Live.72『悪魔とダンスをもう一度 〜TRY AND HOLD THE REINS ME〜』

 時は数日ほどさかのぼる──。


「手術はおおむね完了しました。ちょいと肌に裂傷やら火傷のあとは残っちまいますが……まァ、命に別状はないでしょう」


 オズ・ワールドリテイリング日本支社、オフィス内医務室。

 デスクに背を預けながら、水見みずみ優一郎ゆういちろう気怠けだるげにカルテを読み上げた。

 それを聞いた君嶋きみじま千鳥ちどり相槌あいづちを打ちつつも、気遣わしげな視線をベッドの上へと向ける。


「奇跡的に助かったとはいえ、あやつにとってはむしろ酷かもしれんのう……」


 彼らの前には、大破した“ゼスタイガ”から救出されたネガ・ギアーズのアクターが横たわっていた。

 身体中に包帯を巻いた痛々しい状態の少年は、どこか焦点の合わないような虚ろな表情で天井を見つめている。

 そんな様子を見るに見かねた千鳥は、少し困惑気味に水見へと訊ねた。


「うむむ、報告にあった“飴噛大河”とはちと雰囲気が違うように見えるんじゃけど……あんなヤツじゃったか?」

「いえ……どうやらドレスを破壊された影響で、精神バランスに崩壊をきたしているようなんでさぁ。すでに意識は快復してるとはいえ、当分は会話もままならないような状態が続くでしょうな」


 水見はどこか他人事のように答えると、ふと椅子の背もたれにかけていた白衣を持って立ち上がった。

 袖を通すなり医務室から出て行こうとする彼を、千鳥はのんびりと呼び止める。


「のう、どこへ行く気じゃ?」

「ちょいとラボの方へ。の稼働テストにも立ち会わないといけないので」

「そうか、なら言ってよいぞ。呼び止めてすまんかったのう」

「いえいえ。それでは私はここで、オズワルド本社長」


 水見はわざとらしくお辞儀をしてから、今度こそ医務室を後にしていった。

 そうして部屋にポツンと取り残されてしまう千鳥。

 とくに居座る理由もないので彼も席を立とうとしたそのとき、不意に背後から声をかけられた。


「あ、アンタが、オズ・ワールドの社長……?」

「むっ?」


 千鳥が肩越しに振り向くと、ベッドの上に半身を起こしていた大河はびくっと縮み上がった。

 彼は怯えきった仕草で後ずさりながら、真っ青な唇を震わせて言う。


「ほ、本当なの……? でも、その体は……」

「ご覧の通りじゃ、今はわけあってこの童女の器を預かっておる」


 千鳥は肩をすくめて、冗談めかしく言葉を返した。

 そう言われた直後の大河は意図がわからずに戸惑い顔だったが、彼は自分のおかれた状況に気付くやいなや、次第にけわしい表情になっていく。


「あ、ああアンタのせいで……アンタが黒いドレスをぉっ……!!」


 声の限りに叫ぶと、大河は悲鳴をあげてベッドから飛び上がった。

 対して千鳥は受け身をとる素振りさえ見せず、勢いよく床に倒れこむ。

 かくして大河は馬乗りになったまま、少女のか細い首を押さえつけた。


「ふっ……なんじゃ、意外と元気じゃないか」

「うるさい! アンタのせいで、アタシは……アタシはぁぁッ!!」


 顔色ひとつ変えない千鳥に苛立ちを感じた大河は、金切り声をあげながら両手に込める力を強めていく。

 すべてこいつのせいだ!

 “オズ・ワールド”が街にあのドレスを顕現させたせいで、アタシの精神はズタボロにされてしまった!

 閉じていたはずの過去トラウマを、無理やりこじ開けられたせいで──。


「あ……あぁっ……」


 幼児が嗚咽おえつをするように、大河は弱々しく首をふった。

 どす黒い触手のようなものが這い上がり、指先から肌の内側をおかしていく。

 もはや彼の瞳には、目の前にいる千鳥の顔など映っていなかった。


 気がつくと、大河の体は劫火ごうかに包まれていた。

 遥かなる高みから、冷酷で無慈悲な眼差しがこちらを見下ろしている。

 闇よりも深い漆黒に彩られた装甲ドレス、命を刈り取る形をした異形の輪郭シルエット、仮面の女皇──“マスカレイド・メイデン”。


 すでに膨大な負荷をかけられていた脆弱ぜいじゃくな精神が、音を立てて砕け散る。

 本能的に封じ込めていたはずのあらゆる記憶がフラッシュバックし、大河はかん高い悲鳴を上げながら、どうしようもない恐怖感に支配されていた。

 千鳥が彼をぎゅっと抱きとめたのは、そんなときだった。


「な、にを……?」

「もう強がらなくてもよい。お前さんはじゅうぶん、よくやったよ」


 心身ともにボロボロの大河を抱きしめながら、千鳥が耳元でささやく。

 驚きのあまり大河の頭が一瞬凍りつき、そして彼は腕の中でもがき始める。


「はっ、はなせよォッ! 今さら同情なんかいらないっ!!」

「愛おしいと感じたものを抱きしめて、なにが悪い」

「はァ? 頭イかれてんじゃないのォ!? アタシにとってアンタは敵の親玉なんでしょ! なら、アンタをここで潰すのがアタシの望み!」

「ちがう」

「違わない! アタシは、アタシをこんな姿にしたアンタが……“オズ・ワールド”が憎い!」

「ちがう!」


 大河の叫び声をさえぎって、千鳥は自分の胸に彼の顔を抱き寄せる。


「おぬしの願いは、“オズ・ワールド”を滅ぼすことじゃない。ただ、愛されたかった……他人に理解して欲しかっただけなんじゃろう?」

「あ……」


 そうだ。

 自分は別に、大義や復讐のために戦っていたのではない。

 ただ、どうしようもなく憎かったのだ。

 自分の才能を認めてくれない世界が。

 魅力に気付かず、評価してくれない世間が。

 誰かに愛されるべき自分を愛してくれない、有象無象のゴミクズどもが。


「オズワルド=Aアルゴ=スパーダ」

「は……?」

「わしの本当の名前じゃ。そして……この世界でただ一人、おぬしのことを解ってやれる者の名よ」


 腕の中の少女はそう名乗ると、いきなり大河の体を押し返してきた。

 先ほどとは打って変わって、今度は大河のほうが床に押し倒される形となる。

 暴れている大河の手首を掴んで押さえつけると、そのわずかに濡れた唇を耳へと近付けてきた。


「やっ……やめ、んっ……」

「わしにすべてゆだねよ。さすればお主は、わしの愛で満たされる──」


 まだ火傷の跡がえていない耳の輪郭を、ぬめりとした粘液の感触がなぞっていく。

 それは大河が長く忘れていた奇妙な感覚。

 そして、ずっと飢えていたものの正体でもあった。


(これが、“愛”……)


 いつしか壊れかけていた大河の心は大いなる安堵に包まれ、ようやく体をしばる呪縛から解き放たれていた。

 恐怖がときめきに変わり、苦痛さえも消えてなくなる。


 大河はこのとき、この世のいかなる森羅万象ありとあらゆるものにも勝る無限の力を手にした。





《──そう、わたくしは“愛”を手に入れた! オズワルドはこんなわたくしめを愛してくれた! だから黒く薄汚れていたかつてのアタシは、白く高潔なわたくしに心を入れ替えましたの!》

(やっぱり、今までの大河と様子がちがう……!?)


 勢いよく斬りかかってきた“ローゼン・ホワイトゼスタイガ”に対し、下着姿の鞠華は困惑しつつも迫りくる刃を寸前でかわす。

 視界の端でクラウン・ゼスシオンがこちらに駆けつけようとするのが見えたが、それもアイドル・ゼスパーダに行く手を遮られてしまっていた。


(“クイン・ワイズマン”が強制排除ドレスアウトされてしまった以上、“ワンダー・プリンセス”も“マジカル・ウィッチ”も使えない。どうすれば……)

逆佐さかさ、よけろ!》


 不意に、自分の名を呼ぶ声が響いた。

 それが紅匠くれないたくみからの通信だと認識するよりもはやく、鞠華は言われた通りに後ろへジャンプする。

 すると直後──ゼスマリカとゼスタイガの間を遮るように、戦車砲を受けた水面がけたたましく水しぶきをあげた。

 もはや姿を確認するまでもない。鞠華の窮地を救った砲撃の正体は、“コマンド・ゼスティニー”がつくりだしたタンク部隊からの援護攻撃だった。


「ティニーさん!」

《遅くなった。しかし、まさかお前が生きていたとはな……大河》


 コマンド・ゼスティニーはゼスマリカを庇うように割って入ると、火縄銃をローゼン・ホワイトゼスタイガへと向けた。

 かつての同僚に銃口を向けられた大河は、喜びとも憂いともつかない狂った微笑みをたたえて告げる。


《あらあら匠さん、お久しぶりですわぁ。でも残ぁん念、もうわたくしはこちら側につくことに決めましたの♡》

《その口調にドレス……やはりお前は、以前までの大河とは違うようだな》

「どういう意味です……?」


 鞠華がたずねると、匠は彼に向かって説明した。


《あいつの精神──すなわちゼスタイガのドレスは一度、“マスカレイド・メイデン”の装甲破壊ドレスブレイクによって破綻した。だが……大河は自分のなかにもう一つの人格キャラクターを生み出すことによって、ドレスの性質そのものを塗り替えてしまったのだろう》


 『にわかには信じがたい話だがな』と匠は最後に付け加えた。

 つまり大河の精神を模したドレスである“ブラック・ローゼン”は、媒介者ベクター自身の心境の変化によって“ローゼン・シュヴァリエ”へと変貌を遂げた──という話である。

 

「そんなことが、あり得るんですか……?」

《壊れかけた心を別人格によって安定させるというのは、人間として極めて本能的な現象だ。きっとなにか大きなきっかけがあって、大河はあのように……》


 匠の哀れむような声を、そのとき大河の叫びがさえぎる。


《少々無駄話が過ぎましてよ! “狂イ咲ク白薔薇ノ雄蕊ウーアゲヴァルト・アインプレーゲン”ッ!》


 細剣レイピアによる怒涛の突きが、ゼスティニーへと襲いかかった。

 あまりにも素早い刺突ゆえに幾重にもみえる切っ先を、匠は火縄銃で牽制けんせいしつつも軍刀を引き抜いて応じる。

 徐々に間合いを詰めていき、激しい剣戟けんげきを交わす両者。

 しかし格闘戦における性能はどうやら“騎士シュヴァリエ”たるゼスタイガのほうに分があるようであり、ゼスティニーは力比べに押し負けつつあった。


 こちらの劣勢に対し、敵のアーマード・ドレス2機はいずれも健在。

 このままでは、紫苑も匠もやられてしまう──!


「……ティニーさん、を使います」

《なに……? バカな真似はよせ、また暴走する危険性も……くっ!》

「とやかく言ってる場合じゃないんだ。それに……多分、今なら大丈夫な気がするんです」


 決心した鞠華はすぐにゼスパクトを取り出すと、黒くにごったようなジュエルを自分の左胸に押し付ける。

 すると体の奥底から、大きい百足ムカデのような何かが這い上がってくるのを感じた。触れるところから毒を注いでいくむしうごめきは、とてつもない不快感をともなって全身へと広がっていく。

 またアクターだけでなく機体フレーム側にも同様の変化が生じており、赤黒く禍々しいオーラがゼスマリカを徐々に侵蝕していった。


(くッ、飲み込まれるもんか……! お前ごときに着せられる“MARiKAマリカ”じゃない……!)


 やがて黒い外套ドレスに肢体を覆い尽くされてもなお、鞠華の魂は屈してなどいなかった。

 二度とあやまちは繰り返さない──強い意志と覚悟をもって、己を喰らおうとせん魔獣をねじ伏せる。


(危険な暴力ちからだというなら、それを上回る理性せいぎ手懐てなずけてやる──!)


 鞠華は双眸そうぼうを赤く輝かせ──そして、えた。


「インフェクテッド・ドレスアップ……“マスカレイド・メイデン”!!」


 次の瞬間──空間を裂いて出現した漆黒のパーツたちが、一斉にゼスマリカへと喰らいついた。

 腕が、脚が、胴体が衣装に覆われていき、闇よりも暗い色で染め上げていく。

 そして最後に装飾的な六本角の仮面が頭部へと被さり、闇の女皇は再びその姿を現した。


《ああっ! なんとうらめしいお姿……ひん剥いて差し上げますわぁっ!》


 大河は力任せにゼスティニーを斬り伏せると、その矛先を換装したばかりのマスカレイド・ゼスマリカへと向ける。

 そして足元の水面を一気に爆発させると、その衝撃すらも勢いに変えて突進してくるのだった。


《さぁ、“愛”の前にひざまずくのです! ウフフハハハハハハ!!》

(──来るッ!)


 迫りくる切っ先を眼で捉えた鞠華は、すばやく機体をのけぞらせた。

 ゼスタイガの鋭い刺突が、胸部装甲のわずかに上をぐ。


《避けられましたぁ!?》

「はああああッ!!」


 鞠華はのけぞった姿勢のまま体を大きくひねらせ、痛烈な回転蹴りを放つ。

 鋭利なハイヒールが脇腹へと突き刺さり、ゼスタイガはそのまま盛大に吹き飛ばされた。


《ぎゃあああああああああああああッ!!》

《逆佐!》

「大丈夫です、ティニーさん! 今ならコイツを操れる、意のままに戦える……!」


 心配する匠からの通信を返しつつ、鞠華は橋の上で交戦しているゼスシオンのほうを振り向く。


「“第一禁術ラウンドワン色欲の翅ラストウイング”──」


 赤い蝶のはねを左右に広げ、大きく羽撃はばたかせる。

 すると刹那、マスカレイド・ゼスマリカはその場からふっと姿を消してしまっていた。

 ヴォイドの作用で空間そのものを圧縮・復元することによって可能となる、亜高速移動──よりかみ砕いて言えば瞬間移動ワープともいえる方法で、ゼスパーダへと急接近する。


《なっ……後ろをとられた!?》

「続けて、“第三禁術ラウンドスリー嫉妬の針エンヴィースピア”!」


 背後をとったマスカレイド・ゼスマリカが、不意をくかたちでアイドル・ゼスパーダを上方へと蹴り上げる。

 そのまま空中へ打ち上げられた敵機へと、滞空していた数十本もの赤い待針スピアが襲いかかった。


(装甲破壊ドレスブレイクさせずに、戦闘力だけを奪う……!)


 鞠華の意思に応じるかのごとく、針は手足などの急所以外をピンポイントで刺し貫いていく。

 ついにダメージが限界を迎えたゼスパーダは地面へ落下すると、這いつくばったままやむなく装甲排除ドレスアウト──戦闘不能へと陥った。


「紫苑、無事?」

《うん! たすかったよ、まりか》

「よかった……」


 鞠華はほっと息をつくと、その視線を再びゼスタイガのほうへと戻す。

 ゼスパーダを仕留めたいま、残っている敵はあと一機のみである。


(すぐに終わらせる。いくぞ、“マスカレイド・メイデン”……!)


 ふわりと両翼を羽ばたかせ、瞬間移動で一気に距離を詰めようとした──。

 そのときだった。


《……っ! まりか、危ないっ!!》


 振り返った鞠華の視界に、クラウン・ゼスシオンの背面が飛び込んできた。

 モノクロームカラーの道化師はまるでゼスマリカを庇うように立ち塞がると、どこからか飛んできた黄金の弾丸を真っ向から受ける。


《ぐっ……ぅあ……!!》

「紫苑……!?」


 直撃を受けたゼスシオンは、全身の装甲を散らしながら膝から崩れ落ちてしまった。

 ゼスマリカは倒れかかった白いフレームを受け止めつつも、すぐに先程の弾丸が飛来した方向を仰ぎ見る。


(たった一撃でゼスシオンをドレスアウトさせた!? ……まさか!)


 鞠華の直線上──遥か数百メートルの彼方に、その姿を捉えることができた。

 ゼスマリカやゼスランマと同じ、“T2タイプ・ツーフレーム”と呼ばれている型式の機体。ダークグレーのフレームにはイエローのラインが入っており、その上からガンマン風の衣装アーマーを纏っている。


「モネさんのゼスモーネ、なのか……?」


 それは鞠華にとって見覚えがある……しかし細部が異なる機影。

 その最たる違いが黄金色にきらめくハット帽と防弾コート、そして黄金銃であり、その銃口は硝煙を揺らめかせながらこちらに向けられていた。

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