Live.85『西へ東へ大晦日 〜THE CAR RUN ALL TIME ON NEW YEAR'S EVE〜』

 2030年12月31日。

 時刻は午前7時30分。


 人々が新たなる年を迎えるべく準備をしていた日の朝に、突如として避難勧告は発令された。

 内容は、首都東京の中心部、及びその周辺地域の住民たちに退避を促すもの。

 その理由は、同エリアに、地域住民への危険や二次被害を考慮したため──と公には発表された。


 そうして朝っぱらから住民たちは大移動を強いられ、ようやく落ち着いていた帰省ラッシュの再来と言わんばかりに各交通機関が混雑することなった大晦日おおみそか

 

「ちーちゃんっ!」

「あ、アリス……?」


 まだ面会時間でないにも関わらず、いきなり病室に駆け込んできた少女を見るなり、ベッドに横たわっている藤崎ふじさき千歳ちとせは目を丸くした。

 その闖入者ちんにゅうしゃ──アリス=カスタードはここまで走ってきたのか、かなり息を荒げている。


「い、隕石が降って来るかもって話、ちーちゃん聞いた……?」

「やっぱりその事かぁ……うん聞いたよ。あとでお父さんとお母さんが車で迎えにくるって」

「そっか……よかったぁ……」


 アリスは安堵の息をつくと、とたんに緊張の糸が解れたのか地面にへたり込んでしまう。

 ここまで親身になって心配してくれる友人がいたことを、千歳は心から嬉しく思った。


「あたしのことはいいけど……アリスはどうするの?」

「へっ、私……?」

「だってほら、お姉さんとの連絡も付いてないんでしょ? 家にも全然帰ってないっていうし……」


 千歳の無事を確認してすっかり胸を撫で下ろしていたアリスは、自分の心配をしていなかったことにようやく気付く。

 事実としてここ一週間ほどの間、レベッカが家に帰宅してくることは一度もなかった。

 さらに言えば連絡もろくに取れていないため、彼女が今どこで何をしていのるかさえもアリスは全く把握できていない。


「やっぱり考えてなかったかぁ……」

「うん……ど、どうしようちーちゃん」


 そうしてアリスが顔をうつむかせていると、千歳のほうからある提案を持ちかけてくる。


「もし他にあてがないならさ、アリスもうちの車で避難しちゃいなよ」

「えっ……?」

「そりゃあ、お姉さんが心配なのもわかるよ? だけどそれでアリスが危険な目に合っちゃったら、もともないって!」

「う、うん……そうなんだけど……」


 千歳が自分の身を案じてくれていることはとても有難ありがたかったが、それでもアリスは二つ返事で承諾しょうだくすることを思わずためらってしまう。

 彼女が気がかりに思っていることは他でもない。行方知れずの姉と、その同業者の少年の安否についてである。


(なんか大変な騒ぎになってるけど……お姉ちゃん、大丈夫かな。それに逆佐さんも……)


 二人のことを心配するあまりどうにかなりそうになっていた、その瞬間。

 まるでタイミングを見計らったように、ポケットの中に入れていたスマートフォンが振動を始めた。


 予期せぬ着信にアリスはおろか、千歳までもが思わず驚いてしまう。

 それもそのはず、彼女たち一般市民はつい先日まで通信インフラを理由も告げられずに規制されていた身であり、それが今朝になって急に復旧したことにも疑問を抱かずにはいられなかった。


 かくしてアリスは半信半疑といった面持ちのまま、とりあえず通話に出てみることにする。

 すると耳に押し当てたスピーカーからは、少女のように甲高い少年の声が発せられた。


《もしもしアリスちゃん!? 無事? てか生きてる!?》

「さ、逆佐さん……!? ええまあ、これから避難するところですけど……」

《それはよかった……。ホント危ないから、早く安全な場所に逃げてね! いい、絶対だよ!?》

「は、はぁ……」


 面食らったアリスはつい素直に受け答えしてしまったが、積もり積もった話を思い出したため慌てて聞き返す。


「……いやいや、危ないのは逆佐さんも同じなのでは!? いま横浜にいるなら、一緒に逃げ──」

《ごめん。それだけはできない》


 アリスには最初、彼が何故そのように言ったのか理解できなかった。

 別にアウタードレスが出現しているわけでもないのに、アクターである彼が避難を渋ったことに違和感を感じたからである。まさかアーマード・ドレスで隕石を押し返すつもりじゃあるまい。


 しかし一旦冷静に考えてみると、鞠華の言わんとしていることは薄々と勘付くことができた。

 彼が隠そうとしている──あるいは、隠さなければならない事情がある──ことを察したアリスは、最後に一つだけ訊ねる。


「……お姉ちゃんも、そこにいるんですか?」

《うん。でも、大丈夫。レベッカさんもアリスちゃんも、僕が守ってみせるから》


 “守ってみせるから”。

 嘘を突き通すことも忘れて本音を喋ってしまった鞠華に、アリスはわずかに苦笑をこぼしたあと、


「……わかりました。無茶はしないで下さいね」


 彼女もまた彼女なりのエールを送り、そこで通話を終えた。

 スマートフォンを仕舞い、再びベッドのほうを振り向く。

 するとそこには、何やらニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべている千歳がいた。


「な、なに……?」

「にゃはあ、電話してるアリスちゃんがあまりにも可愛かったから、つい」

「そ、そんなにヘンだった……!?」

「全然〜ン? むしろ、この勢いのまま告っちゃえよって思ったまである」


「はぁ……それなら前にやったよ」

「え、嘘、なにそれ初耳」

「………………」

「で、結果は?」

「告白だって気付かれないまま終わった」

「なにそのレアケース」


 ほろ苦い記憶を思い出してしまったアリスは、がっくりと肩を落として落ち込んでしまう。

 そんな彼女の体を千歳はとつぜん、なにを思ったのか不意打ち気味に抱き寄せるのだった。


「ち、ちーちゃん……?」

「それでもマリカさんのこと、好きなんだよね?」

「えっ……」

「わかるよ、だって顔に描いてあるもん。お姉さんのことも、心配で心配で胸が張り裂けそうだって」


 千歳に本心を言い当てられたアリスは、しかしそれを認めることをつい躊躇ためらってしまう。


「でも、私が逆佐さんやお姉ちゃんのことを勝手に心配して、逆に私のほうが心配されることになっちゃったら、元も子もないって……」

「“アリスがそれを望んでる”なら話は別っ! だって人を大切に想うことが、いけないわけないもん!」


 千歳はアリスの両肩にポンっと手を置くと、改まったように真剣な眼差しで彼女と向き合った。

 どうしてよいのかわからず途方に暮れている様子のアリスに、千歳は優しく道を指し示す。


「だからさ。行ってきなよ、アリス」

「ちーちゃん……」

「それで二人に言ってやりなよ、『お前達がオレの翼だぁ〜』って!」

「……ぷっ、何それ」


 気がつくとアリスは、まるで憑き物が落ちたように気分が軽くなっていた。

 それを見て千歳も安心すると、ふと思い出したように頼みごとをする。


「えと……それとさ、あたしからもマリカさんに伝えて欲しいことがあるんだけどさ」

「?」

「あっ、別にあたしも便乗してコクろうだとか、そういうのヤマシイことじゃないから安心してね!?


 ……それで話ってのは、なんだけど……さ」


 千歳は申し訳なさげに言いつつも、視線をベッドに横たわっている自らの下半身へと落とす。

 腰のあたりから先端まで包帯をぐるぐるに巻かれた二本の脚。そのうちの片方──右側の脚が、


 今より一週間半ほど前。

 横浜の街に“マスカレイド・メイデン”が降臨し、自我を失って暴走した。

 これはその時の、決して消えない傷跡きずあとだった。


「マリカさんは優しい人だから、わたしのこともきっと責任を感じちゃってると思うんだ」


 千歳の危惧している通り、以前アリスがこの話を打ち明けたとき、鞠華は非常に罪の意識を感じている様子だった。

 そして彼の性格上、きっとこの先も重い十字架を背負い続けることとなるだろう。

 千歳はそれを気の毒に思わずにはいられず、ゆえに一刻もはやく彼を罪の鎖から解放してやりたいと考えていたのだ。


「あれはただの事故だって、だからマリカさんが気に病む必要はないって、それだけ伝えておいて欲しいの」

「ちーちゃん……」

「はい、話はこれでおしまいっ! 次に会ったときには、あたしにもいい結果を聞かせてくれよ〜ん?」


 わざとらしく微笑んでみせる千歳をみて、アリスもまた泣きそうになるのをこらえて笑顔を浮かべる。


「うん……! ありがと、ちーちゃん。また来年会おうね!」

「うん、また来年っ!」


 親友へと別れを告げたアリスは、ようやく迷いを断ち切ることのできた澄み切った表情で病室を後にしていく。

 そんな彼女の背中を見届けたあと、千歳はスッと全身の力が抜けたようにベッドへ倒れ込んだ。

 呆然としたまま、ふと天井を見上げる。


「これでよかったのかなぁ」


 今しがた親友を送り出しておきながら、ついそのようなことを呟いていた自分に嫌気がさしてしまう。

 自分も少しは彼女を見習って、もう少し素直になるべきなのかもしれない。

 しかし、彼女が思いを告げるべき相手はすでにこの場を去ってしまっていた。


「……わかんないや」


 それから数十分後に両親が迎えに来るまでの、しばらくの間。

 少女は誰にも知られることなく、ただ静かに枕を濡らしていた。





 それから約16時間後。

 現在時刻、午後11時30分。


 “隕石が落下する恐れがある”というダミーの勧告により、住民の避難が9割以上完了した。

 まるでゴーストタウンのような静けさを保っている横浜の街並み。その木々のように立ち並んでいるビル群のなかに、6機のアーマード・ドレスは並び立っていた。


《ブリーフィングでも説明したけれど、手短に内容を確認するわ》


 コントロールスフィアの中で待機中の鞠華は、レベッカの乗る“ウェディング・ゼスタード”から流れ聞こえる通信音声に耳を傾けた。

 彼女はデータリンクで情報資料を共有しながら話を続ける。


《本日11時45分──つまり今から約15分後に、計3つの発射施設ポイントから一斉にミサイル攻撃が開始されます。弾頭の数は全部で108発……単純に計算して、一人あたり18発のミサイルを迎撃してもらう必要があるわ》


 鞠華はもちろん、通信を聞いていたアクター全員が息を呑む。

 108発、全ての戦略ミサイルを撃ち落とす……言葉にしてしまえば笑ってしまうほどにシンプルだが、その難しさは『サッカーのゴールキーパーが108点分の無失点記録を更新する』ような、もはや神業じみた芸当だ。


 そして何より、失敗は絶対に許されない。

 いくら避難が完了しているとはいえ、一発でも着弾を許してしまえば、この眼下に広がる街は一瞬にして壊滅してしまうのだから……。


《迎撃方法は主に、飛び道具を用いた遠距離からの破壊。これはゼスマリカ、ゼスモーネ、ゼスティニーの3機に行ってもらいます。もし弾頭部の切り離しに間に合わなかった場合は、後陣に構えた残りの機体が至近距離にてこれを迎撃、起爆させてください。爆破の衝撃を“クローゼット”機能で作り出した圧縮空間に封じ込めます》


 量産型エンキドールではない、純正のアーマード・ドレス──より厳密に言えば、それに搭載されているワームオーブ──には、物質を空間ごと圧縮する能力が備わっている。

 本来ならばこの機能は、ドレスを内部格納空間クローゼットに仕舞うためのものだ。それと同じ要領でミサイルの爆発を空間ごとしてしまうことも、理論上では確かに不可能な話ではなかった。


《ったく、こんな縁起の悪ぃ“除夜の鐘”はこれっきりにして欲しいぜぇ……》

《……ゴメン、嵐馬くん。本当ならあたしが、もっと早く止めておくべきだったんだけど……》

《いや、別にお前が謝ることじゃねぇぞ……?》

《その通りだ、星奈林。お前が何を言ったところで、こうなる運命は変わらなかっただろうさ。ウィルフリッドは……私の父はどうやら、ずっと以前から発射の手筈を整えていたようなのでな》

《……お父さんのこと、まだ許せない?》

《いいや……私が真に許せないのは、父の寂しさを理解してやれなかった私自身だ。こんなにも大勢を巻き込んでおいて言えた義理ではないが……私と父さんの“壮大な親子ゲンカ”は、ここで終いにしてみせるさ……》


 かつては敵同士だった嵐馬や百音との会話を経て、匠が新たに決意を固めていた……そのとき。


《予定通り、各発射基地にて打ち上げカウントダウンが開始された模様! まもなくミサイル全弾、順次発射されます!》


 それぞれの機体で待機していたアクターたちの耳に、オペレーターを務めるメイド・猫本ねこもともえのやや強張ったような声が響いた。

 その刹那、鞠華ははじかれたように待機させていたゼスマリカを起動。擬似神経回路によって視覚と同期されたツインアイで、まだ暗い上空を仰ぎ見た。


《全員、覚悟はいいわね? では──作戦開始!》

「逆佐鞠華、行きます!」


 星空を見上げた姿勢のまま、機体の周囲に空間障壁を張った“プリンセス・ゼスマリカ”がゆっくりと浮上する。

 次の瞬間には、地上から高度50キロメートルまで一気に跳躍ジャンプしていた。ワームオーブをフル稼働させることによって機動慣性を一時的に異次元で停滞させているため、身体に掛かるGもかなり軽減されている。


「いくよ、ゼスマリカ。みんなが明日を迎えるために……!」


 切実な思いを胸に、鞠華はモニターの示す指定ポイントへと飛翔していく。


 時に、12月31日 23時45分。

 一世一代、今年最後の大作戦──オペレーション“リンギング・ラストナイト鐘が鳴り響く夜”は幕を開けたのだった。

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