Live.80『泡沫の夢へ誘えど 〜EVEN IF THE DREAM WERE TO END, I WOULD STILL...〜』

 ──ランマって、たまーに女の子っぽい仕草をしますよね。


 前に一度だけ、鞠華からそのような指摘を受けたことがあった。

 たしかあれは、彼の家で食器を洗っていた時のことだったか。どうやら女形おやまの修行で身についた癖が無意識のうちに出てしまっており、それを見た鞠華と百音は思わずおののいてしまったらしい。


 その時はただひたすらに、『ボロが出てしまった』と自分を悔やんだ。

 普段は意識して男性っぽく振る舞おうとしているものの、気を抜いてしまうと自分の中にいる“女”が出てしまう。

 生まれた時から完璧な女形を演じるために叩き込まれた修行経験の数々は、いつしか彼にとって一種の呪いとも呼べる存在になっていた。


(本当の性別を忘れてしまうような気がして、怖かった。だから俺は、菊之助おんなという自分を押し殺していたんだ)


 自分を男ではなく、女としか見てくれない世間が許せなかった。

 そして……そのような環境で育ってしまった嵐馬だからこそ、彼がジェンダーに対する差別的感情を増長させてしまうのは、至極当然の流れであるとも言えた。


 その結果。

 鞠華の女装を否定し、百音のアイデンティティさえも貶してしまった。

 当時はそれが正しいことだと信じて、価値観を押し付けてしまったのだ。


 だが……今になって、思う。

 性にとらわれ、必死にあらい続けた人生。それによってつちわれた価値観が、自分自身さえも差別するようになっていたのだ──と。


(けど、違う……舞台の上の菊之助を含めて、俺は古川嵐馬なんだ。そうだったよな、鞠華)


 もとより歌舞伎とはそういう世界だ。世間一般の常識に自らを当てはめる必要など、はじめからなかったのだ。

 言いたいヤツには好きに言わせておけばいい。

 俺は俺らしく、ありのままにやらせてもらう!


「だからもう、考えるのはやめました。俺は……私は私自身の感情に従い、本当おんなのジブンを今ここにさらけ出しましょう」

《……つまるところ、その喋り方が素の状態か。口調が荒っぽくなる俺とは真逆ってワケだ》


 言葉とともに視線を交差させながら、二機のアーマード・ドレスはコンテナヤードの真上で向かい合ったまま静止していた。


《でもまあ、君がレイヤードレスアップに成功したってことは、こっちも本気を出していいってコトだよな。ならここから先は、全力で殺し合える……》

「いいえ。残念ながらこちらには、貴方あなたを殺めるつもりなど毛頭ありません」


 『あん?』と、サブモニターに映っている百音の顔が眉をひそめた。

 そのような反応を示すのも無理はない。なにせ彼とは互いに討ち果たす約束を交わしたうえで、実際に先程まで武器を向け合っていたのだから。

 自分がどれだけ無粋な発言をしているかを理解しつつ、しかし嵐馬は凛として本心を告げる。


「貴方を連れ戻す。そのために私は、この剣を振るいます」

《……ハッ、今さら過ぎるんだよぉッ!》


 黄金のドレスを纏いし“ゴールデン・ゼスモーネ”が引き金に指を添える。すると太刀を抜いた銀色の天女“ハゴロモ・ゼスランマ”もまた、吸い寄せられるように動いた。

 まるで一切の無駄が削ぎ落とされた、完璧であって美しいまでの踏み込み。弾丸の軌道を読み切ったうえで一気に懐にまで飛び込むと、下段の構えから逆袈裟けさに切り上げる。


「抜刀一閃──」

《だから遅ぇんだよ!》


 ──が、刃がゼスモーネを斬りつけるよりも先に、百音はとっさに機体を斜めにらせていた。

 体を捻らせ、こちらの斬撃を紙一重かわす。さらにゼスモーネは回避と同時に片脚をふり上げると、ゼスランマの空いた胴体を勢いよく蹴り込んだ。

 衝撃が腹部を貫き、吹き飛ばされた嵐馬は機体ごと後方に密集していた積載コンテナへと叩きつけられる。

 さらにゼスランマの重量によって押しつぶされた大量のコンテナが破裂し、白い粉末の白煙が一瞬にして視界を覆い尽くした。





 銃声が二、三度ほど鳴り響いた。

 黄金の銃弾をリボルバーに装填したゼスモーネが、身動きの取れなくなっているであろうゼスランマに向けてトリガーを引いたのである。


「俺はもう決めたんだよ。あの人の……ウィルフリッドさんのために、この命を捧げるって。今さら引き返すこともできなければ、そのつもりもねぇ……」


 けたたましい音を立てて崩れ落ちるコンテナを見下ろしながら、百音は嵐馬に──そして自分に言い聞かせるように、己の決意を吐き捨てる。


 ゼスランマの姿は煙で見えないものの、仕留めた手応えは確かにあった。

 いくら嵐馬がレイヤードレスアップを果たしたところで、彼よりもずっと以前からアクターだった百音との力量の差は歴然れきぜんである。

 百音が一瞬でも抱きかけていたそのような思い込みは、しかし不意を突くような嵐馬からの通信によってすぐに氷解した。


《──フッ、貴方はなにか勘違いをしているようですね》

「なにっ……!?」


 白い煙が徐々に立ち退いていく。

 そこには残滓ざんしのようなきらめきだけが残されており、そこにいるはずのゼスランマの姿はどこにもなかった。

 ハッとして百音が周囲を見回したそのとき、彼の視界の端で光る何かがぎる。


「そこか……ッ!」


 振り向きざまに二連式ショットガンを放つ。

 だが、散弾が捉えるよりも前に、羽衣はごろもなびかせる標的はすでにその場所から消え失せてしまっていた。

 百音は光の尾を引くゼスランマの軌跡を追って機体を旋回させ、二挺の銃を連射する。しかしその弾道は的外れな空間を貫くばかりであり、高速で動き回る敵機を捉えることはできなかった。


「この動きは……くぅッ!?」


 モニター側面に光が走り、百音は即応してショットガンを撃とうとする。

 しかし銃口が火を噴く寸前、突如として円筒部分が輪切りに裂かれ、ゼスモーネはとっさに蜥蜴とかげが尻尾を切り離すように投げ捨てた。


 百音は空中で機体を制動しつつ、背後の敵に向かって黄金のリボルバー拳銃を撃ち放つ。

 反応から発射までの短さに反比例した、おそろしく正確無比な射撃だった。

 しかし弾丸はゼスランマのわずか数センチを横切ると、機体から放出されている残像のような何かに着弾。破裂を起こし、その衝撃すらも勢いに変えてゼスモーネへと突っ込む。


《言ったはずです、私は“私自身”の感情に従うと……

「質量を持ったオーラ……? いや、違う。これは、ヴォイドのシャボン……!?」


 ゼスランマの全身から溢れ出ているそれは、桜色をした無数の泡沫ほうまつだった。

 つまり“ウタカタ・ハゴロモ”という名のドレスは、常に薄いヴォイドエネルギーの幕を噴出ふんしゅつしながら、生成と崩壊を繰り返すことによって驚異的かつ変則的なスピードを得ているのだ。

 百音がそれを脳裏で理解したその瞬間には、すでに桜色の光輝こうきを放つゼスランマが真後ろから大太刀を振りかぶっていた。


(この機動力スピード……まさか俺の速さを上回っているとでもいうのか!?)

でも貴方を連れ戻す。たとえ骨を何本折ろうとも、手足を引きちぎってでも……! それが私の──》

「そんな傲慢ごうまんを俺が──」


《──願いだ!》

「──許すと思うのかぁぁぁッ!!」


 振り向くと同時に、黄金銃の引き金に力を込める。

 ゼスランマの切っ先はすぐ目の前にまで迫っており、今にもこちらを刺し貫こうとしていた。


 銃撃と剣戟けんげきが交差する──。

 弾丸と居合い切りによる早さ比べ。その一瞬の攻防を制したのは、全身に泡沫の衣をまといしゼスランマの側だった。

 脇腹に深い切り傷を負ったゴールデン・ゼスモーネは、そのまま眼下のコンテナ群へとまっすぐに墜落していく。


「バ、バカな……俺の早撃ちのほうが、わずかにまさっていたはずだ……」


 コンテナの散らかった床面で大の字に寝転がりながら、百音は力なく呟いた。

 それは決して負け惜しみなどではなく、事実として彼は相手に先制して銃を放つことが出来ていた。

 が──ハゴロモ・ゼスランマは前面にシャボンのバリアを展開することによって、弾丸の威力を相殺。これを無力化し、ついにゼスモーネ本体へのダメージを与えることに成功したのだ。


「ハハハッ……あのヒヨっ子だったお前が、まさか本気の俺に一矢報いっしむくいるときが来るとはなァ……正直、ここまでやるとは思っていなかったぜ」


 壊れた玩具のように笑い声をあげながら、百音はのらりくらりと機体を立ち上がらせる。

 彼の手に持っている黄金銃がパーツ単位で分解されて宙を漂い始めたのは、その矢先であった。


「俺自身をモデルにしているこの“ゴールデン・トリガー”はな、本来なら暗殺に特化したドレスだ……。エネルギーの消費は最低限に抑え、効率的に敵を無力化ドレスアウトすることを重視している……華やかさもなければハデさもない、黄金ゴールデンなんて名ばかりの、地味で姑息な俺の分身さ」

《百音……》

「でも、しかたねぇよなァ……銃弾が効かねえってんなら、もはや効率なんざ考える意味もねぇ。なりふり構ってなんかいられねぇよなァ……!」


 百音の覇気に呼応するかの如く、コートの内側からも金色に輝くバラバラのパーツが飛び出した。

 それらは先ほどまで黄金銃だった部品と合わさると、まったく新しい形状の重火器へと組み替えられていく。

 やがてリボルバーよりひと回りもふた回りも大きい銃が完成すると、百音はすかさずグリップを手で握りしめた。


「悪ぃが、ここからは俺もでいかせてもらうぜェ……嵐馬ァァァァァァァッ!!」

《何が来ようと……》


 新たにゼスモーネが手にした異形の銃。その銃身から飛び出た三本のレールに、バチバチと赤黒い電流がほとばしり始める。

 これに対しゼスランマはすかさず前面に厚いシャボンの層を展開、防御態勢を取った。


「炸裂しろ──“GゴールデンMマキシムBバーストRレールガン”ッ!!」

《…………っ!?》


 おそらくは身の危険を本能的に直感したであろう嵐馬が、すぐに防御を解いて回避行動へ移ろうとする。

 だが、それももう遅い。かくしてヴォイドの作用によって驚異的な加速を得た弾丸は、ゼスモーネの武器──電磁加速砲レールガンから音もなく投射された。

 真っ赤なレーザー光線が突き抜ける。単に実弾が光の尾を引いているので光線のように見えるだけなのだが、弾速が音速の10倍以上にも達しているため、体感的にはビーム兵器と言っても差し支えないほどの速さである。

 つまり標的ゼスランマに達するまでの時間は、誇張なくだった。


 まるで雷のように、轟音ごうおんが少し遅れて鳴り響く。

 空気を焼き裂いた一直線の残光は、発射からしばらくの間は消えることなく空間上にとどまっていた。


「どうだ……これが“バーストレールガン”。弾速と貫通性を極限にまで高めた、超非効率的ナンセンスな奥の手……ていに言えば、俺の必殺技だ」


 『もっとも、これを撃つのはせいぜい二発が限界だがな……』と、百音は胸中で付け加えた。

 いくら不安定さが解消されたレイヤードレスアップ形態であるといえど、これほどの高出力を発揮するには流石に限度というものがある。

 この銃を抜いてしまった以上、早急に決着をつけるほかない。


「もう残された時間はねぇ……


 火花を撒き散らしている着弾点へと、しかし百音は標的が未だ健在であることを確信しながら問いかける。

 すると彼の推測どおり、爆煙の中から床を踏みしめるように立つハゴロモ・ゼスランマが姿を現した。どうやらシャボンバリアに加えて羽衣はごろもも盾にすることで、着弾地点のみを局所的にガード。どうにか致命傷を防ぐことに成功したようだ。

 それでも威力を完全に封殺することまでは叶わず、ゼスランマは立っていられるのがやっとな状態のようである。大太刀を杖代わりにして立ち上がりつつも、天女の装う嵐馬はこちらの呼びかけに応える。


《ええ、互いにヴォイドも尽きかけているようですから》

「オーケイ、なら次ので締めくくろうぜ。お前は剣を、俺は弾丸を……それで全てを終わらせる」


 ぎゅっと、トリガーへと添えた指に力を込める。


「虐げられ続けてきた、いままわしき過去も……俺たちの、繋がりも……」

《……いいえ、終わらせない。終わらせるものか》


 抜刀したゼスランマが、その刃の向く先にゼスモーネを捉える。

 真っ直ぐで、澄み切ったような瞳。その視線に何か温かいものを感じ、百音は不愉快さに苛立ちを覚えた。


《許されよう、などとは思っていません。私は……かつて貴方を否定してしまった過去を、否定しない》

「なに……?」

《そして、今度こそ乗り越えたい。過去を壊すのではなく、未来を創りたい……百音、貴方と一緒に》

「そんな……」


 嵐馬の言葉は、どこまでも優しくて、甘い。

 そして……それ以上に独占的で、自己中心的で、都合のいいものだった。

 すでに過去を断ち切る覚悟をした百音からすれば、もはや腹立たしい戯言ざれごとにしか聞こえない。


「そんなままが、今さら許されると思っているのか!! ええッ!?」

《我が儘? ええ、違いありませんね……いつだって私は──》


 ゼスモーネの照準が、寸分違わずに標的を捉える。

 ゼスランマが間合いを詰めるべく、第一歩を踏み込む。




《──ッ!!》


「……さあ、最終決戦ファイナルラウンドと洒落込もうぜぇぇぇぇぇッ!!」




 次の瞬間。

 どちらかが合図をしたわけでもなく、二機のアーマード・ドレスは自然に動き出していた。

 豪快に電流を帯びて撃ち出される電磁加速砲レールガン。音速を超えて迫り来る砲弾に対し、なんとハゴロモ・ゼスランマは正面から迎え討つべく大太刀を振るった。


 剣と弾丸が激突する。

 両者の信念を秘めた得物が、その強さを競うようにぶつかり合う。


「嵐馬ァァァァァァァァァァァァァッ!!!」

《百音ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!》


 刹那、それぞれの全力を込めたヴォイドエネルギーが一気に炸裂した。

 爆音が巻き散る。

 辺り一面のコンテナだったものが宙高くへと舞い上がる。


 そして──次に視界が晴れたそのとき、二機のアーマード・ドレスは背中合わせに立っていた。


《これにて終幕──“納刀終閃のうとうしゅうせん泡流あわながし”》


 春を終えた桜の木々が、花びらを散らすように──。

 嵐馬が役目を終えた刀を鞘に収めるのと、時を同じくして。

 ゴールデン・ゼスモーネの全身に付着していた無数の泡沫ヴォイドが、一斉に、そして連鎖的に起爆。まるで花火のように煌びやかな炸裂とともに、“ゴールデン・トリガー”の装甲ドレスは音を立てて崩れ落ちた。


「──ははっ。完敗だね、あたしの……」


 重苦しいコートが霧散むさんし、下着姿ドレスアウトとなった百音はその場にへたり込んだ。

 もはや彼にこれ以上戦うだけの力は残されてもいなければ、そうする気力もすっかり失せてしまっている。

 まるで全身を縛っていた鎖から解き放たれたような感覚が、不思議と百音の体を満たしているのだった。


「さあ、はやくトドメを刺して頂戴。あたしはあたしの全力をもって仁義をまっとうした……これ以上、いはないわ」


 その言葉に偽りはない。文字どおり命懸けでウィルフリッドのために戦うことが出来たのだから、たとえ夢半ゆめなかばで力尽きようとも未練はない。

 だからこそ、百音はかつての戦友ともによって討たれる道を選んだ。

 しかし、


《……だからさっきも言ったろうが。俺にテメェをる気なんてねぇ……つうか、自害だってさせてやんねぇよバーカ》

「なっ……」


 いつもの男性口調に戻った嵐馬はこちらの懇願を受け入れなかったばかりでなく、あろうことかゼスランマの天女の装束さえも脱ぎ捨ててしまった。

 こちらと同じく丸腰となってしまった彼を前にして、百音は思わず憤慨をあらわにする。


「このに及んでキミは、まだそんなことを……! どれだけあたしに生き恥をさらさせたら気が済むの……!?」

《ああ。生憎だが俺は、お前のそういう屈辱くつじょくにまみれた顔がずぅーっと見たかったんだわ。寝起きドッキリの件、まだ忘れてねぇからな》

「茶化さないで! あたしたち、もう敵同士なんだよ……今さら元どおりになんて、そんな都合よくいくわけないじゃない……ッ!!」

《……かもな、かもしれねぇ》


 すると突然、せきが切れたようにさまざまな思いが溢れ、嵐馬はインナーフレーム越しに百音を力いっぱい抱きしめてきた。

 彼はゼスモーネの胸に顔を押しつけ、赤子のようにむせび泣く。


《わかってんだよ……俺たちが敵同士だってことも、もう元には戻れないってことも……》

「嵐馬……くん……?」


 肩を震わせながら嗚咽おえつする嵐馬を見て、百音はついどうしていいのかわからなくなってしまう。

 ただ、なぜか胸の奥が張り裂けるように痛くなった。


《だけど……寂しさだけはどうしようもねぇよ。お前がいないだけで、こんなにも日常が日常じゃなくなるなんて、思わなかった……》

「…………」


 嵐馬が赤裸々せきららに語る言葉は、百音にとっても全く同じことが言えるものだった。

 彼や鞠華が仲間ではなくなって、どうしようもなく寂しかった。

 だからこそ百音は心の隙間を埋めるために、毎晩アルコールに身を沈めていたのだ。もっとも、それで気分が晴れたことは一度もなかったのだが……。


《お前と道を違えてから、ずっと言いたかったことが三つある》

「……うん」

《まず先に……俺はお前に謝らなきゃいけねぇ。身体を悪いように言って、すまなかった》

「いいよ、もう。気にしてないから」

《それと……今まで言えなかったけどよ、じつは俺……お前に感謝してんだ。二年前のあの時に救ってもらっていなかったら、俺はきっとこの場にいなかったかもしれねぇ》

「それは……こっちこそゴメン。君のネイティブ──“フリソデ・チャンバラ”を悪用するようなマネをして」


 気がつくと、百音のほうも腹を割って本心を口にしていた。

 謝罪を述べた彼に対して、嵐馬は気を許すように小さく首を振る。

 たった一言二言のやり取りだったとしても、それだけで荒みきっていた百音の心は幾分か救われたような気持ちになった。


《んで、一番大事なのは最後の三つ目だ。聞いて……くれるか?》

「え……ど、どうぞ?」


 何やら改まったような態度の嵐馬に、百音がほんの少し身構えた。

 やがて大きく深呼吸をしたあと、嵐馬は躊躇ためらいや緊張きんちょうを振り払うように告げる。


《ずっと、俺と一緒に居てくれねぇか》

「うん………………………………えっ」


 驚きのあまり、思わず嵐馬の顔色をうかがってしまう。

 しかし彼はとても冗談を言っているような雰囲気ではない。

 どうやら真剣マジな話のようである。


《俺は不器用で、しかも周りが見えない人間だ。だから……離れ離れになって、やっとわかったんだ、俺にはお前が必要なんだってことを……。お前の言う通り、もう遅いのかもしれねぇ……けどよ、これだけは伝えておきたかったんだ》

「……ううん、ぜんぜん……遅くなんかないよ」

《……? 泣いてるのか?》

「だ、だって……こんなの、ズルい……新手のはずかめだわ……ひどいよ、もうお嫁にいけない……」


 百音はたまらなくなって、つい顔を手でおおい隠してしまう。

 頬を紅潮させている彼をモニター越しに見た嵐馬は、終始ぽかんとしていた。


《な、なぜにここで嫁……? 俺はただ“お前と一緒にいたい”と……》

「うん。でも、いいよぉ……嵐馬くんが貰ってくれるなら」

《? ……まあ、なんだっていいか》


 身を寄せる百音に対して嵐馬は困惑している様子だったが、やがて彼も諦めたようにため息をつく。

 何がともあれ、これでまた日常いつもどおりの関係に戻れるのなら、それが二人にとっての本望だった。


《もう、俺のそばから離れるな》

「……はい」


 久しく見せていなかった満ち足りたような笑顔とともに、百音は応える。

 その笑顔はまるで、嵐が過ぎ去ったあとの空のように晴れやかだった。

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