Live.59『こうして僕らは逃げ出した 〜SECOND THOUGHTS ARE BEST〜』

「おい、何だよこの警報は!?」


 ちょうど格納庫でゼスランマの整備に立ち会っていた嵐馬は、近くにいた作業員たちを呼び止めてたずねた。

 何の前触れもなく突然鳴り始めた不協和音メロディは、今もまったく止まる気配すらなく響き続けている。どうやらオフィス内で何かが起こっているようだ。


「わからない! 外に出ようにも、格納庫中のドアがロックされてて……!」

「閉じ込められたってか!? だったらすぐに連絡を……!」

「もちろん試してはいるさ! でも、いくら管制室や社長室にコールしても応答がないんだ……!」

「マ、マジかよ……」


 整備班長の男がどうしようもない現状を告げ、嵐馬や作業員たちは不安げに顔を見合わせる。

 あらゆる部署に連絡を試みても繋がらないということは、社内の伝達システムそのものに障害が生じているのだろうか。

 もしそれが何者かの故意による犯行だとすれば、おそらくは──。


(まさか、例の内通者スパイってやつか……?)


 最悪の事態ケースを想定した場合、そのような考えに行き着く。

 “オズ・ワールドリテイリング”社内に潜み、インナーフレーム“ゼスティニー”の譲渡を手引きしたとされる謎の人物。

 その姿なき黒幕が、再び動き出したというのか。


 そんな嵐馬の推測を裏付けるかのごとく、いきなり作業員の誰かが慌てたように叫んだ。


「うわああああああああああっ!!」

「どうしたッ!?」

「ゼ、ゼスタイガがっ……勝手にぃ……!!」

「なんだと……!?」


 驚きに見開かれた目が、すぐに格納庫の奥へと移される。

 “ネガ・ギアーズ”から押収されたうちの一機──インナーフレーム“ゼスタイガ”が独りでに動き出し、全身をくわえ込む拘束具を今にも引き千切ちぎろうとしているところだった。

 四肢を固定していたアームがとうとう耐えきれず、軋みをあげて破壊される。

 砕けた巨大な鉄のかまたりが真下の床へと落下し、恐怖でおののいた作業員たちは悲鳴をあげながらけていった。

 おりを食い破る獣のように暴れ出したゼスタイガ。

 その目には確かに火が灯っている。


「くそッ、乗ってんのは一体どこのどいつだ……ッ!?」


 インナーフレームが自動操縦で動くわけがない。

 ゼスタイガのコントロールスフィアに、アクターが乗り込んだ……?

 そんな嵐馬の予感はやはり的中しており、直後にゼスタイガの外部スピーカーから妙に聞き覚えのある声が発せられた。


《ハァーイ。“オズ・ワールド”のクソッタレな下僕どもしゃいんさんたち、ちゃんと聴こえてるぅ〜?》

「やっぱりテメェか、ゴスロリ野郎!」

《この機体はアタシのものよ。悪いけど返してもらうわ……ッ!》


 ゼスタイガを強奪した犯人──飴噛あめがみ大河たいがは口を裂いて笑うと、何もない虚空から雨傘アンブレラの武器を出現させては引っ掴む。

 それを格納庫の隔壁に向けて剣のように突き立て、先端部に高圧縮のヴォイドを這わせてバターのごとく切り裂いていった。


《アハハハッ! 大人しく退きなさぁい! じゃないとアリさんみたいに踏み潰しちゃうんだからぁっ!》

「あいつ、このまま外に逃げようってのか!? ……そうはさせるかよッ!」


 隔壁に機体が通れるほどの大きな穴を開け、それを潜って地上へ続くリフトに乗り込むゼスタイガ。

 “ネガ・ギアーズ”である彼を脱走させるわけにはいかない。アクターとしての使命感に燃えた嵐馬も、すぐそこに佇んでいたゼスランマへと乗り込む。

 そして速やかに機体システムを立ち上げると、彼は急いでゼスタイガのあとを追っていった。





 警報を聞いて資料室を飛び出した鞠華もまた、下方から突き上げるような揺れを感じて焦燥していた。


「地震……いや、違う。地下で何かあったのか……?」


 鉄骨が落下した時のような地響きが微かに聞こえ、直感的にそう判断する。

 先ほどからやかましい警報音アラートも鳴り止んでおらず、状況から見てもオフィス内で何かが起こっていることは間違いないだろう。


「わからないけど、いかなきゃ」


 そう思い至るや、鞠華の脚は何の躊躇ためらいもなく駆け出していた。

 どういうわけかエレベーターが稼働を停止していたため、仕方なく階段を使って地下フロアへと降りる。

 不意に凄まじい轟音と振動がオフィスを震わせた。すると社内の電力供給に異常が発生したのか、辺りを照らしていた照明が瞬いて消え、ほどなく非常用電源に切り替わる。

 それでも鞠華はおくせずに地下までたどり着くと、非常灯の赤みがかった光に照らされた通路を駆け足で進んでいった。


(そういえばココの地下には、あまり来たことがなかったっけ……)


 慣れない道順を辿っていきながら、振動のする方向を目指す鞠華はふと思う。

 地下は主にヴォイドやアーマード・ドレス関係の開発・研究設備が密集しているフロアであり、技術者や研究者でない鞠華が立ち寄ることは殆どない。用があるとしてもせいぜい格納庫くらいのものである。


 黒塗りの無骨な壁に囲まれた無人の地下通路は──停電による空間の暗さも相まってか、どこか形容しがたい不気味さがあった。

 地上のフロアはそれこそ企業らしからぬ娯楽施設のような設備ばかりが充実しており、社員たちも和気藹々わきあいあいとしていてゆるい印象があった。

 それに対して地下フロアを満たす空気はまるで人の温度が感じられず、ひんやりと張り詰めているような気がしてならなかったのだ。同じ建物内でありながらも全く毛色の異なる雰囲気には、鞠華もギャップを感じずにはいられなかった。


 それでも引き返そうとはせず、息切れをこらえてはしる。

 まるで見えない何かに導かれるように、無機質な通路を駆けていく。


 そうして突き当たりのT字になっている角を曲がろうとしたその瞬間、すぐ正面に誰かの人影があることに気付いた。


(まずい、ぶつかる──ッ!?)


 反射的にそう思うものの、すでに猛スピードで角を曲がろうとしていた脚は急には止まれない。

 結局ブレーキをかけることもままならず、目の前にいた人物と正面から激突。そのままなだれ込むように、鞠華の身体は盛大に倒れ込んだ。


「っつ……す、すみませ……ん?」


 上から覆い被さるような体勢になってしまい、鞠華はすぐに退こうと手を這わせる。

 ……が、手のひらに触れたのは地面の硬い感触ではなく、人肌のように暖かくて大きいナニカだった。

 予想と違う触感に驚いてしまった鞠華は、動揺のあまりそれを掴んでしまう。薄い布越しでも柔らかいのがわかる肉の塊は、鞠華の手に合わせてむにゅむにゅと形を変えていき──。


「まりか、いたい……」

「ご、ごめん! 紫苑しおん!」


 腕の中にいる検査衣を着た少女に言われてしまい、そこで我に返った鞠華は思わず飛び上がってしまう。

 無意識だったとはいえ、どうやら彼女の乳房を揉んでしまったらしい。

 鞠華はすぐに深々と頭を下げて謝罪するが、目の前の少女はさほど気にしていないのか、何事もなかったかのようにゆっくりと立ち上がった。


 そこでふと鞠華は、先ほど自分の口を突いて出た名前を思い出して驚愕する。


(──って、は? いまって……!?)

「?」


 きょとんと首を傾げているその少女は、どう見ても久留守くるす紫苑しおん以外の何者でもなかった。

 “ネガ・ギアーズ”との最終決戦のあと、ずっと会いたかった──けれど見舞いに行こうとしても面会謝絶を告げられ、ずっと会えなかった少女。

 その彼女がいま、自分の目の前にいる。

 最後に顔を見た時から約1ヶ月半、思わぬ形での再会となった。


「し、紫苑……! 体はもう大丈夫なの!? 歩いても平気!?」

「? ぼく、どこもケガしてないよ」


 鞠華に肩を掴まれた紫苑は、そのようにややズレた受け答えをする。

 そんな間の抜けたやり取りにどこか懐かしさを感じてしまい、鞠華はようやく強張っていた肩の力を抜くことができた。


「まりか、泣いてる? どこかぶつけた?」

「ううん……でも、無事でほんとによかった……よかったよぉ……」


 安堵と悲哀と歓喜をごっちゃに混ぜたような泣き顔を浮かべながら、鞠華は力の込もっていない笑みをこぼす。

 そんな鞠華の様子を見て心配したのか、紫苑は震えている彼の上半身をそっと抱き寄せると、母親が赤子をあやすように優しく頭を撫でるのだった。


「そっか。まりかはずっと、痛かったんだね」

「…………うん」


 不思議だ。

 こうしていると、なんだか懐かしい気持ちになる。

 そういえば昔もこうして、気弱で泣き虫だった僕をいつも慰めてくれてたっけ。


 ポロポロと溢れていた涙も、紫苑の胸に抱かれているうちに気付けば自然と引っ込んでいた。

 願わくば、ずっとこのままでいたいとさえ思っていた鞠華だったが──第三者が近付いてくる足音が聞こえ、意識を現実へと引き戻される。


「おっとぉ……これはこれは、もしかしてお邪魔しちゃった感じかねぇ?」

「み、水見みずみさん……!? わわっ……!」


 進行方向からゆっくりとこちらに歩いてくるのは、白衣を着た水見みずみ優一郎ゆういちろうだった。

 恥ずかしい現場を目撃されてしまい、鞠華は赤くなっていたまぶたを慌てて拭う。


「ど、どうしてこんなところに……?」

「んー? いんや、ちょいとそこのお嬢さんを連れ戻しにきただけさぁ。こう見えても俺、その子の主治医ってことになってるんでね」

「主治医……あっ、そうか」


 水見から説明を受けて、鞠華は納得したように頷く。

 そういえば紫苑はオフィス地下の医療施設へと搬送されており、治療が終わった後もそこで経過観察を受けているという話だった。

 誰から治療を受けているのかまでは知らされていなかったが、担当が水見ならばこれ以上ないほどに安心できる。


「じゃあ……水見さん、彼女のことを任せてもいいですか。僕は行かないといけないので」

「おう。何が起きてるのかは俺もわからねぇが、とにかくお前も気をつけろよ」

「ありがとうございます。じゃあ紫苑、そういうことだから僕はこれで……」


 紫苑を水見にたくし、鞠華は気を取り直して走り出そうとする。

 ……が、一歩を踏み出そうとしたそのとき、不意に後ろから手を握られた。


 鞠華は驚いて肩越しに振り向く。

 するとそこにはオッドアイの瞳を大きく見開いたまま、なぜか深刻そうに震えている紫苑の顔があった。


「……紫苑?」

「や……やだよ、まりか……あのひと、こわい……」

「えっ……」


 尋常ではない怯え方をしている紫苑を見て、唖然とした鞠華はその場に立ち止まる。

 彼女の言う『あのひと』というのは、明らかに水見のことを指していた。

 だが、彼をそこまで怖がる理由にはまったく見当がつかない。

 困惑した鞠華は、その言葉の意味を確かめるように水見のほうを向き直る。


「水見さん、これはどういう……」

「ハァー……ったく、ちょっと甘やかせばすぐコレだ。面倒かけさせやがって……さっさと来い、

「やだぁっ……」


 鞠華の背中に隠れたまま、頑なに動こうとしない紫苑。

 そんな彼女に苛立ちを覚えたのか、水見がより語気を強めて言う。


「いいから、


 その時の彼が──まるで感情の込もっていない冷徹な目をしていたのを、鞠華は決して見逃さなかった。

 少なくとも医者が患者に向けていい目じゃない。

 彼は明らかに紫苑をさげすんでいる……あるいは、心の内では人間としてすら扱っていないのかもしれない。

 

 水見の表情からそうした細かい感情を読み取った鞠華は、紫苑の手をかたく握り返すと──。


「紫苑」

「んっ」


「走るよ」

「…………うん」


 コクリとうなずいた彼女の手を引っ張り、立ちはだかる水見とは逆の方向へむかって駆け出した。


「あっ、オイ! コラ待てって……ッ!!」


 当然ながら水見はこちらを追ってこようとしたが、そのとき突如として天井に設置されたスプリンクラーが作動した。


(なんだ……!? 火事が起きたわけでもないのに……)

「まりか、はやく」

「う、うん……!」


 誤作動にしてはあまりにも出来過ぎている。

 まるでタイミングを見計らったように吹き出しはじめた高圧の散水が、不意を突かれてしまった水見を立ち止まらせる。

 そうして追撃者の足が止まっているうちに、鞠華と紫苑は全速力でその場を立ち去っていった。

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