ悔やむことしかできなかった。


「……だからもう、これ以上あいつをアーマード・ドレスに乗せるな。一応言っておくが、こいつぁ医者としての警告ドクターストップだからな」


 水見は念を押すように言うと、それきりこちら側に背を向けて不貞寝ふてねに戻ってしまった。

 その意外な言葉に全員が唖然としている中、彼らを代表するように嵐馬が自分たちの総意を述べる。


「……ところでずっと聞きたかったんだけどよ。結局アンタは悪者ワルモノなのか、善者イイモノなのか、どっちなんだよ?」

「俺は医者だ。それ以上でも以下でもねぇよ」


 水見は間髪かんぱつ入れず、すこしあきれたように即答した。





「ゼスタイガの修理状況はどうなっておる?」

「え、えと……郊外の基地に移動して、あと二日もあれば完全に治ると言われましたわ……」

「うむ。それならば無事に、わしらの計画もいよいよ最終段階へと移すことが叶いそうじゃな」


 横浜の某所にある、建設途中のまま工事が止まっている建設現場。

 その建物内でオズワルドは、大河と明日以降の行動について話し合っていた。


「今日この日に辿り着くまで、あまりにも長い道のりだった……じゃが『ほどこしの時』は、もうすぐ目の前にまで迫っている……わしはそれが、たまらなく嬉しい」


 この時のオズワルドを満たしていた感情は、激しい喜びと未来あしたを待ちわびる期待だった。

 彼は小さな両手をいっぱいに広げながら、まだ骨組みしかされていない壁から吹き込んでくる風を一身に受ける。


「大河、わしは人類ひとが好きじゃ。矛盾に満ちたこの世界ほしが好きじゃ。聖人君子せいじんくんしだろうがクズだろうが関係ない、この世すべての森羅万象ありとあらゆるものを愛しているのじゃ」


 まるでお気に入りの曲のフレーズをうたうように語るオズワルドの言葉は、嘘偽うそいつわりのない本心からだった。

 その言葉は大河にも向けられていながら、しかし彼のほうを振り向くことなく続けられる。


「もうすぐじゃ……もうすぐで人類は、世界は、わしの“愛”によって満たされる。人と人とを隔てる“心の壁ドレス”がなくなれば、誤解や争いもなくなる……そんな優しい新世界の扉を、わしらの手で開くのじゃ……」

「………………」

「む……? 聞いておるのか、たい──」


 先ほどから返事をしない大河のほうを、オズワルドがようやく振り向こうとしたそのとき──。


 次の瞬間、脇腹のあたりに鋭い激痛が生じ、さらにそれは一瞬にして全身へと広がっていった。


「……っ!? ……ぐぁっ……!!」


 突然の衝撃に何が起こったのかもわからないまま、オズワルドは痛みでうまく定まらない視線を自分の腹部へと向ける。

 するとそこには──まるで幼い身体から脾臓ひぞうえぐり出そうとするかのように、両手で握られたナイフが突き刺さっていた。


「……たい……が…………?」

「オズワルドぉ……わたくしを……もっとわたくしを“愛”して……」


 大河の着ている白のゴスロリ衣装に返り血がにじんでいく。

 わけがわからなかった。

 オズワルドはこんなにも、彼を含めたすべての人類を愛しているのに──。


 頭に浮かんだそのような疑問は、すぐに足の底から頭の頂点までを突き上げるような痛みによって上書きされる。


「わたくしを見て……を“愛”して……」

「な…………にを…………」

「世界を“愛”で満たす……? あんたがそんなコトをする必要はありませんでしてよ……貴方様あなたさまはただ、このあたしだけを“愛”していればいい……それ以外に“愛”を向けちゃあ……ウフフ、ダメなんですわよ……?」


 渇いたような笑みを張り付かせながら、大河は突き立てたナイフの刃をぐりぐりとねくり回す。

 彼自身、自分が何をやっているのかを理解していなかった。

 ただ、胸の奥底をうごめいているような熱くドス黒い衝動に身を任せ、気がついたら想い人オズワルドをこの手で刺していたのだ。


血迷ちまよったか……」


 そう静かに呟いた直後、オズワルドはドサリとその場に崩れ落ちた。

 手にどっペリとこびりついた血を見て、大河もようやく正気を取り戻す。


「えっ……あ……」


 たったいま自分の犯したあやちに気付いたとたん、取り返しのつかないことをしてしまった恐怖に顔が青ざめてしまう。


「ち、違うの……あたしはただ、こんなつもりじゃぁ……」


 ただの刹那的な衝動。独占欲の暴走に過ぎなかったのだ。

 だが、涙ながらに謝る大河に対し、もはや応える声はなかった。


「そこに誰かいるの!?」

「ひっ……」


 建築現場のかげからひびいた女性の声に、大河は思わず肩をひくつかせる。

 そちらに目を向けると、闇の中からはレディスーツを着た金髪碧眼の女性がゆっくりと歩み寄って来るのが見えた。

 大河にとってはかつでの上司ボスでもあった人物──レベッカ=カスタード、の人だった。


「あなたは……ゼスタイガの」

「わ、わたくしじゃない……! あたしは……わたくしは……」


 嗚咽おえつしながら言葉に詰まってしまっている大河と、彼の周りに広がっている惨状をみて、レベッカはここで起きたおおよその事態を把握する。

 彼女は泣き崩れている大河の肩にそっと触れると、気遣きづかわしげに声をかけた。


「行きなさい」

「えっ……?」

「あとの処理は私がなんとかしておくわ。だからあなたは“何もしていない”し、“何も見ていない”……いいわね?」


 レベッカの言わんとしていることを暗黙のうちに理解した大河は、まだ現実に起こったことを半分も呑み込めていない状態のままふらりと立ち上がる。

 そして彼はおぼつかない足取りで、先ほどレベッカが歩いてきた階段のほうへと一目散に走っていった。


(……行ったか)


 レベッカは血まみれの現場に向き直ると、動かなくなった少女の亡骸なきがらを抱き上げる。

 その小さく軽い感触は、データで閲覧した“君嶋千鳥”のものと全く同一と呼べるものだった。

 流れ出る血液の熱さとは反比例するように冷たくなっていく幼い体に、レベッカは人知れず肩を震わせる。


「……?」


 何かが落ちたような物音に、レベッカはふと顔を上げる。

 すぐに音のしたほうを見やると、情報端末らしきものが床に落ちていた。どうやらオズワルドの着ている衣服のポケットからこぼれ落ちたらしい。


 レベッカは血にまみれたそれを手で拾い上げると、手慣れた動作で立体映像ホログラムの画面を出力させる。


(……これは、使えるかもしれないわね)


 ほほに一筋の汗が伝うのを感じながら、レベッカは心中で呟いた。

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