Live.38『モッネモネにしてやんよ 〜MONE'S VERY HAPPY AGAIN TODAY〜』

 山手線の列車暴走事件から三日後の夜。


 社内全ての消灯を済ませた向井光子郎は、10月の少し肌寒くなった風を感じつつも我島重工の建物から外へと出た。

 メンテナンス作業を終えたインナーフレーム二機はすでにトレーラーで運び出され、徹夜続きでお疲れの様子だった従業員たちも今日は早めに帰らせている。

 そうして人が出払った工場にて、光子郎が門の戸締りをしていると──。


「遅くまでお疲れ様です、向井社長」

「いっ……!?」


 不意に背後から声をかけられ、思わず肩をビクッと震わせてしまう。

 おそるおそる肩越しに振り向くと、そこにいたのは女の幽霊。


 ──ではなく、“オズ・ワールド”社長秘書のレベッカ=カスタードだった。


「なんだ、カスタードさんか。ビックリさせないでくれよ……」

「お、驚かせたつもりはないんですけど……!?」

「だって、足音一つ立てないで近付いて来てたんですもん……オレ心臓止まっちゃうかと思ったよ?」

「あ、あははー。実はこう見えてもわたし、忍者の末裔でしてぇ……ハッ! すみません、いつもの癖でつい馴れ馴れしくご無礼ノリツッコミを……!」

「いえいえ、全然タメで大丈夫っスよー。てか、うちの社員も大体そんな感じなんでね!」


 光子郎は自らの胸をポンと叩いて、なぜか誇らしげに自虐ネタを言い放つ。

 とても社長という立場の人間の口から出たとは思えぬ、まるで面白みのカケラもない戯れ言。そこにウィルフリッドを重ねたのか、緊張しきっていたレベッカの表情が少しだけ和らいだ。


「コホン。では、不躾ぶしつけではありますがそのように……」

(えっ、オレ渾身の持ちネタはスルー?)

「えっと、向井……さん。改めて、本日はありがとうございましたっ」


 社交辞令としてではなく、単なる生真面目さから深々と頭を下げたレベッカに、光子郎は爽やかに笑って応える。


「こちらこそ、久々にウチを利用してもらえて嬉しいよ。メンテくらいならともかく、もっと大掛かりな調整をするならアメリカの“テクノクラーツ”社の方でやってもよかっただろうに」

「そ、そそそそれは……そのですね……!」

「ハハハ! 失礼、今のは少し意地悪な聞き方だったかな。……まあ我島重工が他企業に比べて、規模や技術力で劣っているのも事実だしな。そのことはオレも潔く受け止めているつもりさ」

「向井さん……」


 たしかに我島重工は“初めて人型重機ワーカーを世に出した”という意味においては、歴史的に重要な意味を持つ企業だ。

 しかし現在は、残念ながらそのトップシェアの座を他企業に譲ってしまっている。


 10年前の“東京ディザスター”。

 その発生に伴い、いままでワーカー開発事業には見向きもしていなかった外国の大企業たちが、復興現場での活躍を知った途端にこぞって参入し始めたのだ。

 いくら少数精鋭によって研ぎ澄まされてきたノウハウがあるとはいえ──小国の町工場に過ぎない我島重工が業績で追い抜かれるのは、もはや時間の問題であった。


 さらに言えば我島重工衰退の原因は、他ならぬ社長・向井光子郎にもある。

 ワーカー……ひいては人型ロボット全体の発展を夢見ていた彼は、なんと自分たちが培ってきた技術を独占せずに公表してしまったのだ。


(まっ、後悔は全然してないけどな)


 もし技術特許でも取得していれば、大成することも決して不可能ではなかっただろう。しかし彼は所詮いち企業に過ぎない自社の成長よりも、人とロボとが生きる未来を望んだのだ。

 向井光子郎という男が『研究者としては一流でも、経営者としては三流以下』だと揶揄やゆされるのは、そのようないわれがあるからである。


 以上を要約すると、彼はただのロボット馬鹿だった。


「なあ、カスタードさん。前にも一度“オズ・ワールド”がインナーフレームの開発協力を申し出てきて、ウチがその依頼を蹴ったことがあったろ?」

「そういえば、そんなこともあったと聞いています。まだ私が入社する前の話ですが」

「今だからこそ言えることなんだがな……あの時はオレ、正直あんたらを信用しちゃいなかったんだ」

「えっ……?」


 意味がわからずにレベッカが聞き返すと、光子郎は遠い満月を見上げながら応える。

 その少年のような眼差しには、真摯にロボットと向き合う者だけに灯せる炎が宿っていた。


「情報のごく一部だけを明かして手伝わせようとする御宅おたくの支社長を見て、『きっとこいつはロボに戦いをさせるつもりだ』って直感したよ」

「うちの支社長を……?」

「つっても、その時はアウタードレスのことも極秘扱いで、ウチには知らされてなかったからな。どうせ軍事利用が目的だと思って、ハッキリと断ってやったわけさ。『オレが作るのは人を守るロボットだ。壊すための兵器じゃねえ』って」


 『まあ、今思えばただの勘違いだったんだけどな』と光子郎は遠慮がちに笑ってみせる。

 散々な言われようの上司ウィルフリッドではあったが、彼の秘書であるレベッカは呆れるあまり擁護することもしなかった。

 どうせ普段の勿体ぶった物言いが災いしてしまったとか、せいぜいそんなところだろう。レベッカはそのように“らしい”解釈をすると、ふと疑問を投げかける。


「では、どうして今回は私達の依頼を受けてくれたんですか……?」

「それがぶっちゃけ俗っぽい理由なんだけどな……“ライブ・ストリーム・バトル”を観て、気が変わったんだ」


 親に自らの夢を語る子供のように、光子郎は胸の内をレベッカに明かす。


「ドレスから人々を守ろうとしてるアクター達に、年甲斐もなく心を打たれちまってさ。アーマード・ドレスは決して兵器なんかじゃない……昔アニメでみてた“本物のスーパーロボット”なんだってことに、だいぶ遅れて気付かされた」

「スーパー、ロボット……ですか?」

「おうさ、愛と平和を守る鋼鉄の守護神ガーディアンってな! こないだの暴走列車騒ぎの時の、ゼスモーネの姿がまさにそうだった」


 光子郎は嬉々と先日のライブ中継に映っていた光景を思い起こす。

 リボルバー銃という人を傷つけるための武器を手にした巨人は、しかし弾丸を撃ち放つことによって人々を危機から救っていた。

 それはかつて──彼がまだ少年だった時に胸を焦がれた、くろがねしろが示した正義と相違ない。

 その在り方こそが、光子郎の思い描くロボットのあるべき姿であった。


「……っと、カスタードさんに言っても仕方ないか。迷惑だったらすまんかった!」

「いえいえとんでもない! その気持ちだけでも有難いですし、なので決して迷惑などとは……!」


 レベッカが慌てて否定していたそのとき、ふとメールの着信音が鳴り響く。

 少し古めなロボットアニメの主題歌を軽快に鳴らすのは、言うまでもなく光子郎のスマートフォンだった。

 彼はすぐに受信したメッセージを確認するや否や、途端に血の気が引いてしまったかのように顔を青ざめさせる。


「ど、どうかされましたか……?」

「それがロマン……うちの娘が『パパがずっと帰ってこない』って泣き出したらしくて、妻の手にも負えない状態みたいで……」

「娘さんが……! それはまた微笑ましい……じゃなくて一大事ですね!?」

「さすがに三日三晩泊まり込みはマズかったか……ッ! ともかく、これはダッシュダッシュダンダンダダンで帰らねば……!」

「あっ、ちょっと待ってください! その前に渡したいものが……!」


 レベッカは走って帰ろうとしていた光子郎を慌てて呼び止めると、カバンの中から用意していたある物を取り出す。

 それを手渡された光子郎は、予想だにしなかったサプライズに思わず目を丸くした。


「これって……!」

「ええ、鞠華くんから渡して欲しいって頼まれていたので。娘さん宛て、だそうです」


 それは、直筆の可愛らしいサインが書かれた色紙だった。

 うさぎのような飛び跳ねた字体で“MARiKAマリカ”とつづられた何とも貴重な代物を受け取り、つい光子郎の頬も緩んでしまう。


「ハハッ……最近の子ってばマメなのなぁ。ありがとう、カスタードさん。マリカ君にもよろしく伝えておいて下さいな」

「いえいえ、こちらこそ! では、私もこれで……」

「あいよ! 今後とも、『我島重工』をご贔屓ひいきに!」


 光子郎は改めてレベッカに別れを告げると、貰った色紙を大事そうに抱えながら帰路につく。

 隅田川から浅草にかけてを吹く大江戸の風が、オレンジ色の法被を今日も揺らしていた。



「そんじゃ、整備のお手伝いペナルティが無事に終了したことを祝して! かんぱぁーぃ!」

「乾杯」


 コツン、と缶ビール同士のぶつかり合う音がテーブルに響く。

 百音は一気に飲み干しかねないほどの勢いで、嵐馬は舌先でほんの少し舐めるように、それぞれのペースで酒をあおり始めた。


「……って、なんでさも当たり前のようにウチで飲み始めてるんですかっ!」


 このマンションの部屋主──もとい鞠華は、テーブルに座っている嵐馬と百音へ至極当然な問いを投げかける。

 二人は近所のスーパーだかコンビニで買った酒とつまみを持ち寄って、勝手に宴会をおっ始めているのだった。

 もちろん鞠華には彼らを招待した覚えなどなく、客人というよりもはや不法侵入者である。


「だってこの部屋ぁ、居心地がいいんだもーん♪ ……あっ、マリカっちはチューハイとハイボールがあるけどどれにする?」

「コラコラ、未成年に飲酒を勧めないでくださいー? それにランマもランマですよ。普通ならモネさんを止めるとこでしょ……常識的に考えて」

「お、俺は別に飲んだくれたかったわけじゃねえ……! ただ、その……お、お前の料理をまた食ってやらんこともないと思っただけだッ!」


 もはや餌付けされた猫と同レベルの動機を述べる嵐馬に、鞠華は諦めたようにため息をつく。

 とはいえ、一人暮らしをするのにこの部屋は少し広過ぎるというのもあって、二人がいるだけで寂しさが紛れるというのもまた事実であった。


「ハイハイ、もうわかりましたから。どうぞご自由にパーっとやっちゃって下さい」

「さっすがマリカっち! よっ、太っ腹ー!」

「そ、それで……今日の夕飯は何を作るつもりなんだ?」

「あー。それなんですけど、今ちょっと食材切らしちゃってて……三人分も作れなそうなんですよねー……」


 鞠華がカミングアウトした途端、彼の手料理を心待ちにしていた嵐馬が石化したように固まってしまった。

 これについては急に押しかけた二人のほうに非があるとはいえ、あまりにもショックそうな嵐馬の顔を見て、鞠華もなんだか申し訳ない気持ちになってしまう。


「ご、ごめんねランマ。事前に言ってくれてたら何かしら用意できたんだけどぉ……」

「いや、いいんだ。お前のせいじゃない。だから、もう……いいんだ……」

「もうっ、嵐馬くんったら子供じゃないんだからベソかかないの! ホラ、アタシがちゃんと三人で食べれるモノも買っておいたから元気だして!」


 百音はそういうと、スーパーのレジ袋から何やら巨大な容器を取り出す。

 ドンッとテーブルに置かれたのは、なんと寿司の詰め合わせだった。中には大トロやウニなどの高級ネタも入っており、スーパーのお寿司にしては結構値の張るタイプのご馳走ちそうである。


「うわぁ、美味しそう……! モネさん、僕も食べちゃっていいんですか!?」

「星奈林……お前、いつのまにこんなものを……!?」

「フフフン♪ 今日はアタシの奢りよん。二人とも最近ガンバってたし、ちょっとしたご褒美……ってやつカナー?」


 百音は誇らしげに胸を張りながら、大きめの容器を覆っている蓋を取り外す。

 まぐろやサーモン、エビにいくら軍艦……色とりどりの寿司たちが水々しく艶めきを放ち、鞠華たちは食欲をそそられるあまり生唾をゴクリと飲み込んだ。


 すぐに鞠華は人数分の箸と醤油皿を用意すると、早く食べてしまいたそうに急いでテーブルにつく。

 そして食卓を囲んだ三人は両手の掌をパンッと合わせて、食事前の挨拶とともに一礼した。


「いただきまーす! さあ二人とも、遠慮しないで食べちゃってニ☆」

「はーい! じゃあ僕はいきなり中トロをいただいちゃおうかなぁーっ!」

「フッ、わかってねぇな。こういうのはまずさっぱり系の白身ネタから行くのが“ツウ”ってもん……」


「あっ、ちょっとストップ」


 鞠華と嵐馬がそれぞれ希望の寿司を取ろうとしていたタイミングで、唐突に百音が彼らを呼び止めた。

 何事かと思い顔を見合わせる二人をよそに、百音はレジ袋から買ってきたもう一つの秘密兵器を取り出す。


 嬉々として百音の手に握られているそれは、半固形状の黄色い調味料。

 赤い蓋の付いた、中身が見える透明な容器に入っているそれは、どこからどう見ても……他に見間違えようのないほどにマヨネーズだった。


「モ、モネさん……? まさか、まさかとは思いますケド……それをお寿司にかけるつもりじゃ……」

「ほえ?」

「オイやべーぞ鞠華、コイツ俺たちの恐れていることを全然理解できてない顔をしてるぞ」

「……マヨビーム発射☆」

「「あ”ッ!!!」」


 ブチブチっという音を立てて、卵黄色のラインが新鮮なネタたちの上に引かれていく。

 それも線の一本や二本というレベルではない。マヨネーズはまるまる一本使い切るまで絞り出され、無慈悲にも寿司たちの悉くはゲル状の沼に沈んでいってしまった。


 鞠華と嵐馬が深い絶望を味わう中、唯一マヨネーズ漬けの寿司を美味しそうに頬張る百音。

 彼が生粋の“マヨラー”だということは、もはや誰の目から見ても明らかだった。


「うんーっ、デリシャス♪ やっぱりマヨは最強のアルテマウェポンね! 二人も食べてみてっ」

「い、いやえっと……これは……その」

「ふざけんな! こんなブタの餌みたいなモン食えるわけ……」


 やんわりと引き気味な鞠華に対し、嵐馬は露骨に拒否反応を示す。

 だが、かえってそれが百音の逆鱗に触れてしまったらしい。

 彼は急に嵐馬の胸ぐらを掴むと、先ほどまでとは打って変わったもの凄い形相で怒り始める。


「ア”ァ”!? オレの買った寿司が食えねぇってのかァッ!!」

「モネさぁーん!? お、落ち着いてください! 食べます、食べますから……っ!」

「ホント? 嬉しい♪」


 一瞬にして本気マジモードから普段通りに切り替わった百音に対して、鞠華はかつてないほどの恐怖と戦慄を覚える。

 お兄さんにしてお姉さんであり、酒豪かつマヨラーな元ギャングスター──そんな強烈な個性で彩られた彼(もとい彼女)に、後輩アクターたちは結局夜通しで振り回されることとなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る