Live.70『泣いた夜が明ける 〜GOOD MORNING, AFTERNOON, EVENING, NIGHT〜』

 深夜の大浴場には他に客がおらず、ほとんど貸し切り同然の状態だった。

 脱衣所を出た嵐馬はしっかりかけ湯を済ませてから、この温泉宿の名物らしい露天風呂へと入っていく。

 だだっ広い浴槽に身を肩まで沈め、ぼんやりと月が浮かぶ夜空を見上げた。


「雪、か……」


 ふわふわと落ちてくる粉雪のカケラを、そっと手のひらで受け止める。

 そういえば今日は東京でも雪が降る予報らしく、数年ぶりのホワイトクリスマスになりそうだとニュースになっていた。

 今ごろ鞠華はどうしているだろう。

 まだ下を向いているだろうか。

 同じように夜空を見上げているだろうか。


 それに、“オズ・ワールド”に戻ってしまった百音のことも気がかりである。

 彼はいまどこで、何をしてこの聖夜を過ごしているのだろう。

 誰かと一緒にいるのだろうか。


 そんなことを考えていると、なぜか胸をつよく締め付けられるのだった。


「おやおや。ただの小生意気なガキだと思ってたけど、センチな顔も趣きがあっていいねぇ。まるで悩める乙女だ」

「どわッ!?」


 不意に意識外から声をかけられ、すっかり油断していた嵐馬は慌てふためいてしまう。

 浴衣の袖をまくった雛菊ひなぎくが、何やらニヤつきながらこちらを見ていた。


「ななな、なんで女将アンタがここに居んだよ!? ここ男湯だぞ!」

「何ってそりゃ、清掃ついでに目の保養だよ。なにせ若い客がここに来ることなんて滅多にないからねぇ……ヒヒヒ」

(うわっ、なんだこのババア気持ち悪ィ!?)


 舐め回すようにこちらの胸筋やら上腕二頭筋を覗いてきたため、嵐馬はゾッとするような悪寒に襲われてしまう。

 やがて雛菊はご満悦だと言わんばかりにひと息つくと、一転して切なげな表情で雪空を仰いだ。


「……今だから言えるけどね、あたしはあの子が東京へ行くことには反対だったんだよ」

「そうだったのか?」


 雛菊はコクリと頷くと、感慨深そうに昔のことを物語る。


「うぃーちゅーぶ……やらコミサ? のことはよくわからんが、十年前からずっと部屋に引きこもってたような子だったからねぇ。他人との繋がりに飢えていたことは知っていたけど、それでも揚羽あげはから預かった子を一人旅させるのには気が引けたよ」

「その、あんたの娘……つまり鞠華のお袋ってのは……」

「骨の一本すら帰ってきちゃいないよ。まったく、親不孝な娘さ」


 その原因が“東京ディザスター”であるということは、もはや言葉をいちいち介さずともわかってしまう。

 つまり鞠華はあの災害で家族を失ったあと、ショックから立ち直れずにずっと塞ぎ込んでしまっていたのだ。

 彼があそこまで“別のジブン”になることを渇望していた理由が、少しだけわかったような気がした。


「だからね、あんたを見たときは少し安心したよ」

「俺を?」

「おうさ。宿泊客の顔を見ることも怖がってたようなあの子が、関東むこうでちゃんと人と関わってるんだってことがわかったからねぇ」

「……俺だけじゃねえ、アイツはもっと大勢の人間と関わり抜いてきた。婆さんの孫は、きっと婆さんが思う以上に立派だったと思うぜ」


 賞賛、激励、嫉妬、そして──後悔。

 あらゆる感情をごちゃ混ぜにしたような複雑な面持ちで、嵐馬はうつむきながら続ける。


「でも……アイツを救ってやれる奴がいなかった。もしそんな奴がいたとしたら、そいつはきっとアイツのことを知っている奴だ。少なくとも、俺じゃない……俺はアイツのことを、まだ何にも知っちゃいない……」

「………………」

「なあ、教えてくれ! あの“逆佐鞠華”はいったい何者なのか……婆さんはそれを知ってるんだろう!?」


 問いかけられた雛菊は、思い詰めたような表情で黙り込む。

 そして幾ばくかの逡巡しゅんじゅんのあと、彼女は重く閉ざされた口をゆっくりと開いた。


「……が部屋でこっそり女の格好をし始めたのは、うちに引き取られてから三年くらい経った頃だったかねぇ。まるで心にポッカリと空いた穴を埋めるように、亡くなった双子のを演じ──」

「ちょっと待った」


 開幕早々、さっそく脳の処理が追いつかなくなってきた。

 嵐馬はすかさず待ったをかける。


「何だい、やぶからぼうに」

「いやそれはこっちのセリフだっての! アイツが誰かのフリをしてるってのは何となく知ってる。けど、なんでをした結果が“女装”になるんだよ!? それを言うなら姉貴の間違いじゃねえのか……!?」

「いんや? あたしゃ何にも間違ったことは言っとらんよ」


 指摘された雛菊は訂正するどころか、それが真実であると念を押してきた。

 そこまで言われて、嵐馬の頭の中にあるひとつの仮説が浮かび上がる。


 いや……だがしかし、が果たしてあり得るのだろうか……。


「い、いったん整理させてくれ。アイツは双子の弟で、両親と兄貴を“東京ディザスター”で失ったあと、愛媛にいる婆さんのところへ引き取られたと」

「うむ」

「その兄貴っていうのが本物の“天地あまち鞠華まりか”で、弟のアイツはその真似をすることで、寂しさを紛らわそうとしていたと」

「そうだねぇ」

「それが、女を装いはじめたきっかけだ……と」


 たずねると、やはり雛菊は首を縦にふって肯定してしまうのだった。

 それを受けて嵐馬は、信じがたいといった様子で──しかし事実であると証明されてしまった結論を口にする。


「あ、兄貴のほうはまさか……ってのか?」

「フッ、よくわかったねぇ。なんでも揚羽ははおやがおふざけで着させてみたら、本人がえらく気に入っちまったらしいんだよ」


 『ちなみに弟にも“お姉ちゃん”と呼ぶように強要していた』と、雛菊はとんでもない供述をさらっと打ち明けた。

 つまるところ天地鞠華という人物は、亡くなってしまう十年前よりも以前から──つまりよわい7歳以下にして、すでに女装趣味あぶないあそびに目覚めてしまっていたということらしい。


 などというよくわからないワードが、嵐馬の脳裏をチラついた。


「マジかよ……」

「ただ、あの子が生前の兄のように振る舞う理由はそれだけじゃない。というよりも……あの子は本当に、まりかの代わりになろうとしているんだよ」

「それはどういう意味だ?」


 嵐馬が聞き返すと、雛菊はより深刻な表情で告げる。


「……表向きにはね。生き残ったのは弟じゃなく、兄ってことになってるんだ」

「は……? でもあんたはたった今、アイツを弟のほうだって……」

「災害が起こったあの日、救助隊から『“天地鞠華”の身柄を預かっています』と連絡が来たんだよ。あたしも最初はその言葉を信じて、他に身寄りのなかったあの子を引き取ることにしたんだ」

「それはおかしいぜ。だって兄貴はそのときに死んじまったって……」


 言いかけたところで、嵐馬は違和感の正体にようやく気付いた。

 半信半疑といったようすで、おそるおそる雛菊に問いかける。


「まさか。救助した連中が、弟ではなくまりかのほうだと勘違いをした……?」

「まあ、無理もないだろうねぇ。二人ともDNAは同じなうえに、救助されてから数日の間は意識不明の重体だったんだ。ちゃんと身元が特定されただけでも充分に有り難いさ」


 そのあとも雛菊の話は続いた。


 が発見された時には皮膚や声帯をひどく損傷しており、手術後もしばらくは他人ひとと物理的にも精神的にも意思疎通できない状態だったということ。

 無事に退院して愛媛の家へと引き取られたあとも、彼は自らを“鞠華”だと名乗っていたということ。

 当初は雛菊もそれを信じて疑わなかったが、生活をともにしていくうちに、彼が実は弟のほうであると勘付かんづきはじめたこと。


 ひとつひとつ過去が紐解かれていくたびに──嵐馬は当時の彼の心境を想像してしまい、何だかたまれない気持ちになるのだった。


「なんでアイツは、そんな演技ウソをずっと……。誰かに話せば、誤解はすぐにでも解けただろうに……」

「きっとあの子自身が、兄の死それを許せなかったんだろうさ。なんせ昔からおねえちゃんっ子だったからねぇ……傷ついた心をまもるために、自分の中に“マリカ”というもう一つの人格キャラクターつくり出したんだろう」


 それこそが、彼が今まで被り続けてきた“逆佐鞠華”という仮面の真実。

 己の崩れかけていた精神バランスを辛うじて保つための、いわば実兄の名を借りた別人格アルターエゴ

 その在り方は、まさしく心の鎧ドレスそのものだった。


「……ところで、名前はなんていうんだよ」

「知りたいかい?」


 一通りの経緯を聞き終えた嵐馬は、最後にそう問いかけた。

 すると雛菊はその名を口にすること自体が久々だと言わんばかりに、どこか嬉しそうな顔を振り向かせる。


 逆佐鞠華ではない。孫の真名をたずねてきた者がようやく現れたことに、最大級の謝辞を込めるように──。


 一字一句を噛み締めながら、雛菊は名前を告げるのだった。























 天地あまち雁真かりま


 あの遠い夏の日に置き去りにしてきた、本当の名前。

 自分を表す四文字が刻まれた墓標の前で、深くフードを被った少年は立ち尽くしていた。


「……横浜こっちに住むようになったあとも、此処ここに来ることはずっと躊躇ためらってました。来てしまったら……今までのことが全部、嘘になってしまう気がして……」


 少年は墓石の表面をそっと撫でながら、背後に立つアリスや“ネガ・ギアーズ”の二人に語りかけた。

 すでに彼女たちには事情をすべて打ち明けており、こうして衝動的に提案した“墓参り”にもわざわざ付き合ってもらっている。

 身勝手な願いを聞き入れてくれたことに感謝しつつも、しかし少年はどこか自信なさげに喋り続けた。


「見ての通り、“本当の僕”はただの弱虫で……泣き虫なんです。だからマリカ姉さんが死んでしまったことも、認めたくなかった……姉さんがいない世界に、生きる価値なんてないと思ってた」


 地面の前に座り込み、嗚咽おえつをこらえる。


「でも、なんで……どうして死んじゃったんだよ姉さん!! 僕が生き残ったから……? あのとき僕が死んでいれば、代わりに姉さんは助かったの……? だったら僕なんて、いなくなったほうが──」

「落ち着け、逆佐さかさ!」


 今にも墓標を殴りつけようとしていた少年の拳を、匠が後ろから手首を掴んで取り押さえる。

 偶然にもそのとき、彼女の目に痛々しく傷つけられた跡が飛び込んできた。

 ほんの少し冷静になった少年は掴まれた手を振りほどくと、慌てて手首を隠す。

 そんな彼の背中へ、匠は気遣わしげに声をかける。


「……お前がどんなに自分を傷つけたって、死者が蘇ったりはしない。だから、もういいだろう……お前はもう充分すぎるほどに、“天地鞠華”のいのちを背負ったのだから……」


 それこそ彼は10年というあまりにも長い時間を、ずっと“姉の代わり”として生きてきたのだ。

 女装した動画を投稿することで“MARiKAマリカ”という存在をより多くの人々に認知させ、姉が生きていた証をネットアイドルという形で刻む。数年前の少年がほんのささいな思いつきで始めた演技うそは、いつしか本人も予期していなかったほどにその規模を膨れ上がらせてしまったのだ。


 いまや“マリカ”は、不特定多数に必要とされる人気者ヒーローとなった。

 そして──そんな現実と反比例するように、“誰も知らない少年カリマ”は人知れず孤立を深めてしまったのだ。


 もしも神の視点から観測する者がいたとすれば、きっと彼の半生をこのような言葉で形容することだろう。

 『悲劇』だ、と──。


「……逆佐さんが、これまでどんな想いで“MARiKA”を演じてきたのか。今なら少しだけわかるような気がします。けど……これだけは言わせてください」


 アリスは己の小さな胸に手を当てながら、込み上げてくるような淡い感情に口を突き動かさせる。


「わたしとお姉ちゃんが一つ屋根の下で一緒に過ごしたのは、いまわたしの目の前にいるです。内緒にしてましたけど、お兄ちゃんが増えたみたいで正直たのしかった……だから、それも嘘だったなんて言わないでください……」

「アリスちゃん……」

「それにわたし、逆佐さんのこと……す、好きですから──」


「ぼくも好きだよ、まりか」


 アリスがなにか小声でしゃべっているのを聞き届けるまえに、紫苑が背中から覆いかぶさるように抱きついてきた。

 腕を前にまわし、豊満なバストが背中とぶつかってつぶれる。

 彼女の激しく高鳴る胸の鼓動が、じかに伝わってくるようだった。


「『死んだほうがよかった』なんて言ったら、離さないよ」

「えっ……」

「だって、いなくなって欲しくないもん」


 姉の一部を引き継いでいるはずの少女は、しかし兄に駄々をこねる妹みたいに全体重をかけてくるのだった。

 それが姉ではなく紫苑自身の意思による愛情表現スキンシップであると、鈍感な少年はようやく理解する。


(そうだ……の存在を認めてくれる人は、こんなにもいるじゃないか)


 この場にいる者たちに限った話ではない。

 両手の指ではとても数えきれない人々が、自分を愛し、励まし、必要としてくれた。

 天地鞠華あまちまりかでもなければ、雁真かりまでもない。

 “MARiKAマリカ”を演じた少年──逆佐鞠華さかさまりかという存在を。


「ぼくの中にいた“まりか”も、きっと同じことを言うとおもう。けど、それと同じくらいもまりかのことが大好きなんだよ?」

「紫苑……」

「えっとね、だからね。“まりか”はまりかのことが好きだけど、ぼくもまりかが好きで……あれ? どうしよう、よくわかんなくなってきちゃった……うぅ」

「……うん、ありがと。もう大丈夫だから」


 少年はやさしく紫苑の手を振りほどくと、涙をはらうように立ち上がった。

 ちょうど朝日が顔を出しはじめた地平線を背に、仲間たちのほうを振り返る。

 ふとアリスと視線が合い、とたんに彼女は顔を真っ赤にして取り乱した。


「あっ、あの、さっきのことは……!」

「? ああ、ちゃんとわかってるよ。『お兄さんとして好き』ってことだよね」

「………………ああもうっ、逆佐さんが元気になったならそれでいいです!」


 泣きそうになるのを堪えながら笑ってみせるアリスに、少年は強くうなずく。

 紫苑が手を握って微笑みかけてくる。匠があたたかい目で彼らを見守る。



キャラクターを演じることは、自分が消えていくことだと思っていた。俺はそれを恐れて、役に入り込むことをずっと躊躇ってたんだ』


 河川敷で殴り合ったとき、嵐馬がそう言っていたことを思い出す。

 

『おかげで忘れてたぜ。俺が他の誰かを演じられること、それ自体が“俺らしさ”だったんだ。舞台の菊之助を含めて、俺は……古川嵐馬なんだ』



(ああ、そうだ……僕はひとりなんかじゃなかった。そして、姉さんを演じていた僕も含めて……全部が僕だったんだ)


 ようやく見つけることができた答えは、どうやら拍子抜けするくらいに簡単なものだったらしい。

 フッと笑みを浮かべた彼は、被っていたフードをおもむろに脱ぎ出した。


 中に収まっていた艶やかな長髪が、解き放たれたように宙を漂う。

 消えかかっていた少年は一瞬にして、誰もが憧れうやまう美少女へと変貌していた。














 無敵の笑顔を浮かべた鞠華が、自身たっぷりに言葉を口にした。

 それとほぼ同じタイミングで、上空に突如として赤と黒の歪みが出現する。

 しかも一つや二つではない。ガラスを砕いたような裂け目は次々と数を増やしていき、その中から様々な形状をした鋼鉄の鎧が這い出てくる。


 顕現兆候アドベントシグナルの連鎖現象。

 それに伴う、アウタードレスの大量発生だった。


「女装ウィーチューバー“MARiKAマリカ”、華麗に復活──」


 未だかつてない敵の物量を前にしても、しかし鞠華はまったく物怖じしていなかった。

 全能感にも似た高揚が、彼の全身を満たしていく。

 この広い地上フィールドはすでに、のライブステージへと変わっていた。


(あなたのいない世界で、僕は生きていくよ。だから……こっちは任せてくれ、姉さん)


 過去に想いを、

 未来に祈りを馳せて。

 現在いまの護り手は勝鬨かちどきをあげる武将のごとく、声高らかにゼスパクトを振り上げる。


「──この世界の平和は、ボクに任された!!」


 10年前から止まっていた少年のときは、ようやく動き出したのだった。

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