遠い夏雲の鞠華編

Live.69『ずっとキズを隠してた 〜THE WOUND TINGLES WITH PAIN〜』

 横浜においてアウタードレス“クラウン・クラウン”が顕現していたのと同じ頃。

 愛媛県・松山市にある老舗しにせの温泉宿に、三人の客が訪れていた。


「ン……今日は満室だよ。悪いけど他を当たりな」


 ガラガラと引き戸をあけて入ってきた客たちを見るなり、受付に座っていた浴衣姿の老婆はうんざりとした様子で壁掛けの時計を見やる。

 時刻は午後の9時半過ぎ。こんな夜遅くに、しかも予約もなしでチェックインしようとする客を、宿側が迷惑がらないはずがなかった。

 客たちは申し訳なさそうに顔を見合わせつつも、しかし引き下がることなく老婆に声をかける。


「いえ、私たちは宿泊するために来たのではありません」

「む……?」


 妙な物言いをする客に、老婆はするどい視線を投げかける。

 その人物は金髪碧眼の外国人女性だったが、しかし口から発せられているのは流暢な日本語だった。

 女性客は赤縁のメガネをかけなおすと、なにやら真剣な面持ちで告げる。


「あなたのお孫さんのことで、話をお伺いに来たんです。──逆佐さかさ雛菊ひなぎくさん」

「……何者だい、あんたたち」


 名前を呼ばれた途端、老婆の顔つきがより険しいものへと変わった。

 金髪の女性が問いかけに答える。


「鞠華く……ウィーチューバー“MARiKAマリカ”のプロデュースを担当している者です」

「信用できないねぇ。なら当の本人をどうして連れてこないんだい?」

「それは……」

「ほれみな」雛菊は客たちの様子から大づかみに事情を察したようで、そのうえで彼女らを突き放すように言う。


「あんた達はウチの孫には話を通さずに、黙ってここへ来ているってワケだ。あの子が口を割らないってんなら、あたしからも話すことなんてありゃしないよ」


 雛菊はそう断言すると、ドアをちらりと一瞥して『さっさと帰りな』とうながす。

 するとそのとき、外国人女性のかたわらにいた長髪の青年が荒っぽい足取りでこちらに近づいてきた。


「ちょ、嵐馬らんまくん……!?」


 仲間の慌てたような制する声にも足を止めず、嵐馬と呼ばれた青年は堂々と雛菊の前に立つ。

 そして受付のテーブルを両手で叩くと、挑むようににらみ据えた。


「オイばあさん! アイツのことが心配じゃあねえのかよ……!?」

「だからこうしてどこの馬の骨ともわからん連中から、ウチの孫を守ろうとしておろーが」

「その大事な孫がいま、たくさん傷ついて塞ぎ込んじまってんだ! 昔アイツになにがあったのかを聞き出すまでは、このまま黙って帰れるかよ……!」


 嵐馬は必死の想いで頼みこむが、それでも雛菊はかたくなに首を横にふりつづけた。

 抑えられない不信が、彼女の口をついて飛び出す。


「誰とて他人に触れられたくない過去はある。それに素手で触れようとしているお前が、ウチの孫を傷つけないという保証はどこにあるっていうんだい」


 糾弾の声を真っ向からぶつけられ、とっさに嵐馬は言葉に詰まった。

 彼はしばし思い詰めたあと、ゆっくりと自らの胸のうちを打ち明ける。


「……アンタのいう通り、過去を知られたアイツはきっと深く傷ついちまうだろうな。そして俺はいま、こうして記憶の扉を無理やりこじ開けようとしている」

「つまりお前は、あの子の個人領域パーソナルエリアに土足で踏み込もうとしてるわけだ」

「ああ、違いねぇ」


 揚げ足をとるように矛盾を指摘する雛菊だったが、意外にも嵐馬はそれを肯定するのだった。

 己の無粋さを認めたうえで、彼はそれを決意に変えて言い放つ。


「だからって、これ以上アイツ一人に背負わせるわけにはいかねぇんだよ。鞠華のやつは俺を救ってくれた。だから今度は、俺がアイツの笑顔を取り戻す番だ」

「強情だねぇ……他人でしかないお前が、どうしてそこまでするんだい?」

「他人じゃねえよ」


 問いかけてきた雛菊へと、嵐馬はまっすぐに向き合う。


「鞠華は俺の後輩で、仲間で、ダチで……そんでもって目標ライバルだ」


 これまでにも逆佐鞠華は、アクターとして多くの人々の笑顔を守ってきた。

 世間は彼が“正義の味方”であることを望んでいたし、また彼自身も期待に応えようと努力し続けてきた。


 鞠華のもつ“強さ”に、誰もが依存しすぎていた。

 そういった悪循環が、結果として鞠華を追い込んでしまったのなら──。


「アイツと同じ痛みを、俺も背負ってやる。このままアイツ一人だけを、孤独のヒーローなんかにしてたまるかよ」


 彼のいる舞台ステージへ、自分も並び立つ。

 彼の目に映る世界に、自分も一緒に立ち向かってやる。

 そんな嵐馬のひたむきな覚悟を聞き届けた雛菊は、密やかにほくそ笑んだ。


「フッ……まさかあの子に、こんないい友達ができていたとはねぇ」

「あ? なんか言ったかババ……痛ぇぁっ!?」


 雛菊のゲンコツが頭頂部に直撃し、嵐馬が痛みにもだえる。


「な、なにしやがる……!」

「ここの温泉は通称“若返りの湯”なんて言われててね、毎日入ってるあたしをババア呼ばわりとは承知しないよ。それよりアンタら、泊まるあてはあるのかい?」

「いえ、これから近くのビジネスホテルを探そうかと……」


 レベッカが応えると、雛菊は気前のいい微笑みをたたえて提案する。


「ちょうどいい、今日はここに泊まっていきな」

「えっ、いいんですか? でも先ほど満室って……」

「たしかに客室は埋まってるが、空き部屋がひとつだけあってねぇ。あたしはこれから掃除と朝食の仕込みをしなきゃならねえし、待合ついでに特別に使わせてあげるよ」

「は、はぁ……そういうことなら。ぜひ使わせていただきます」


 いまいち要領を得ない説明だったが、とりあえずレベッカは了承してみせる。

 雛菊の残り仕事が終わるまでの間、彼らはその空き部屋で待つことにした。





「! ここって……」


 案内された部屋へと入るなり、レベッカは驚きを隠せない様子で室内を見回す。

 畳のうえにカーペットが敷かれた、和室をあたかも洋風にアレンジしたようなインテリア。ベッドや勉強机のうえなど所々に少女趣味なぬいぐるみが置かれているが、一方で本棚には少年漫画や特撮ヒーローのフィギュアなどが綺麗にディスプレイされている。

 まるで部屋主の趣味をそのまま反映したような混沌とした空間に、レベッカは確かな見覚えがあった。


「前に鞠華くんが、動画を撮ってたところだ……」

「ってことは、ここがアイツの部屋か」


 嵐馬もおぼろげながら記憶していたらしく、思い出したように目を見開く。

 “東京ディザスター”発生後、愛媛の祖母に引き取られてから半年前に上京するまでの十年間を、鞠華が過ごした部屋。 

 おそらく秘められた過去にも関係しているであろう場所を、レベッカと嵐馬が見渡していたそのとき──不意に二人の間から、メイド服を着た小さな女性が飛び出してきた。


「わわっ、ほこりひとつない! きっと女将おかみさんが定期的に掃除してるんですねぇ」

「……ところで、なんでテメーがついてきてやがる」


 『ほよよ?』と女性が嵐馬のほうを振り返る。

 その人物は嵐馬のファンを自称していたメイドであり、こうして愛媛への旅になぜか同行しているのだった。ちなみに名前は“猫本ねこもともえ”というらしい。

 理由をたずねられた彼女は、冗談めかしく笑って誤魔化す。


「だからお二人の護衛ですよ、ご・え・い! それとわたし、こう見えても嵐馬くんよりも歳上なんですからねっ。ちゃんと敬語を使わなきゃダメだぞ?」

(いい歳してネコ耳つけた大人をうやまえって言われてもなァ……)

「はてさて。男の子の部屋に来たとなれば、を捜すしかないですねっ!」


 猫本はそう言うと、なにやら急に四つん這いになってベッドの下をまさぐり始めた。

 嵐馬にスカートの中身が見えそうになっていることにも気付いていない様子の彼女に、レベッカが困り果てた顔でたずねる。


「なにしてるの……?」

「なにってそりゃ、“お宝探し”ですよぉ。ボスもわかってるくせにー」

「や、やめなさい。仮にも私たちはお客なんだから……」

「とか言って、ボスも興味津々そうじゃないですか」

「そっ、そんなことは……な、ないわよ……?」


 言葉の上では否定しつつも、なぜかレベッカは顔を赤くしたまま黙り込んでしまう。

 女性二人の奇行を目の当たりにした嵐馬は、呆れたようにボソッと呟いた。


「そんなすぐ見つかる場所に隠すかよ、フツー」

「えっ、そうなんですか嵐馬くん」

「やべっ……!」

「らんまくーん?」


 いじわるな視線を嵐馬に注いでいたそのとき、猫本の手先になにかが触れる感触があった。


「あっ、なんかありましたよ!」

(オイ鞠華のやつ、マジで隠してたのかよ……!?)


 頭を抱えている嵐馬のことは意にも介さず、猫本は興味津々そうにベッドの下に隠されていたものを引っ掴む。

 そして他の二人に見せるべく、手探りで発見した物体を勢いよく取り出した。


「ひっ」


 が何であるかを認識したとたん、猫本は恐怖のあまり思わず腰を抜かしてしまった。

 彼女の手を離れたプラスチック製の透明なケースが床に落ち、入っていた中身が盛大にぶちまけられる。

 嵐馬たちの足元をコロコロと転がりはじめたのは、小学校の授業なんかで使われる彫刻刀が数本程度。

 そのことごとくが、刃先にをこびり付かせているのだった。


「これ、アイツの私物だよな……なんでこんな……」

「やはり彼、昔からこういう行為に及んでいたみたいね」


 不可解そうな顔をする嵐馬に対して、レベッカはあたかも予見していたように言った。

 すかさず嵐馬が真意を問いただす。


「どういう意味だよ?」

「コスプレもする“MARiKA”が、どういうわけか……っていう話は、ファンの間ではわりと有名なのよ」

「言われてみれば、アイツが半袖を着てるところって今まで見たことねぇかも……」


 思い返せば彼は夏場でも上着を羽織っていたし、メイド喫茶でバイトをしたときもフリル付きのリストバンドを嵌めていた気がする。


「まさかその理由が、腕の傷を隠すためだっていうのかよ……!?」

「たぶん……鞠華くんも笑顔の裏では相当に思い詰めてしまっていたんでしょうね。それで自傷行為リストカットなんて真似を……」

「クソッ、あの大バカ野郎……」


 その行為を笑って水に流せるほど嵐馬は寛容でもなければ、他人事として受け容れる冷淡さも持ち合わせていなかった。

 彼は怒りまかせに拳を壁に叩きつけると、黙ったまま部屋の外に出ようとしてレベッカに呼び止められる。


「どこへいくつもり?」

「ちょいと湯浴ゆあみをしてくるだけだ。怖気付いたわけじゃねえよ」


 そう吐き捨てると、嵐馬は荒っぽい足取りで部屋を立ち去っていく。

 カメラの前ではキャラクターを演じていたくせに、その裏では自分の体を傷つけていただと? そうすることで辛うじて自己を繋ぎ止めていただと?

 

 ……冗談じゃない。

 人を笑顔にしたいと偉そうなことを言っておきながら、当の本人はまったく重圧に耐えられていないじゃないか。


(ほんと……笑えねえよ、クソアマ)


 握りしめた両の拳は、まだ小刻みに震えていた。

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