シーズン3『マスカレイド・メイデン』

最後のゼスアクター編

Live.51『いろんなことがあったのさ 〜BEYOND THE TIME〜』

 『デスティニーが近所にあるなんて羨ましい!』


 ……とよく羨ましがられたが、(よほど熱烈なファンでもない限り)普通はだいたい年に一度行くか行かないかくらいである。

 というのが、地元民である少年の偽らざる本音であった。


 ましてや父親が仕事でずっと家を空けているともなれば、遊園地に連れていってもらえる機会など滅多にない。

 女手一つで家庭を守ってくれている母親の苦労は知っていたし、その背中を見て育ったのだから、同じ年頃の子供みたいに甘えてはいけないのだということもわかっているつもりだった。


 だから、素直に嬉しかった。

 数年振りに家へ帰ってきた父と、母と、姉との家族四人で『東京デスティニー・ハイランド』に出かけることになったのだから──。




「ふえぇん……おねえちゃああん……」


 西暦2020年、7月下旬。

 夏らしい陽射しが照りつけるパークの中を、双子の兄弟は歩いていた。

 容赦のない炎天下に熱されたアスファルトの上で、陽炎かげろうがゆらゆらと立ちのぼる。ジリジリと体力が奪われていく不安を感じながらも、後ろを歩く弟はポロポロと大粒の涙をこぼしていた。


「こらっ、オトコノコでしょ。泣いたら……めっ、なんだよ?」


 泣きじゃくる弟に対して、彼の手を引っ張りながら歩く姉はいくらか平気そうだった。

 あるいは、弟の手前では泣きたくても泣けないのかもしれない。弟に微笑みかける顔には、そのような“強さ”が宿っていた。


「でも、だって元はと言えばおねえちゃんが……」

「うっ……それもそうだけどぉー。ぼくだってお父さんとお母さんをよろこばせたかったんだもん」


 何を隠そう、両親とはぐれてしまった二人は絶賛迷子中だった。

 その原因は十中八九じゅっちゅうはっく姉のほうにあり、配られていたハート型の風船を両親にプレゼントしたいという理由から、親たちには黙ってこっそり弟を連れ出してしまったのだ。

 無事にキャストのお兄さんから風船を受け取ることはできたものの、ただでさえ人混みに溢れているパーク内で親の姿を見つけられなくなってしまうのは、もはや時間の問題であった。


「まあまあ、すぎたことを言ってもしょーがないっ!」

「おねえちゃんがそれを言う……?」

「言う! うしろを向いてたって前には進まないもん。だから──も、泣いてないで、笑って?」

「…………うん」


 どこまでも前向きな励ましに感化されて、弟は服の袖で涙を拭う。

 いつだって姉はそうだった。その誰よりも明るい笑顔で、周りの人さえも元気にしてしまう──まさに太陽のような存在ひと

 度が過ぎたマイペースさに振り回されることもしょっちゅうあるけれど……それでも少年は、そんな姉が大好きだった。




 ──だからこそ、あまりにも唐突だったを、ボクは受け入れることができなかったのだろう。






「あっ、ふうせんが……!」


 何かの拍子に手放してしまった風船が、声を上げた姉の意思に反して上へ上へと昇っていってしまう。

 どんどん離れていってしまうハートの形を目で追っていたとき、二人はようやく“異変”に気付いた。


 つい先ほどまで澄み切った青色をしていたはずの空が、絵の具をこぼしたように赤く染まっていたのだ。

 夕陽のような暖かい茜色ではない。まるで血の滲んでいるような、あまりにも不気味な赤黒。

 生物の死を連想させるような空の色彩いろは、姉と弟ふたりの時間を──そして周囲を行き交っていた人々の足をも止めてしまう。ある者は驚いたように指を差し、またある者はスマートフォンを取り出して呑気に写真撮影なんかを行なっていた。


 その不可解な現象さえも、これから起こる災厄の予兆プレリュードに過ぎないのだということも知らずに──。


 そこから先の記憶えいぞうは、消耗したビデオテープのように乱れノイズが生じている。


 激震。次いで、暴風。

 大地が裂かれ、亀裂から赤黒い炎のような何かが轟音と共に膨れ上がった。

 人々の間で絶叫や悲鳴がこだまする。逃げゆく者達が、ありえない色をした濁流に背中から呑まれていく。

 周囲を見渡せば、視界を埋め尽くすほどの赤、赤、赤、赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤──。


 ヒトが、沈んでいく。

 救いを求めて伸ばされた腕が、その場から必死に逃れようとする脚が、悲痛を嘆き叫ぶ頭が、沈んでいく。

 急変する事態によって姉を見失ってしまった少年の意識も──沈んでいく。

 安穏としていたひと時は、一瞬にして奪われてしまったのだった。


 その日、東京は死んだ。








 暗闇。深淵。静寂。奈落。

 光も音もない場所で、少年は意識を取り戻した。

 まだ頭の中がぼんやりとしている彼へ、誰かが語りかけてくる。

 微かに聴こえる声に、少年は薄れかけていた感覚をひたすらに集中させた。


 アナタ ハ ダアレ?


 何てことのない、ありきたりな問いかけだった。

 少年は思うように動かない口や喉を懸命に動かして、それに答えようとする。


 ──ボク ハ ダレダ……?



                ナマエ……。


                  オネエチャンハドコ?


 ボクは   、マリカ。



          オトウサン? オカアサンハイナイノ?

 

                     サカサ マ リカ。






                 ボ

                  ク

                 は



                逆佐鞠華。

















「……!!」


 目を覚ますと、病室らしき部屋の天井が目の前に広がっていた。

 ベッドに横たわっていた身体を起こしつつ、ぼんやりと室内を見回す。照明が落とされていることから察するに、どうやら今は真夜中らしい。自分がどれくらい寝ていたかはわからないが、変な時間に起きてしまったようだ。


(たしか僕は、“ネガ・ギアーズ”との戦いが終わった後すぐに気絶しちゃって……そうだ、紫苑は……!?)


 気を失う寸前の出来事を思い出し、鞠華はハッと目を丸くする。

 ゼスシオンが眠るように沈黙するのを見届けた後、自らも“ダブルドレスアップ”の反動により倒れてしまったことまでは辛うじて覚えている。


 あれから何時間、あるいは何日経過しているのか?

 戦いに傷ついた仲間たちは無事なのか?


 そして……紫苑はあの後、どうなってしまったのだろうか?


 疑問ばかりが募っていき、答えてくれる者は誰もいない。

 わかっていることは、自分がいつの間にか寝間着を着せられていることと、つい先ほどまで病室のベッドで眠っていたという事実だけだった。


「やっと目を覚ましおったか。のう、マリカよ……」


 誰かに名前を呼ばれたことに気付き、鞠華はふと隣を振り返る。

 窓際のベッドで半身を起こしながらこちらを見ているのは、パジャマ姿の幼い少女だった。

 夜風になびく黒髪を腰のあたりで結んでおり、窓から差し込む月明かりに美しく照らされている。10歳前後の見た目にそぐわず妙に落ち着いた佇まいを見て、鞠華は思わず──、


(お人形さん……?)


 と、率直な第一印象を抱くのだった。

 それほどに少女はどこか浮世離れしており、手を伸ばしても触れられないような神秘ささえ纏っているようだった。


「……って、どうして僕の名前を?」


 鞠華が疑問を投げかけると、幼い少女は年寄りみたいな呆れた溜め息をついて応える。


「たわけ、病室前の名札くらい目を通すわ。それとも何か、遠回しにワシをdisディスっておるのか?」

「い、いやぁ……そういうわけでは……」


 先ほどからどこか掴み所のない同室者の言動に、鞠華はつい困惑しきった表情を浮かべてしまう。


(ところでこの人、一体いくつなんだ……? 見た目は完全に幼女だけど、僕への接し方はなんか歳上のソレっぽい気もするしぃ……)


 一般的な女の子が一人称に“ワシ”を用いることなんて滅多にないし、『やっと目覚めおったか……』などという台詞が口から出るとも考え難い。

 単にこの少女が変わり者と言ってしまえばそれまでだが、実年齢と外見年齢が一致しない──いわゆる“合法ロリ”だという可能性も否めない。


(それとも、この場合は“合法のじゃロリ”と呼ぶべきなのか……? いやまて、そもそも女の子と断定すること自体が早計かもしれない……口調も男っぽいし、もしかして“ロリショタ”……? “合法のじゃロリショタ”……??)


「……なんじゃ、先ほどからワシをジロジロと見おって」


 そう言われて鞠華はようやく、自分が少女に対して舐め回すような視線を注いでいたことに気付いた。

 怪訝そうな女児の顔を見て、鞠華は何だかとてつもない罪悪感に苛まれてしまう。


「い、いや、これはあの、えっとぉ……すみませんでしたぁ……っ!」


 取り乱してしまった挙句、つい謝ってしまった。それも敬語で。

 するとそんな鞠華の反応がよほど可笑しかったのか、少女は小悪魔みたいな微笑みを浮かべて問い詰めてくる。


「おおっ、もしやワシの起伏に乏しい身体カラダをみて劣情をもよおしたのかっ!? そうなのかっ!?」

「へっ……」

「うむうむ。減るもんじゃあるまいし、どうせならもっとちこれ。ワシとて趣味嗜好には理解があるほうじゃ、よいぞよいぞ〜」

「ちっ、違いますよ! てかなんで得意げ!?」


 とりあえず今のやり取りで鞠華は確信した。


 肉体的な年齢はともかく、少なくとも彼女はフツーの幼女ではない。

 おそらくは幼い外見をしているだけで、鞠華よりは歳上の人物。

 それも、魂のどこかに中高年を飼っている“ロリジジィ”だ。


「ふぅ……ちと年甲斐もなくはしゃぎすぎたかのう」

(年甲斐て)

「いい具合に夜も更けてきたし、ワシもそろそろ眠くなってきたわい」


 少女は開け放っていた窓を閉めると、あくび混じりに眠たげな目をこする。

 先ほどまで彼女のペースにすっかり乗せられてしまっていた鞠華もまた、急激に睡魔が襲いかかってくるのを感じた。きっと何らかの薬が効いているのだろう。


「じゃあ、僕もそろそろ寝ますね。えっと……」

君嶋きみじま千鳥ちどりじゃ。ではまた明日のう、マリカ」

「はい。おやすみなさい」


 同室者へと就寝の挨拶を済ませ、鞠華は再び夢の世界へと堕ちていく──。

 こうして鞠華の入院ライフは、君嶋という不思議な人物との出逢いから始まった。

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