Live.42『いつか来たりし夢の終わり 〜NOT EXISTED ENDLESS DREAM〜』

 燦々と輝く太陽が頭真上にまで登り、多くの客が昼食をろうとしている頃。

 レストラン街から離れた場所にある、ひと気のない公衆トイレに鞠華はいた。


「うん、これでよし……っと!」


 水に濡れてしまっていた紫苑のブラウスは、備え付けのハンドドライヤーに突っ込むという奇策によってどうにか乾かすことに成功した。

 もちろんこれは本来濡れた手を乾かすための機器であり、衣服を乾燥させる目的で使うのは誤った利用方法である。トイレを出入りする人たちにも何度か奇異の目で見られてしまい、実のところかなり恥ずかしかった。


「久留守さん、乾かし終わったよ」

「ほんと? ありがとう、まりか」


 使用中の個室に向かって鞠華が言うと、ドアの向こう側から紫苑の声が返ってくる。

 ブラウスを脱いだ彼女を上半身裸ノーブラのまま放置しておくわけにもいかないので、乾燥させている間は個室で待っているように言っておいたのだ。


 つまるところ、女装少年である鞠華は現在『トイレ』にいた。


「ドアの上にかけとくからね」

「うんっ」


 清掃員でもない男性が女性用のトイレを利用するということは、建造物侵入罪に抵触する立派な犯罪行為だ。

 法律のみならず社会的にも完全にアウトではあるのだが、しかし彼の女装が完璧すぎたゆえに注意されることはまったくなかった。

 とはいえ、いくら非常事態だったとはいえど、モラルに反した真似をしてしまったことは言い逃れのできない事実である。鞠華はそのことを反省しつつ、もう二度と入らないようにしようと心に誓うのだった。


「おまたせ、まりか」


 しばらくして個室のドアが開くと、乾かしたてのブラウスを着た紫苑が出てきた。

 透けてしまっていた胸元ももう問題なさそうである。


「ちゃんと下着は着けておこうね……」

「?」

「いや……それより、そろそろお腹もすいたでしょ? 何か食べに行こっか」

「……! うんっ!」


 紫苑はパアッと明るい笑みを浮かべると、なんといきなり鞠華の腕にしがみついてきた。

 マシュマロのように柔らかな感触が当たり、びっくりして思わず声が出てしまう。

 慌てて紫苑のほうを振り向いたが、彼女はただただランチを食べたそうにうずうずしているだけの様子だった。もし犬なら元気よく尻尾を振ってそうである。


(ガチもんの天然さん、破壊力パナいよ……!!)


 コツコツ努力する系女装WeTuberウィーチューバーとして危機感のようなものを感じつつも、鞠華は紫苑を連れて女子トイレをあとにした。





抹茶ぷりん(DM):駅員さんに探してもらってたんですが……うぅ

MARiKA(DM):おー、どうなりました?


抹茶ぷりん(DM):なんの成果も!! 得られませんでした!!

MARiKA(DM):(´;ω;`)ブワッ

抹茶ぷりん(DM):潔く当日券を買うことにします。゜:(つд⊂):゜。ウえーン;;

抹茶ぷりん(DM):ここまで来たからにはせめてアリスへのお土産くらいは買って帰らないと!


MARiKA(DM):りょかですー。んじゃ、パークの中で全裸待機してますからね!

抹茶ぷりん(DM):セクハラですよ!!!

MARiKA(DM):いやいや、まちゃぷりさんのリプだっていつもこんな感じじゃないですか!笑


抹茶ぷりん(DM):……待たせてしまって本当にごめんね?

MARiKA(DM):謝らなくても大丈夫ですってばw



 紆余曲折ありつつもレベッカがこちらに向かって来ていることが確認できたところで、一人テーブルに着いていた鞠華はスマートフォンから顔をあげる。


 彼と紫苑は昼食を済ませるべく、パーク内にある『ハングリーロード・キッチン』というレストランを訪れていた。

 腹を空かせた旅人たちが食べ物のいい香りにつられて、異国の人々たちが自然と集まってくるステキな場所……という設定の飲食店らしい。世界観を大切にする『デスティニー・ハイランド』だけあって店構えは徹底していて、木造りのテーブルや天井からぶら下がるランタンが、まるで映画の中に入ったかのような心地にさせてくれた。


 と、鞠華がランチタイムで賑わう店の雰囲気に浸っていると、トレーを持った紫苑がこちらへ戻ってくるのが見えた。

 彼女は鞠華の向かいに座ると、食事の乗ったトレーをそっとテーブルに置く。


「い、意外といっぱい食べる子なんだ……!?」

「? おいしいものはぜんぶ好きだよ?」


 爆弾ハンバーグ乗せビーフカレー、デミグラスソースのオムライス、キャラクターの模様が入った中華まん、ほうれん草とベーコンのキッシュ、ミラノ風ドリア、シーフードピザ、コンソメスープ、チョコバナナサンデー……とても女の子一人では食べきれなさそうな量だが、当の本人は人目も気にせずダラダラとよだれを垂らしていた。どうやら本気で食う気満々のようである。

 一方で鞠華はというと、フライドポテトとドリンクが付いたオーソドックスなチキンバーガーセットだ。年齢的にはまだまだ食べ盛りとはいえ、身体が小さいこともあってこれくらい食べれば十分にお腹は一杯になる。


「もう食べてもいいかなっ? いいよねっ?」

「ご、ご自由にどうぞ……じゃあ僕も、いただきます」

「えへへ、いただきますっ」


 合掌と一礼をしてから、二人はそれぞれの食事を口の中へと運んでいく。

 普通のレストランよりは少し値段の高めな“夢の国価格”で販売しているだけあって、味もなかなかのものだった。英世を一枚持ってかれただけのことはある。


「そういえば、お金はちゃんと足りた?それだけ食べるとなると相当高かったと思うけど……」

「はむ? はんほはひはほっ」

「慌てないで、飲み込んでからでいいから」

「んっ……ちゃんとたりたよ。タクミにかーど? 持たせられてるもん」

「……誰ぞ?」


 どこかで聞いたことがある名前のような気もしたが、まあ普通に考えて紫苑のお兄さんか何かだろう。

 自由奔放な彼女にクレジットカードを渡してしまうのは少々危険なようにも思えたが、これだけたくさん食べるのだからある意味しかたないのかもしれない。


「ってことは、もしかしてここにはお兄さんと来たの?」

「おにい……? うーんと……タクミはお兄さんとはちょっと違うけど、まりかと会う前までいっしょだったよ。いつの間にかどこかいっちゃったけど」

(それってつまり、が迷子になってるってことなんじゃないか……!?)


 漠然とではあるが、段々と全貌が見えてきたような気がしてきた。

 きっと紫苑という少女は放浪癖の持ち主または重度の方向音痴であり、兄と遊園地に遊びにきたものの早速はぐれてしまったのだろう。

 お台場で忽然こつぜんと姿を消したあの時も、単に理由もなくフラフラと何処かへ行ってしまっただけなのかもしれない。

 天然でマイペースな紫苑ならそういう事態にもなりかねないということは、半日ほど一緒に過ごしたことで十分過ぎるくらいにわかっていた。


「……一応聞くけど、お兄さんと連絡の取れるものはない? スマホとか」

「でんわ……もってない」

(クレカよりもまずそっちを持たせておくべきでしょ、久留守タクミ(仮名)さん……!)


 とはいえ、彼女が携帯電話を持っていないことは何となく予想がついていたことではあるが。

 仮に持っていれば、(タクミという人物がよほどの放任主義者でもない限り)そもそも迷子になどなっていないだろう。


「しんぱい、させちゃってるかな……」


 ようやく事の重大さに気づいたのか、カレーライスを食べていた紫苑はスプーンを持った手をピタリと止めた。

 彼女はたちまちひどく落ち込んだような顔になっていき、見ていて何とも居た堪れない気持ちになってしまう。

 やがて鞠華は根負けを認めるようにため息をついたあと、柔和に微笑みかけて言った。


「わかった。じゃあ、これを食べ終わったら一緒にお兄さんを探そっか」

「え……いいの、まりか?」

「そりゃあ、今頃タクミさんとやらが凄く心配してるだろうしね……こうなったら乗りかかった船ってやつさ! ボクが責任を持って、君をお兄さんのところまで連れてくよっ」


 鞠華が自分の胸をポンと叩いて言うと、紫苑はやっと安心しきったような表情に戻ってくれた。

 




 人を探すといっても、別にだだっ広いパーク内をあても無く彷徨おうというわけではない。

 そんなことをしていたら日が暮れてしまうし、それ以前に子連れ客の多い遊園地という場所ではちゃんとした対応システムが用意されているのである。


《──ご来場中のお客様にお知らせいたします。久留守タクミ様、お連れ様がお待ちです。恐れ入りますが、クロックタウンエリアのサービスカウンターまでお越しください……》


 繰り返し放送される場内アナウンスに耳を傾けながら、サービスカウンターの前にいる鞠華は紫苑にサムズアップをしてみせた。

 こちらから呼び出す手段がないのなら、逆にあちらの方から来てもらえばいい。そのように考えた鞠華は、手っ取り早く迷子センターを利用することにしたのだ。


 ちなみに先ほどのアナウンスが“迷子放送”だとことわらなかったのは『デスティニー・ハイランド』の雰囲気を壊さないためという理由があったりする。

 ……もっとも、紫苑の年齢的に迷子ではないと判断されただけかもしれないが。


「いろいろ付き合わせちゃってごめんね、まりか」

「いーよいーよ、これくらい全然っ。自慢じゃないけど、こういうのには慣れっこだったりするからねぇー」

「へぇ、まりかもよく迷子になっちゃうんだ」

「僕じゃなくて、小さい頃に姉さんがさ。実は何年か前にも『デスティニー』に来たことがあるんだけど、その時も両親とはぐれちゃって……ホント、色々と散々な目に遭ったっけなぁ」


 パーク最大のシンボルでもある時計塔『クロニクル・タワー・オブ・スカイベル』を仰ぎながら、鞠華は昔を懐かしむように語る。

 あれは遠い夏の日、父と母と姉との四人で『デスティニー・ハイランド』を訪れた時のことだった。

 まだ幼い鞠華は泣き出しそうになりながらも、姉に手を引っ張られながら何時間も歩き続けた。肝心のアトラクションにはほとんど乗れずじまいだったが、今となってはかけがえのない思い出の時間である。


「まりかに、おねえちゃん……?」


 紫苑が不思議そうにこちらの顔を覗いてきたため、鞠華は慌てて向き直る。

 冷静になって考えると、なぜ何も知らない彼女に対して姉の話を聞かせようなどと思ってしまったのだろう。これではまるでシスコンみたいじゃないか。

 鞠華は自分が恥ずかしくなり、つい顔を真っ赤にした。


「ご、ごめん! 今のナシ、聞かなかったことに──」




「……きみ、ほんとうにまりか?」


 紫苑の意味ありげな問いかけが、鞠華の声をさえぎった。


「えっ……?」


 どう答えてよいかわからず、鞠華は呆気にとられたまま紫苑と目を合わせる。

 左右で色彩の異なるオッドアイの瞳は、まるで獲物を逃さぬ魔物のようにじっとこちらを見据えているのだった。


 まるでガラス細工のように透き通った、大きく見開かれた純粋な眼差し。

 不思議な魔力を放つそれは、鞠華にあってはならないはずの感情を抱かせる。


 “似ている”のだ。


 気ままで自由奔放な性格も。

 たまに予想外のことをして驚かせてくることも。

 良くも悪くも人目を気にしないところも。

 食べ物を美味しそうに頬張る表情も。


 久留守紫苑を構成する様々な表情やしぐさの片鱗に、なぜこんなにも懐かしさを見出してしまうのだろう。


「もしかして、キミは……」


 鞠華が何かを訊ねようとしていたそのとき、腹に響くくらい大きなチャイムの音が鳴り響いた。

 一時間おきに天辺のベルを鳴らす時計塔が、午後の一時に回ったことを知らせているのである。


 と、鞠華が時計の針を確認しようと振り返ったところで、二つの人影がまっすぐサービスカウンターへ向かって来ているのが見えた。

 おそらくは彼らが紫苑の『保護者』だろう。

 鞠華はホッと安心したように声をかけようとしたが──二人の姿がハッキリと見えた途端、思わず目を疑った。


 二人のうち片方は、漆黒のスーツに身を包んだ長身の青年。

 もう一人は、黒いゴスロリ衣装を着た小悪魔っぽい少女……に見えるが、彼が本当は男性であることを鞠華は知っている。

 遊園地という華やかな場所にあまりにも不釣り合いな黒づくめの彼らは、どう見ても『ネガ・ギアーズ』に所属する二人だった。


「ったく、アナウンスが聞こえたから飛んで来てみれば……なんでよりにもよってマリカスなんかに保護されてんのよ」


 こちらへ近づいてきたゴスロリの女装少年──飴噛あめがみ大河たいがが呆れ切った顔で鞠華を睨んだ。

 思わぬ場所で宿敵と遭遇してしまった鞠華は、後ろに立つ紫苑をかばうように低い声で告げる。


「久留守さん、逃げて……! こいつらは怖い人たちだから……」

「? タクミもタイガも、こわくなんかないよ」

「えっ……」


 わけがわからず立ち尽くしてしまっている鞠華の横を、紫苑が何食わぬ顔で通っていく。

 その様子を眺めているくれないたくみと飴噛大河も、特に驚くような素振りはみせずに紫苑を見守っていた。それどころか、彼女を『迎えにきた』とでも言わんばかりに目を見交みかわわしている。


 そして……。

 二人がすれ違う瞬間に、紫苑はそっと囁くように言った。


「ぼくは、紫苑──















 ──“ネガ・ギアーズ”の、久留守紫苑だ」



 その言葉が脳髄に到達するまで、約数秒を要してしまう。

 さらに意味まで理解するには、いくら時間があっても足りそうになかった。

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