Live.83『天に挑む者たち 〜PRESIDENT’S OFFICE CLOSEST TO HEAVEN〜』

「あっ、起きた」


 重いまぶたをどうにかこじ開けると、すぐにこちらを覗き込む紫苑の顔が飛び込んできた。

 彼女の膝の上で目覚めた少年──逆佐鞠華さかさまりか明澄めいちょうさを回復しえない顔で半身を起こすと、まだぼんやりと不明瞭な視界をゆっくりと動かす。


「紫苑……ここは……」

「移動はしてないよ。ここで5分くらい気絶してただけだから」

「そ、それもそうか……」


 改めて辺りを見回すと、そこがまだ日の昇っていない横浜の街並みだということはすぐにわかった。周辺の建物やアスファルトには生々しい傷跡が残っているため、どうやら前の戦闘からそれほどの時間は経っていないらしい。

 近くにはゼスマリカとゼスシオンの二機がもたれかかるように佇んでおり、コントロールスフィアが開いていることから、自分が紫苑に助けられたのだということは一目瞭然だった。


「……? まりか、どうかした?」

「い、いや……ううん、なんでもないよ」


 心配そうにこちらを伺う紫苑をなだめつつも、しかし鞠華は少し戸惑った様子で景色を見渡す。


(なんだろう、左目がちょっぴり見えにくい気がするような……気のせいか?)


 そのような違和感を抱きかけていたとき、空を切り裂くような音が遠くから聞こえてきたため、鞠華はふと空を見上げた。

 二機のアーマード・ドレスが、ビルの向こう側から凄まじい速さで接近してきている。どちらも見慣れない衣装ドレスに身を包んでいたが、それらがゼスティニーとゼスパーダだということはすぐにわかった。


「ティニーさん! よかった、無事だったんだ……」


 秋葉原の方角からやってきたということは、おそらく彼女が無事アジトの防衛に成功したとみて間違いないだろう。

 ゼスパーダも一緒にいたことが少し気がかりではあるが、ともあれ作戦はどうやら次の段階フェーズへと移行した──ということらしい。


「紫苑、僕たちも急ごう」

「まりか……でも、まだ寝てたほうが……」

「もう十分に休んだよ。それに、って話さなきゃいけない人がいる」


 鞠華は低く答えつつも、頭上を通り過ぎていったアーマード・ドレスたちが向かった方向を見やる。

 その瞳の先には広大な敷地を有するオフィスが、まるで魔王の城のようにそびえ立っていた。





 ようやく辿り着いたオズ・ワールドリテイリング日本支社は──いくら出勤時刻前の深夜未明であるとはいえ──作戦行動中とは思えないほどにめっきりと人気ひとけが途絶えていた。

 あとで聞いた話によると、どうやら作戦の失敗をさとった百音もねが、オフィスに残っている社員たちに退避するよう呼びかけていたらしい。なおウィルフリッドやアメリカ本社に付き従っいた日本支社社員の大半は、彼らの意向に少なからず疑問を抱いていたのが実情だったようであり、(百音自身のカリスマ性も手伝って)幸いにも脱出は比較的迅速に完了したとのことだった。


 そうしてもぬけのから同然の状態と化したオフィス内の通路を、レベッカと匠は進んでいた。

 地下ドックで機体を乗り捨て、社長室のある最上階に向かうべくエレベーターのある地点を目指す。だがロビーへと辿り着いたそのとき、不意にこちらを付け狙う一発の銃声が響き、とっさに二人は左右に分かれるように跳躍した。


 身をひるがえし、遮蔽物しゃへいぶつに飛び込む。

 ちょうどレベッカの入ってきた入り口とは反対側に、拳銃を構えた男の姿があった。


「やれやれ。俺ってば本当は、なおす側の人間なんだがねぇ……」


 揺蕩たゆたっている硝煙をため息で吹き消したその人物は、手に握っている拳銃ものとは相反する白衣を身にまとっている。

 もはや見間違えようがない。ヴォイド媒介者専門医VMO水見みずみ優一郎ゆういちろうだった。


「よぉ、レベッカさん。こうして会うのはいつぶりかねぇ?」

「水見さん……」

「しかし、こんな形で会うことになるとは……ちと残念だなぁ。こう見えても俺、あんたのことは結構気に入ってたんだぜい? まっ、恋人にするにはちっとアレだが……いわゆる目の保養的なやつね」


 水見は気さくにも見える態度で話しながら、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。

 対するレベッカはいつでも応戦できるように拳銃を構えつつ、同じように柱を背にして隠れている匠へと小声で指示を飛ばす。


「私が彼の注意を引きます。その隙に、すぐそこのエレベーターに走って」

「しかしボス、貴女はどうするのです?」

「これは“命令”よ。大丈夫、私もすぐに追いつくわ」


 レベッカはそのように説き伏せると、指折りで3つ数え始める。

 そのカウントがゼロになった瞬間、覚悟を決めた匠は遮蔽物から飛び出した。


「おっとぉ! そうはさせな──」

(今だ……!)


 エレベーターに向かって駆けていく彼女へ、とたんに水見の持つ拳銃が向く。

 だが引き金を引こうとした直前──それよりも速くレベッカが手榴弾のピンを抜く素振りを見せたため、水見は射撃を中断してすばやく身を引いた。


「っ……!?」

「くっ……!」


 投げ放たれた手榴弾が、ロビーの中央で炸裂する。

 ガラス張りの壁面に一斉にヒビが入るほどの衝撃は、使用した当人すらも足を踏ん張らなければ吹き飛ばされかねないほどに強烈である。

 やがて爆煙が立ち退き、視界が再びクリアになった頃には、すでに匠はその場から姿を消していた。


「いやはや、感動的だねぇ。自らを危険に晒してまで部下を守るとは」

「水見さんこそ、まだここに残っているなんて随分と立派な忠誠心ですね。正直、そういうのとは程遠い人だと思ってました」

「オイオイ、ひどい言われようだなぁ。裏切り者は一応ソッチってことになってるんですけどー?」


 両者は遮蔽物に身を潜めながら、互いに一歩も譲らぬ舌戦ぜっせんと銃撃戦を繰り広げる。


「裏切ったんじゃない……私は初めから復讐のために、ウィルフリッド=江ノ島に近付いた!」

「ハッ、だったら尚更ダンナのところへ行かせるわけにはいかねぇなぁ!」


 遮蔽物からおどり出た水見は被弾を恐れずに駆け抜け、レベッカとの間合いを一気に詰める。

 彼はレベッカの持っていた拳銃を蹴りではたき落とすと、その勢いのままに彼女を押し倒した。

 かくして水見に馬乗りのまま銃口を突きつけられてしまい、反撃する術を失ったレベッカは哀しげに呟く。


「わからないわ……どうしてあの男をそこまで信じられるのか。それともまさか、研究の為なら誰につこうが構わない……なんて言うつもりじゃないですよね?」


 水見は医者であると同時に、ヴォイドと人間との関係性についてを専門とする研究者でもある。

 そんな彼がウィルフリッドたちの側につく理由があるとすれば、やはり彼自身の研究者としてのさががそうさせたのだとしか思えなかった。

 しかしレベッカの予想は、直後に続いた水見自身の言葉によって否定されることとなる。


「俺はサイエンティストである前にドクターだぜい。知的好奇心に負けてバカをやるような映画の悪役と、一緒にしてもらっちゃあ困る」

「なら、銃を下ろしてください」

「無理だね。おたくを見逃せば、ダンナたちの計画は阻止されちまう。そうなっちまったらこの国に未来はねぇ」

「未来ですって? あなたたちがもたそうとしているのは、ただの破滅でしょう……」

「“破滅”の先に“未来”があるんだよ、レベッカさん。俺とダンナたちはこの世界の医療を……いいや、生命いのちり方を変える」


 レベッカには目の前の男が何を喋っているのか、半分も理解できなかった。

 ただ一つだけ言えるのは、水見は“破滅”とは異なるビジョンを確かに持っており、それを実現するべく行動しているということ。その彼の細長い指が、ゆっくりと拳銃のトリガーへと添えられる。


「つーわけなんだ。悪ぃが、死んでくれや」


 引き金が引かれ、一発の銃声がその場に響く。












「な……に……?」


 わけがわからないといった表情を張り付かせたまま、はそっと崩れ落ちた。

 レベッカは自分に覆い被さったまま動かなくなった彼の体を退かすと、すぐさま撃鉄の鳴った方向を見る。


「殺してはいないよ。少し眠ってもらっただけだから」

「百音……さん……?」


 水見を撃ったのは、先ほどまで敵であったはずの人物──星奈林せなばやし百音もねの人だった。

 思わぬ人物がこの場に駆けつけたのを見るなり、レベッカは一瞬、『ゼスランマが敗れてしまったのでは?』と思ってしまう。だが百音のすぐ後ろに嵐馬の姿もあることに気付き、二人が何らかの理由で行動を共にしていることは理解できた。


「危ないところだったな、レベッカ」

「ええ……でも、安心するにはまだ早いみたいね」


 嵐馬の手を借りて立ち上がると、レベッカは先ほど匠が乗っていったエレベーターを仰ぎ見る。


(“破滅”の先にある“未来”……やはりウィルフリッドさん達の目指すゴールは、国連政府の目論もくむ“ドレスの殲滅”とは別のところにあるようね)


 言葉を字面通りに受け取るのであれば、彼らの主目的はミサイル攻撃を成功させることではなく、あくまで“その先”が重要ということになる。

 そして水見はその行為を“ドクター”として、“生命の在り方を変えるため”に遂行するとも言っていた。

 彼の語っていたことが本当に真実であるとしたら、自分たちの思っている以上に時間は残されていないのかもしれない。


(……絶対にさせないわ。どんな崇高な目的があったところで、私達の復讐は止まらない……)


 レベッカの怒りに燃えた碧眼が、じっとガラス張りのエレベーターシャフトを見つめる。


(……そうですよね、ティニーさん)


 先に決着をつけるべく行ってしまった同志の無事を、今はただ祈るしかなかった。





「何をしにきたのだネ」


 和服姿の老人がそのように問うと、


「あんたを止めにきた」


 と、タキシードを纏いし男装の麗人は答えた。


 オフィス最上階の社長室にたどり着いた匠の前には、今まさに追い求め続けた仇敵ちちおやが立っている。

 ……いや、もはや肉親などではない。父娘の縁など、とうに断ち切っているのだから。


 その男──ウィルフリッド=江ノ島はデスクに座りながら、平然とした様子で猫を撫で続けている。彼は目の前にいる娘の顔など見向きもせず、素っ気なく言葉を投げかけた。


「こうして直接会うのは、たしか……“あの夜”以来だったかネ」

「3年と、152日振りだ」

「ああ、そうだった……あれは本当に、ひどい雨の日だった。よく覚えているヨ……」


 社長机の上に優しく愛猫を置いたウィルフリッドが、のらりくらりと椅子から立ち上がる。

 彼は入り口に立っている匠に背を向けると、ゆっくりと和服の上着を脱ぎ始めた。


「あんたは昔からそうだった……仕事にばかり夢中になって、私のほうを決して見ようとはしない。父として、娘と向き合うことを放棄していた」

「………………」

「だが当時はそれも、仕方ないことだと納得していた。多忙のあまり家庭をかえみる余裕がないことは母から聞かされていたし、まだ小さかった私もそれくらいはわかっていたさ」


 こちらに背を向ける男は、黙ったまま決してこちらを振り返らない。

 ただ昔を懐かしむように、窓越しに見える真っ暗な横浜上空を眺めていた。

 まるで上の空のような表情が窓に反射して匠の目にも入り、彼女はより一層苛立ちを強める。


「父の仕事は、それくらい名誉や誇りのあるものなのだと……そう信じて疑わなかった。だから私も、同じような研究をやりたいと思うようになったんだ。あんたの……役に立ちたかったから」

「………………」

「けどその実態は、非道さと醜悪さを極めたような、吐き気を催すほどの愚行に過ぎなかった! そこにはなんの名誉も誇りも有りやしない……!」

「………………」

「何か言えよ! あんたは私と……死んだ母さんの思いさえも踏みにじったんだ! 母さんはあんたが裏で行なっていることを知らぬまま、あんたを信じて死んでいったんだぞ……!?」

「……もういい、母さんの話はよせ」


 上着を床に脱ぎ捨てたウィルフリッドが、ようやく匠のほうを向き直る。

 露わになった彼の上半身は、59歳という実年齢を感じさせないほどに鍛え抜かれているものだった。筋肉の層が何重にも積み上がったようなその肉体は、決してただの見掛け倒しではない。


「まったく……つくづくお前という娘は、いつもワタシを困らせる。親不孝者だという自覚はないのかネ?」

「黙れ。これ以上父親ヅラをするな……さもなくば、ここであんたを撃ち抜く……」

「ダメだ……ワタシは父としてお前と向き合わねばなるまい。どうしても撃つというなら、今ここでワタシを超えてみせろ……ティニー!」

「言われるまでもない……!」


 空手における組手の構えをとるウィルフリッドに対し、冷徹に拳銃の銃口を向ける匠。

 幾度となく哀しきすれ違いを続けてきた父と娘。その二人が、今まさに血脈という名の因縁に決着をつけようとしていた。

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