Live.76『お酒じゃ過去へは戻れんよ 〜CANNOT PUT BACK THE CLOCK〜』

 ろくに祝い事をする暇もなくクリスマスが過ぎ、さらに数日後。

 少し前までえず賑わっていたオフィス内の西部劇ウエスタン風談話室は、ここ半月ほどで客足がめっきり途絶えてしまっていた。目紛めまぐるしい情勢の変化に社員たちも日に日に疲弊してしまっており、今は息抜きをする余裕さえないのである。


 そのような事情からすっかりひと気のなくなってしまったクラシカルな談話室の酒場バーに、深夜にも関わらず入り浸っている珍しい人物がひとり──。

 照明の絞られたカウンターテーブルに頬杖をつきながら、ため息交じりに空のロックグラスを揺らす星奈林せなばやし百音もねの姿がそこにはあった。


「マスター、なんかウイスキーおかわり」

「……いい加減、今日はもう控えたほうがよろしいかと」

「いいから、ストレートでお願い」


 催促するような言葉を酒精しゅせいとともに吐くと、マスターは仕方なく飲み物の入ったグラスを差し出す。

 百音はそれを受け取ると、まるで心に空いた穴をめるようにグイっと喉奥へ流し込んだ。


「あらあらまあまあ、毎晩意識がなくなるまで酒浸りなんて。オズの飼い犬も落ちぶれたものですわね」


 鈴を転がすような甘ったるい声をかけられ、百音はそちらに目を向ける。

 白いゴスロリ衣装を着た飴噛あめがみ大河たいがが、淑女のような微笑みを浮かべて歩み寄ってきていた。

 許可もなく隣の席に座ってきた彼に対し、百音は冷ややかな視線を注ぐ。


「渡り鳥が何の用?」

「そんなに怖い顔をしなくても宜しいのに。同郷のよしみですもの」

「……そういえば、あんたもスラムの出身だっけ」


 百音が訊ねると、大河は『はい』と小さく頷いてみせる。

 彼の切なげな表情から大まかな事情を察した百音は、それ以上詮索するようなことはしなかった。


「そう考えると、わたくしと貴方あなたは似た者同士かもしれませんわね」

「あぁん?」


 隣でオレンジジュースを注文しながら突拍子もないことを言う大河に、百音は思わず険悪な表情で振り返る。

 正直なところ、百音はかつて敵対していたこのアクターのことをあまり信用していなかった。

 そんな彼から一方的に親近感を抱かれたとなれば、たとえそれが冗談でも不愉快に思えてしまう。


「ふふっ。

「だから、なにが……」

「貴方は心の奥底で他人を信用していないんですもの。ゆえに心を許している唯一人ウィルフリッドへ依存してしまう……違いますの?」


 まるで占い師のように無自覚な本心を言い当てられ、百音は絶句する。

 確かにウィルフリッドには返しきれないほどの恩義があるし、それ以上に多くのものを彼から与えられてきた。

 家族として、男として、女として自分を受け容れてくれた男性ひと──そのウィルフリッドに百音が依存していないといえば、嘘になる。


(アタシが、他者を信じていない……?)


 しかし、大河に言われた言葉がどうも引っかかっているのもまた事実だった。

 そんな馬鹿な、と百音は思う。

 災害後のスラム街を独り彷徨っていた10年前ならともかく、今の自分には気を許せる間柄の人間などいくらでもいるではないか。

 銃で人を傷つけるだけだった過去とは、とっくの昔に決別したのだから……。


(それとも、アタシはあの頃から変われていないっていうの……?)


 そんなはずはない。

 そんなはずはないのに、何故かそれを強く否定することができない。

 百音の横顔からそういった心情を読み取ると、大河はなだめるように微笑みかける。


「安心してくださいな。だってわたくしもオズワルド様のことしか信じておりませんもの」

「……でも、アタシはあんたとは違うわ」


 そう言って百音は紙幣をカウンターに置くと、飲みかけのグラスを放置して席を立った。

 マスターから受け取ったお釣りをそそくさとポケットに仕舞い、見えない何かから逃れるように酒場を出る。


(ヘンだな。こんなに飲んでも、全然酔えないなんてね……)


 なぜこんなにも気持ちが落ち着かないのかは、自分でもよくわからなかった。





「ほらよ、コーヒー。砂糖アリのミルク抜きだったよな」

「あっ、どうも」


 地下アジトの寝室としててがわれた部屋で、嵐馬はれたてのコーヒーを相手へと手渡した。

 二段ベッドの下側に座っているルームメイト……もとい鞠華は湯気立つマグカップを両手で受け取ると、猫舌らしく息をフーフーと吹きかける。

 嵐馬も自分用のブラックコーヒーを片手に持ちつつ、鞠華のとなりに膝を組んで腰掛けた。


「……この前の話、お前はどう思う?」


 手の中の黒い液体に視線を落としていると、さっそく嵐馬がそのように切り出してきた。

 彼が話題に上げているのは他でもない、ゼスパーダの生体ユニットとして利用されていた少女──“チドリ・メイ”の件についてである。


「正直、まだ信じられないっていうか……現実味がないというか……」

「……だよなァ」

 

 結論から言うと、Q-UNITクオリアユニットを司るバーチャルアクター“チドリ・メイ”は、君嶋千鳥という少女が遺した記憶データから生まれた存在だった。

 彼女の過去について調べたレベッカ曰く、チドリは幼くして末期ガンを患っており、それも余命宣告を受けるほど進行してしまっていたらしい。そのため大学病院内で秘密裏に行われていた記憶転移プロジェクトに、提供者ドナーとして登録していたようだ。


 また同プロジェクトの研究者名簿リストの中には、なんとVMOの水見みずみ優一郎ゆういちろうの名前もあったという。このことからオズ・ワールドリテイリングが裏で関係していたということは、ほぼ間違いないと言えるだろう。


「でも、僕が病室で会ったあの“君嶋千鳥”は誰なんだろう……?」

「さあな。とりあえず、アイツが“チドりん”じゃねえってコトだけはわかるぜ」

「君嶋千鳥の肉体からだを借りた、別の誰か……なんてティニーさんは推測していたけど……」

「当の本人が口を割らねえんじゃ、どうにもなぁ……」


 はぁ……と、二人は阿吽あうんの呼吸と言わんばかりのため息を同時に吐く。

 鹵獲されたゼスパーダがアジトに運び込まれてから数日。機体からだが壊れて動けなくなったチドリ・メイは固く口を閉ざしており、こちらの尋問にも頑なに応じようとしてくれないらしい。

 結局のところ肝心なことはわからずじまいのまま、アクターたちはジリジリと時が経つのを待つしかなかった。


「……ってにが!? ちょっとランマ、これ砂糖入ってないですよっ!」


 焦燥を紛らわすようにコーヒーを飲んだ鞠華が、あまりの苦さに悶絶してしまった。


「ん、もしかして俺のと間違えちまったか?」


 取り違えてしまったかもしれないと思った嵐馬は、試しに自分の持っているマグカップに口をつけてみる。

 しかしコーヒーの味は間違いなくブラックであり、そこに砂糖の甘さは微塵も含まれていなかった。


「俺の……だな。取り違えてなんかねえぞ」

「えー、だったら砂糖を入れ忘れたんじゃないですかね?」

「そんなハズはねえと思うが……ん、ちょっと貸してみろ」


 嵐馬は鞠華からマグカップを取り上げると、中に入ったコーヒーを一口だけ飲んでみる。


「……いや、フツーに甘いじゃねえか」

「本当ですか……? じゃあ僕の勘違いか……ブフッ!? やっぱり苦いじゃないですかー!! 何ですか罠ですか嫌がらせですか!?」

「人聞き悪いなテメェ……! ちゃんとオーダー通りに砂糖入れたっつの、現に飲んだらしっかり甘みもあったぞ!」

「うーん、甘かったのはボクの間接キッスかも♡」

「ねーよアホ」


 鞠華はわざとらしく誤魔化したものの、やはり砂糖が入っているはずのコーヒーからは強い苦味しか感じ取ることができない。

 嵐馬のポケットから着信音が鳴り響いたのは、そんなときだった。


「……ッ!」


 スマートフォンに表示された番号を見るなり、嵐馬の顔つきは途端に険しいものへと変わる。

 鞠華が『誰?』と視線で問いかけると、彼は電話を発信してきた者の名を重々しく告げた。


星奈林せなばやしからだ」

「えっ……!?」


 思わぬ人物の名前を聞き、鞠華は鋭く息をのむ。

 嵐馬はしばらく悩んだあと、迷いを振り切るように通話ボタンを押した。


「……もしもし」


 スマートフォンを耳に押し当てる。

 すると、スピーカーから声はすぐに聴こえてきた。




《ハロー、今から会える?》


 通話をかけてきた相手は、開口一番にそう訊ねてくるのだった。

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