星降る聖夜の紫苑編

Live.64『知らない返り血で濡れていた 〜REPENT OF ONE'S SINS〜』

 大河には最初、何が起こったのか理解できなかった。

 もの凄い衝撃が機体を襲い、一瞬遅れて誘爆の炎が狭いコントロールスフィアの空間を駆け抜ける。

 熱いのではなく、痛い。

 服や全身の肌が焼け焦げていくのを感じながら、大河はあまりの激痛に身をもだえさせていた。


 ──嫌……嫌よ、こんなところで死ぬなんて……アタシは!


 死を意識したとたん、大河の中でカッと熱いものが込み上げてくる。

 それは怒りだった。

 この世界を構成するありとあらゆる理不尽に対する、叛逆はんぎゃくの意志だった。


 ──そうよ……いつだって現実は、アタシから何もかもを奪っていった!


 いつも、いつも……神様という存在は、自分に対して意地悪だった。

 父親の顔を知らない彼は、唯一の肉親である母親に愛情を向けられないまま育つ。

 育児を放棄して男遊びをしているような、典型的なクズ親だった。


 通っていた小学校でも女みたいな容姿を馬鹿にされ、誰も自分を対等の人間として扱ってくれなかった。

 どいつもこいつも、自分より下等ブサイクだったくせに……。


 そんな奴らばかりだったが、あるとき少年の日常に転機が訪れる。

 “東京ディザスター”の発生──史上最悪の悲劇とうたわれた災厄は、しかし自分を散々見下してきた有象無象うぞうむぞうどもを綺麗さっぱり葬り去ってくれた。

 それまで神に見放され続けてきた少年は、そこでようやく確信に至る。

 『やはり自分は特別な存在だった』……と。


 きっと世界は自分に嫉妬していたのだ。

 だからこの少女のように美しい容姿を妬んで、こんなにも醜悪な運命のレールを用意したのだろう。

 そう思うことで、少しだけ気持ちが楽になった。

 否──そんな自尊心プライドで自分を塗り固めなければ生きていきないほどに、幼き少年の精神こころはすでに疲弊しきっていた。


 ──だからアタシは生きる。生きて生きて、こんなクソッタレな現実を自分の手で変えてやるのよ。そのために、アタシは……!


 だがそのとき、機体の裂け目からのぞく曇天に、黒い影が映る。

 冷徹な眼差しでこちらを見下ろす仮面の女皇──“マスカレイド・ゼスマリカ”。


 どす黒い触手のようなものが体の奥底から這い上がり、四肢の末端から大河をおかしていく。

 ゼスマリカによって過量投与されたヴォイドが、彼の閉じていた記憶トラウマを無理やり呼び起こした。



 徐々に薄れていく意識の中、朦朧とした視界にぼんやりと景色が映し出される。

 そこは、大河が数年前まで暮らしていた孤児院だった。

 十年前に身寄りを失い、スラム街でボロ雑巾のように過ごしていた彼は、あるとき“お姉様”を名乗る若い女性に保護されることとなる。

 そうして孤児として迎え入れられた以降は──“お姉様”の言いつけで少女趣味なゴシックロリータの服を着せられていたとはいえ──衣住食に不自由のない、平穏な日々を享受することができていた。


 だが──孤児院に入ってから一年ほどが経ったある日、大河はひとり“お姉様”の部屋に呼び出された。

 彼は孤児たちの中でもとくに気に入られていた。

 大河自身もそのことを心悪く思ってはいなかったし、むしろ実の母親にさえ向けられていなかった愛情に喜びを感じてさえいた。


 招かれた部屋のベッドの上で服を脱がされ、両手両足を縛り付けられる瞬間までは──。


『ねぇお姉様、なにをしてるの?』

『フフフ……ああ、私の愛しい大河。なんて可愛いのかしら……女の子みたいなアナタが、アタシはとっても大好きよ……ホント、食べちゃいたいくらい』


 “お姉様”は大河の上に跨りながら、彼の股座またぐらに冷たい金属でできたものを突き付ける。

 片方の睾丸こうがんを挟み込むそれは、作業用のペンチだった。


『……でも、その美しさは期間限定。どんな綺麗な花でもいつかは枯れちゃうの。男の子だものね……あと数年もすれば、きっとそのうち髭とかも生えてきちゃうんだわ』

『お姉様、こわいよ』

『フフ、フフフフ……怖がらなくてもいいのよ、大河。アタシがアナタを、永遠のものにしてあげるわぁ……こうやって!』


 ペンチを握る“お姉様”の腕に力が込もる。

 直後、大河の絶叫が部屋中に響き渡った。


『アハハハハハッ!! ほらぁ見て、嬉しいでしょう大河ぁ! これでアナタはずっと可愛い大河のままでいられるのよぉ!!』

『もうやめて……ぼ、ぼくのぉ……』

『ダーメ、もう“僕”は禁止っ! アナタはもう男の子じゃないんだから、これからはもっと女の子みたいに喋りなさい? フフ……それじゃあ、もう片方も──』


 再びペンチに力が加わり/炎が体を包み込み。


 耳を裂くような叫び声が上がる。











「いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 触れられたくない記憶を呼び覚まされた彼は、自らの心を守る自尊心の壁が砕け散る音を聴きながら落下していく。


 そして──抱いていた野望も何もかもが道半ばなまま、装甲を失った大河の身体ゼスタイガは地面へと叩きつけられた。





 装甲破壊ドレスブレイク

 それが“マスカレイド・メイデン”の持つ唯一無二の固有能力ドレススキルであり、たったいま大河を絶望の淵へと叩き落としたものの正体だった。


「ゼスタイガのドレスが、破壊された……ってのか……?」


 眼下の地面に叩きつけられた大河のアーマード・ドレスを見て、嵐馬は背筋に氷を当てられたように身震いしてしまう。

 従来であれば──アウタードレスはどんなに激しい損傷を受けようとも、時間をかけてヴォイドを再充填リチャージすれば自己修復することが可能である。

 アーマード・ドレスがまとう装甲についても同様であり、ヴォイドの供給が尽きない限りは半永久的に砕けることのない甲冑だと言っても過言ではなかった。

 

 だが、そんな根底にあった原則ルールすらも、仮面の女皇はいとも容易く覆してみせたのだ。

 マスカレイド・ゼスマリカの装甲破壊ドレスブレイクとは物理的な攻撃手段を示すものではなく、対象の精神への干渉を行う能力スキルである。


 この場合における“干渉”とはすなわち、精神攻撃。

 人の心が秘めし傷跡トラウマを強制的にフラッシュバックさせ、自我の崩壊を誘発。

 そうして“心の鎧”であるドレスを、から破壊する。


 まさしく“マスカレイド・メイデン”が、『ドレスを破壊するドレス』と言わしめる所以ゆえんであった。


《あのドレス……“ブラック・ローゼン”は、大河自身が媒介者ベクターとなって顕現したものだ》

《それは本当か?》

《ああ。それが今、修復不可能なレベルで破壊されてしまった……》

《……そうか》


 通信回線の向こう側で、匠の悔いるような声が聞こえてきた。問い質した百音も、暗い面持ちで言葉を受け止める。

 その短いやり取りが、事態の重大さを物語っているようだった。


 自らを映す鏡ともいえるドレスの破壊──。

 それはつまり、トラウマを呼び起こされたがためにということ。


 他の誰でもない、逆佐鞠華の手によって。


「くそッ……もうやめろ、やめるんだ鞠華ァ!!」


 悲痛な叫び声を上げながら、嵐馬は捨て身の覚悟で機体を急上昇させる。

 持っていた日本刀を投げ捨て、スケバン・ゼスランマは全速力でマスカレイド・ゼスマリカの懐へと飛び込んだ。

 そのまま腕を回して組み付くと、嵐馬は“マスカレイド・メイデン”に囚われているアクターへと必死に呼びかける。


「このッ……いい加減に目ェ覚ませ!! お前ほどのヤツが、そんなワケのわからねぇドレスに着せられてるんじゃねぇよ!!」

《全テノ敵ハ……破壊スル……》

「うるせぇ! 俺はに話しかけてんだ、出しゃばってくんな……うぐっ!?」


 が、やはりパワーで劣るスケバン・ゼスランマがゼスマリカを抑え込むことは難しく、すぐ赤子の手をひねるように振りほどかれてしまう。

 「それならよォ……!」と、嵐馬は負けじと態勢を立て直し、さらにゼスパクトを構えて叫ぶ。


ドレスアップ・ゼスランマ……ッ!!」


 現状のゼスランマにとって、最高値のパワーを叩き出せる形態への換装。

 だがそれは同時に、たった30秒しか保たない諸刃の剣でもある。


 しかし嵐馬はなんの躊躇いもなく、友を救い出すべくダブルドレスアップの使用に踏み切った。

 かくして“ビースト・セーラー”へと換装を終えたゼスランマが、丸腰の状態のまま再びマスカレイド・ゼスマリカへと切迫する。

 そして両者は互いの掌を合わせて拳を握り合ったまま、奇妙な形で対峙することとなった。


《敵……僕ヲ傷ツケルモノ……》

「河川敷でケンカしたとき……お前、俺に言ったよな!? 自分が女装を始めたのは、『別のジブンになりたかったから』だって……!!」

《……ソノ全テヲ……破壊スル……》

「これがお前のなりたかったキャラクターかよ!? ここまま破壊を続けちまったら、それこそ本物の悪党ヴィランに成り下がっちまうかもしれないんだぞ……!」


 どんなに思いの丈を叫んでも、やはり鞠華からの声はかえってこない。

 そればかりか、拮抗していたはずのビースト・ゼスランマが徐々に押し負けつつあった。

 限界時間リミットも刻一刻と迫りつつある。悠長にしている場合ではない。

 決意を固めた嵐馬は、これが最後という想いで力の限り、ただひたすらに叫ぶ。


「言っただろ! 自分が消えていく苦しみに耐えられるほど、人間の心は丈夫に出来ちゃいねぇんだって! けどそれは恥なんかじゃねぇ……そう教えてくれたのは鞠華、お前のはずだ!」

《……スグニ終ワラセテヤル》

「だからもうこれ以上、一人で痛みに耐えようとするのはよせッ! みんなを笑顔にするったって……お前自身が笑えなくなっちまったら、意味ねぇじゃねえか!! そんなの俺は絶対に認めねぇ……認めてたまるかよッ!!」

《“第六禁術ラウンドシックス怠惰のスロウス”──》


「お前はもう、ひとりなんかじゃないんだッ!!」


《…………!!》


 嵐馬の言葉がようやく伝わったのか、マスカレイド・ゼスマリカは魂が抜かれた人形のように動きを止めた。

 瞳に灯っていた赤い光が消え、倒れかかってきたゼスマリカを、嵐馬は身を呈して抱きとめる。

 そうして機体同士がもつれ合うように密着したとき、腕の中にいる鞠華のひどく衰弱した声がきこえてきた。


《ランマ……なんだか僕、ずっと怖い夢を見ていたような気がするんです……》

(……! まさか、暴走してるときのことも覚えているのか……?)

《夢……ですよね? コレ……現実じゃ、ないですよね……?》


 怯えきった表情をした鞠華が、恐怖に肩を震わせながら問いかけてくる。

 訊ねられた嵐馬はいくばくかの逡巡しゅんじゅんを繰り返した後、できるだけ優しい声でなだめようとする。


「ああ、だから今は何も考えなくていい。疲れてんだろ、ゆっくり寝とけ……」

《ありがとう。……ゴメン》


(『ゴメン』じゃねえよ、クソっ……)


 鞠華の身を案じて吐いた嘘も、どうやら彼にはすぐに看破されてしまったようだ。

 嵐馬はそのことに苛立ちを感じつつも、機体にゼスマリカを抱えさせて地上へと降下していく。


 上空から見渡すことのできる横浜の街並みは、ほとんど半壊状態だった。

 背の高い建造物は防護隔壁に守られているものの、道路のアスファルトや陸橋などには瓦礫が飛散しており、無惨な破壊のあとを見せつけている。

 この状況を生み出した大部分の元凶は“マスカレイド・メイデン”にあるのだが、そのことを嵐馬の口から本人に直接伝えることはとても出来なかった。

 やがて地上へと着地した嵐馬がゼスマリカも一緒に降り立たせたとき、レベッカからの通信が入る。


《鞠華くんを助けたいなら、付いてきてください。私たちの拠点アジトへ案内します》


 平淡な口調で言うレベッカの声を、嵐馬は半信半疑といった表情で聞いていた。

 彼女が“オズ・ワールド”に潜入していた内通者だったという情報は、すでに百音から知らせられている。

 ゆえに嵐馬はあくまで警戒心を解くことはなく、慎重に問いただす。


「……信じて、いいんだな?」

《そうして貰えると助かります。少なくとも、本性を現したよりはよほど信用できると思うけれど》


 それだけ言い残して、ミイラ・ゼスシオンとコマンド・ゼスティニーはそっときびすを返す。

 ゼスランマも後を追っていこうとしたそのとき、後方から殺気めいたものを感じて嵐馬は思わず立ち止まった。

 ウエスタン・ゼスモーネがこちらの機体の背中へ、リボルバー銃を突きつけているのである。


《ランマくん。まさかキミまで裏切る気?》


 百音にそう訊ねられた嵐馬は、後ろは振り返らずため息混じりに答える。


「別にそんなんじゃねぇよ……だからって、今さら支社長のトコに戻るわけにもいかねぇだろうが」

《それは……そうだけど……》

「とにかく今は鞠華コイツをゆっくり休ませられるところに連れてくのが最優先だ。……星奈林せなばやし、お前はどうすんだよ?」


 できれば彼にも一緒について来て欲しい──というのが、嵐馬の正直な本音だった。

 しかし百音はリボルバー銃をゆっくり下げると、どこか残念そうに首を横に振る。


《……ゴメン、やっぱりアタシは一緒に行けない。ウィルフリッドさんにもきっと何か考えがあるはずだから……決断を下すのは、それを見定めてからでも遅くないと思うの》

「お前だって見ただろ、アイツは……」

《アタシだってわけわかんないよ!!》


 嵐馬が吐き捨てた言葉を、百音の絞り出すような叫びが遮った。

 彼は思わず声を荒げてしまった自分自身に驚いていたようだったが、それでも意志は曲げずにモニター越しの嵐馬を強くハッキリと見据えてくる。


《でも、アタシはあの人を信じたい。信じさせて欲しい》

「……そうかい」


 それが百音の選択だと言うならば、自分がこれ以上とやかく言う筋合いはない。

 それを認めた嵐馬はゼスマリカを抱きかかえると、今度こそ“ネガ・ギアーズ”たちを追って機体を飛び立たせる。


 その間、ウエスタン・ゼスモーネにはいくらでもこちらを背中を撃つチャンスがあったはずだが、百音はそうせずにわざと見逃してくれたようだった。

 もしかしたらこれが、彼が自分たちにかけてくれる最後の情けだったのかもしれない。


 いずれ彼と敵対するようなことにならないのを切に祈りつつ、嵐馬はゼスマリカを抱えたまま街から飛び去っていった。

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