Live.68『ずっとキミはそこにいた 〜THE MIRACLE OF THE SNOW〜』

 紫苑は戦っていた。


「フェイズシフト……“ACT-Ⅱアクト・ツー”」


 狂戦士としての闘争本能に身をゆだね、ただひたすら痛みに耐え抜く。

 何かを破壊することでしか己を体現できない少女は、今は目の前のアウタードレス“クラウン・クラウン”を壊すために戦っていた。


 ──この“チミドロ・ミイラ”は、“マスカレイド・メイデン”の思想をもっとも強く反映したドレスだ。


 匠の言葉が脳裏でこだまする。

 それを言われたのは、たしか自分たちが“オズ・ワールド”への武装蜂起を決起する前夜だ。

 自分を検体番号エヌフォーゼロではなく“久留守くるす紫苑しおん”と名付けてくれた彼女に、紫苑は当時から全幅の信頼を寄せていた。


 ──暴走のリスクはある程度まで抑えられているが、それでもアクターへの危険性は否めない。……紫苑。君が拒否するなら、もっと安全に運用できる別のドレスを選んでもいいんだぞ?


『大丈夫だよ、タクミ。痛いのには慣れてるから、いちばん強い衣装コレがいい』


 “オズ・ワールド”と戦うためには、きっとそれが正しい選択だから。

 匠の他人には決して見せないもろさを知っているからこそ、紫苑は彼女の不安を振り払うように言った。


『ぼく、怖くないよ。タクミが教えてくれた青空を、ぼくも飛んでみたいから』


 青空、それは自由の象徴。

 鳥籠とりかごの中で育てられた少女はそれを聞かされたとき、その美しく綺麗な様にただただ憧れた。

 ゆえに、紫苑は破壊する。


「それがまりかの、救いになるなら……!」


 黒い斑点はんてん模様におおわれたミイラ・ゼスシオンが、他者を拒む鞠華のドレス──“クラウン・クラウン”へ向けて駆けていく。

 敵が迎撃にはなった投げナイフをひたすらかわし続け、間合いを一気に詰める。

 懐へと潜り込んだ紫苑は、すばやく両腕のクローを振りかざした。


「“死獣双牙ファング・ディバイド”」


 斬撃を刻みつけられた道化師クラウンのドレスは、傷口から鮮血のごときヴォイドを噴き散らしながら全身を痙攣けいれんさせる。

 やがて体力が尽きたのか、活動停止したドレスはそのままアスファルトの上へと仰向けに倒れこんだ。


(……ちがう、まりかのドレスはこんなに浅いものじゃない)


 あまりにも呆気ない幕引きに違和感を覚えた紫苑は、動かなくなったドレスへとおそるおそる近付く。

 その判断があだとなった。


「……っ!?」


 ゼスシオンが顔をのぞかせた瞬間、死んだを解いた“クラウン・クラウン”が急に細長い腕を伸ばしてきた。

 紫苑は咄嗟に逃れようとするも間に合わず、なす術もなく首を絞められてしまう。


「くっ……ぅあ……!」


 皮膚感覚をフィードバックしていることが災いし、機体の痛みがそのまま紫苑にも伝わってくる。

 ドレスは首を掴んだまま立ち上がり、ゼスシオンの足先が地面からわずかに浮いた。


(痛いんだよね、怖いんだよね、まりか……)


 反撃することもままならない状況下において、それでもゼスシオンは手を“クラウン・クラウン”へと向ける。

 何かを壊すための形をした鉤爪クロー

 しかし紫苑はそれを、目の前で苦しんでいる“弟”を救うために伸ばしていた。


(君を助けたいと思ってしまうのは、もしかしたら……ぼくのなのかもしれない。ぼくが“久留守紫苑”として生まれる前の、失った記憶──)


 クローの先端が、“クラウン・クラウン”の仮面に覆われた頬をそっと撫でる。


(──そういうことだよね、“ぼくの中のぼくまりか”)


 すると刹那、世界が一転した。





 気がつくと鞠華は、よくわからない場所にいた。


 そこには地面もなければ方角もなく、はたして空間と呼んでいいのかさえもわからない。

 試しに顔を動かしてみれば、見渡すかぎり一面に広がる、白、白、白……。

 そんな真っ白な世界に閉じ込められてしまった鞠華は、ふと目の前に自分以外の存在がいることに気付いた。


「……紫苑、紫苑なの?」

「ふふっ。そうだよ、まりか」


 柔和な笑みを浮かべて、紫苑は呑気そうに言った。

 その優しい表情に“姉”を重ねてしまった鞠華は、なんだか急にやるせない気持ちになって、思わず目を背けてしまう。


「わからないな……」

「まりか?」

「君は別人だとわかっているはずなのに……どうしても、君に姉さんの面影おもかげを見てしまう。紫苑からしたらただのメイワクだよね、ごめん……」


 すると俯いていた鞠華の頬に、そっと紫苑の手が触れた。

 ひんやりとして冷たい……けれど、不思議と気持ちが和らいでいくのを感じる。


「めいわくなんかじゃないよ。それに、ちょっとだけ嬉しかった」

「紫苑……?」

「ぼくもまりかと、同じだったから」


 『自分と一緒だ』と、紫苑は照れ臭そうに笑いながら言った。

 鞠華がその言葉の真意をはかりかねていたとき、それまで真っ白だった世界が急に色づきはじめる。

 そうして鞠華を取り巻く空間は、瞬く間に変貌を遂げていった。


「ここは……?」

「ぼくがむかし使ってたお部屋だよ」


 知らない場所に戸惑っている鞠華へ、隣に立つ紫苑がそのように教えた。

 無骨な鉄製の壁に囲まれた、窓すら存在しない無機質な閉鎖空間。

 鞠華のごく一般的な感覚で言うならば、そこは部屋というよりもむしろ独房のイメージに近い。それほどにベッド以外の家具が見当たらない部屋というものは、気味が悪いくらいに生活感が皆無だった。


「こんなところに住まわされていたなんて……」

「ちょっぴり退屈なお部屋だけど、でも寂しくはなかったよ? お話しをしてくれる相手がいたから」


 懐かしむような紫苑の視線が、ベッドのほうへと向けられた。鞠華もつられてそちらを見る。

 ベッドの上には、二人の幼い子供が並んで座っていた。

 片方は、検診衣のような簡素な服を着せられた銀髪の少女。

 まだ匠から“久留守紫苑”という名を与えられる前の、空っぽな人造人間ホムンクルスだった。


 そしてもう一人。

 しっかり手入れされた焦茶色の長い髪が艶めきを放ち、ピンクのキャミソールがよく似合っている──その人物を見たとたん、鞠華は驚愕に目を見開くのだった。


「姉さん!?」


 思わず叫んでしまう鞠華だったが、その呼び声に“姉”が振り返る気配はない。

 そこでようやく気付く。これは紫苑が鞠華の心と同期シンクロすることによって、彼女自身の記憶──いや、極めて主観的な心象風景を見せているのだと。


 検体番号“N-40エヌフォーゼロ”に移植された脳は、やはりのだ。


「ぼくの中にね、何年か前まであの子がいたんだ」

「紫苑の中に、姉さんが……?」

「うん……でもね、自我ぼくがだんだん大きくなっていっちゃったせいで、急にある日“まりか”は消えちゃったの……」


 寂しそうに紫苑は言った。


「ぼくのからだと“まりか”のこころは相性がよかったけど、それでも実験はフカンゼンだったんだって、おとなが言ってた。本当なら、ぼくはちゃいけなかったみたい……」


 バイオアクターにも人の魂が宿っていた……という匠の話を思い出す。

 それを聞いたとき、鞠華はてっきり元となった人間の心がそのまま受け継がれているのかと思った。


 しかし、どうやら見当違いだったらしい。

 宿らせていたのは、脳移植前の人間とは異なるの魂だったのだ。

 当初は移植元の人間と意識が混在していたようだが、それも器側がアイデンティティを確立していくにつれて薄れていってしまったらしい。


 紫苑はその時の感覚を、『話し相手が急に消えてとても悲しかった』という言葉で表した。


「でもね。ボスが見せてくれた動画で、きみのことを知ったんだ」

「レベッカさんが……?」

「うんっ。だから最初は“まりか”が生きてたんだと思って……すっごーく、嬉しかった」


 胸を弾ませながら語る紫苑だったが、しかし鞠華は彼女の喜びを素直に受け取ることができなかった。

 それが自分に向けられた賞賛ではないことを、わかっていたからだ。


「……君の言う“まりか”は、僕のことじゃない」

「そだねぇ。あんまりにもそっくりだったから、全然気付かなかったよ」

「僕は……姉さんの代わりにはなれない」

「ふふっ。やっぱりぼくたちってそっくりだね」

「だから何が──ぶにゅっ!?」


 不意打ち気味に紫苑が両手で頬っぺたを挟んできた。

 タコのような口にされてしまい、そんな鞠華の顔を見て紫苑がニヤニヤと笑みを浮かべる。


「にゃ、にゃにを……!」

「空っぽだったぼくに、たくさんのことを“まりか”は与えてくれた。だからぼくも、あんな風になりたいって……ずっと、憧れてたんだ」

「紫苑も……ねえしゃんに……」

「ねっ、一緒でしょ?」


 紫苑の飾らない笑顔をみて、鞠華もようやく理解に至る。

 彼女もまた“姉”に多大な影響を受け、その面影を追っていたのだと。


 どうやら紫苑のいう通り、自分たちは根本的な部分において“似た者同士”だったようだ。


「でも紫苑、僕は……」

「渡し合おうよ、まりか。きみの痛みを、はんぶん背負うから」


 気がつくと両頬への圧迫は解けており、代わりに紫苑の細い指先が鞠華の肌をなぞっていた。

 目の縁からひとすじの熱い涙がこぼれる。

 紫苑はそれを優しく拭うと、両者の鼻先が触れるくらいの距離まで顔を突き合わせて、願いを告げた。


「ぼくの勇気を、受け取って──」


 紫苑が鞠華の前髪を掻き分けた、次の瞬間。

 急に紫苑の顔が視界を覆い尽くしたかと思えば、彼女の唇がそっと額に触れていた。

 心臓の鼓動が激しさを増す。体がぼうっと熱くなる。

 しばらくして紫苑はゆっくりと唇を離すと、気恥ずかしそうに顔をくちゃくちゃにして笑った。


「……えへへ、おかしいね」

「あぁっ……もう、いつもいきなりなんだから……」


 鞠華は口をわなわなと震わせながらも、まだ額に残る唇の感触を触って確かめる。

 あまりにも唐突な事態に、すっかり涙も引っ込んでしまっていた。


「……ほんと、姉さんそっくりだ」


 久しく見せていなかった笑顔を、鞠華は浮かべた。





 深い眠りからようやく覚醒したかのように、鞠華の意識は現実世界への回帰を果たしていた。

 すぐに首を動かして状況を把握する……やはりここはアリスの部屋だ。

 近くにはアリスと匠が立っており、心配そうにこちらの顔を覗き込んでいた。


「戦闘は、どうなったんです……?」

「今さっき終わったよ。紫苑も無事だ」


 そう言って匠は窓の向こう側を見やる。

 鞠華もそちらに視線を向けると、そこには道化師クラウンのアウタードレスが──否、道化師の衣装をアーマード・ドレスの姿があった。

 おどけた笑みを浮かべながら、遥か上空を仰いでいる“クラウン・ゼスシオン”。

 その目線に先にあるものを何となく目で追っていくと、そのとき鞠華の視界に白い羽の毛のような何かが映りこんだ。


「あ、雪……」


 同じものを見つけたアリスが、心なしか少しだけ嬉しそうに言った。

 街の光に照らされて白く輝く雪のシャワーはそれほどに美しく、不思議と見る者の気持ちも和らげてくれるのだった。


 ふわりふわりと宙を舞い、地面に落ちれば溶けてしまう、天からの贈り物ギフト

 きっとその綺麗で儚い在り方に、ほんの少しだけ勇気をもらえたのだろう。

 憑き物が落ちたような身軽さに突き動かされ、鞠華はようやく決心を固めた。


「ティニーさん……それに、アリスちゃんも。聞いて欲しいことがあります」


 二人のほうに向き直ると、胸に渦巻く恐れを嚙み殺しながら鞠華は言った。

 するとアリスは少し驚いたように目を丸くさせ、匠はただ黙って頷く。

 鞠華は言葉を続けた。


「今さら勝手だって思うかもしれない。けど、今のうちに話しておきたいんです」


 まるで世界のすべてを敵に回しているような恐怖感を、ほんのちょっぴりの貰った勇気で振り払いながら。

 いちど大きく深呼吸をして、荒波のごとく乱れている心を整えたあと、


「ずっと隠し続けてきた、僕のすべてを──」


 少年はおそるおそる、一歩を踏み出した。

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