Live.36『黒歴史はだれにでも 〜LONG LIFE HAS LONG MISERY〜』

 オズ・ワールドリテイリングJPのオフィス内にある社員用の談話室。

 アメリカ西部開拓時代の酒場バーが忠実に再現されたその部屋では、アパレル事業担当の社員たちによる自社製品についてのディスカッションが行なわれていた。

 どういうわけかその場にいる全員がハット帽やくたびれたコートを身につけているが、これは試作した衣服を社員たちがテストしているからである。とはいえ事情を知らないものから見れば、西部劇映画の撮影現場か何かと勘違いしてしまうだろう。


 まるでそこだけ世界の時間軸から切り離されているような談話室に、今日も一人の客が訪れる。

 木製のスイングドアをかき分けるようにひっそりと入店してきたのは、星奈林百音だった。カウンターテーブルのほうに目的の人物の背中を見つけると、百音はその隣の席へと向かった。

 椅子に座ったところで、カクテルグラスを拭いていたバーテンダーの男性に声をかけられる。


「ご注文は?」

「ミルクでも貰おうかしら」


 百音がそう答えると、背後のテーブルでざわめきが起こる。


『ヘイ。聞いたか、ミルクだとよ』

『冗談だろ。あの大酒呑みで有名な百音姐さんだぞ?』

『こないだの飲み会でも散々暴れたらしいからな……ポロリもあったらしいし』

『『マジで!?』』


 そんな社員たちのやり取りは本人の耳にも届いてしまっていたが、百音は意に介することもなく差し出されたコップに視線を落とす。単に勤務中だからアルコールを控えているだけなのだが、その点については何故か誰もツッコまなかった。

 どこか儚げな表情でコップに入ったミルクを揺らしていたとき、隣に座る人物──ウィルフリッド=江ノ島がようやく口火を切る。


「その顔……まるで昔のキミを見ているようだネ」


 そう言われた百音は、しかしウィルフリッドのほうは見ずに目を細める。


「……どうしても、着るしかないんですね」

「作戦は一刻を争う。解凍作業が完了し次第、ゼスモーネには再度出撃してもらう。できるネ?」


 神妙に横顔を覗きながら命じるウィルフリッドだったが、百音は首を縦には振らずに黙り込む。

 やがて彼は内に秘めた迷いを吐き捨てるように、弱々しく口を開いた。


「アタシは……あの世界からはもう足を洗ったんです。でもあのドレスを着ると、昔を思い出してしまって……」

「すまないとは思っている。だが目標が高速で動く以上、キミの早撃ち技術に賭けるしかないのだ。わかってくれたまえ」

「……卑怯な言い方」


 百音はミルクをグイッと一気に飲み干すと、空になったコップをそっと置く。


「でも、アナタの命令なら仕方ないわね……わかったわ」


 未亡人のように冷たく寂しげな笑み浮かべるその様は、もはや普段の柔和な笑みがよく似合う彼ではない。

 冷酷な眼光を放つ殺し屋ヒットマンの顔が、そこにはあった。


「無論、我々も総力を挙げてキミを支援するつもりだ。大トリを飾る役目は任せたぞ、星奈林百音クン」

「了解」


 そう言い残して、カウンターに会計分の紙幣を置いた百音は席を立つ。

 バーテンダーがお釣りを手渡す前に颯爽さっそうと談話室を出ると、愛機たるゼスモーネが待つ格納庫へと足を運び始めた。

 かつて銃を握っていた頃の自分──“ウエスタン・ガンマン”と、もう一度向き合う為に……。





「えぇ〜っ!? あ、あのモネさんが……元ギャングぅ!?」


 百音の過去について聞かされていた鞠華は、あまりにも想像を絶する真実にしばらく開いた口が塞がらなかった。

 いまいち信憑性に欠ける話ではあったが、それを語る嵐馬はいたって真面目な表情である。彼の性格からしても、嘘をついているとは考え難かった。


「ま、マジ話なんですか……? なんか、全然想像つかないんですケド……」

「ああ……それもかなりの凄腕だったみたいだぜ。の直後に形成された新宿スラム──その一帯を仕切っていた組織で、組長の右腕とも称されていたほどらしい」

「く、クミチョーセンセーのミギウデ……?」

「先生はいらん」


 『もっとも、まだ星奈林が今の身体になる工事をおこなう前の話だけどな』と嵐馬は付け足す。

 何でも百音は東京ディザスターの発生によって身寄りをなくしており、その時にギャングの組長に拾われたらしい。


「10年前ってことは、その時モネさんはまだ……」

「12歳、だったそうだ。星奈林は当時、ただひたすら生きる為だけにあらゆる術を叩き込まれたと言っていた。多分、あいつの手はもうとっくに……」


 顔を俯かせる嵐馬。それを横から見ていた鞠華も事情を察する。

 今でこそ復興によって首都としての威厳と機能を無事取り戻した東京ではあるが、災害発生直後には略奪や暴力の支配する地域が多数存在していたというのもれっきとした事実である。

 そんな混沌の時代を生き抜いた百音の日常が、果たしてどれだけ壮絶なものだったのかは想像に難くない。


「……それで今は、ギャングから足を洗ってゼスアクターになったんですね」

「ああ。正確な時期は知らねえが、少なくとも俺がアクターになるよりも前にウィルフリッドからスカウトされたらしい」

「えっ……てことは、モネさんって一番ベテランのアクター!?」

「そういうことになるのかもな。……たぶん」


 なぜか歯切れの悪い返事をする嵐馬を、鞠華は不思議そうに見つめる。


「そ、その顔はなんだよ……?」

「さっきからずっと思ってましたけど、ランマって意外とモネさんを知ってますよね。実は付き合ってたり……?」

「ば、ばっ……か野郎ンなわけねェだろッ! まだ俺がアクターになったばかりの頃に、星奈林が酔っ払ってベラベラ喋ってたのを聞いただけだ!」


 鞠華は軽い冗談を口にしたつもりだったが、嵐馬は語気を強めて必死になって否定する。

 怒りで頭に血が上っているからか、はたまた図星だったのか。その顔は茹でたタコのように真っ赤になっていた。

 我にかえった嵐馬はわざとらしく咳払いをすると、気を取り直して話を戻す。


「そして、アイツが2年前──ちょうど俺がアクターになったばかりの頃まで使用していたのが、アウタードレス“ウエスタン・ガンマン”」

「ガンマン……鉄砲、ですか」

「その名の通り、リボルバー銃による射撃戦に特化したドレスだ。そして拳銃の扱いに長ける星奈林とは、もっとも相性が良いドレスと言えるだろうな」


 ゼスアクターとアウタードレスとの適合率の高さは、すなわちドレスギャップの影響が少ないことを意味している。

 親和性が高ければ高いほどドレスの性能を際限なく引き出すことができるため、それだけアーマード・ドレスの強さにも直結する話だった。


「ま、待ってください! 相性が良いドレスなら、なんで百音さんはそれを使わなくなっちゃったんですか!?」


 鞠華はもっともな疑問を嵐馬に投げかける。

 嵐馬と“ネコミミ・メイド”のように相性が悪かったのならともかく、そうでないドレスをわざわざ使わないことにメリットはないと思えた。

 訊ねられた嵐馬は両手を上着のポケットに突っ込むと、ぶっきらぼうに答える。


「さあな。なんでアイツが“ウエスタン・ガンマン”へのドレスアップを渋るのかは俺にもわからねぇ。ただな……」

「ただ……?」


「“ウエスタン・ガンマン”は、だ。きっとアイツにも、他人に触れられたくないコトが一つや二つあるんだろうさ」

「モネさん自身が、媒介者ベクターに……?」


 つまり“ウエスタン・ガンマン”というドレスは、百音の深層心理や“心の壁”を模倣トレースした存在……ということになる。

 言わば百音にとってそのドレスは『もう一人の自分自身』のようなものであり、アクターとの適合率が高いのも道理であった。


(でもそのドレスを着るってことはつまり、“本当のジブン”と向き合わなきゃいけないって事じゃないのか……?)


 キャラクターの華々しく、煌びやかな側面だけを演じればいい舞台の演劇とはわけが違う。

 汚い部分も、浅ましい部分も、醜悪な部分でさえも、ドレスはまるで容赦がないほど忠実に体現しているのだ。

 百音が己を映す鏡ウエスタン・ガンマンと向き合うというのは、そういうことである。


(……ヤダな、僕だったら)


 少年は誰知れず表情をかげらせながら、胸中でそう呟くのだった。





 オフィス内の中枢司令部へと向かっていた途中、携帯電話の着信音にウィルフリッドは歩をピタリと止めた。

 軽快な演歌のメロディを鳴らすその端末は、仕事用ではなくプライベート用のほうだった。

 作戦の真っ最中ということもあり、電話に出るつもりはなかったウィルフリッドだったが──画面に表示されていた名前を見た途端、彼は驚いたように血相を変えて通話に応じる。


「もしもし」

《オズ・ワールドリテイリング日本支社長、ウィルフリッド=江ノ島で間違いないな》


 冷淡で、低く押し殺したような声がスピーカーから発せられた。

 その声の主が誰であるかを確信したウィルフリッドは、嘲笑をたたえて皮肉を口にする。


「この番号にかけている時点で疑いようがないダロウ。ワタシのような変人にわざわざ電話を寄越すのは死んだ女房か、どこをほっつき歩いているのかもわからない親不孝者の我が子くらいだ」

《随分と余裕ぶっているようだが、本当は猫の手も借りたい状況なのではないか? そちらには今、運用可能な状態のアーマード・ドレスが一機しかないことも知っている》


 挑発をしたつもりが思わぬ揚げ足を取られてしまい、ウィルフリッドの表情から笑みが完全に消え去る。

 そして相手を急き立てるように、名指しして問うた。


「……要件はなにかネ、“ネガ・ギアーズ”」


 すると相手──“ネガ・ギアーズ”の幹部である青年は、感情を殺したサイボーグのように淡々と応える。


《例の暴走車両がもたらす交通網への打撃は、我々にとっても好ましくない事象だ。そこでだ、私達が至らぬ“オズ・ワールド”の連中どもの尻拭いをしてやる》

「何が言いたい。ワタシは忙しいのだ、手短に言え」

《我々“ネガ・ギアーズ”は、“オズ・ワールド”との一時的な共同戦線を張りたいと思っている。敵の敵は味方……というやつだ》


 予想もしていなかった提案に、ウィルフリッドはつい怪訝な表情を浮かべる。

 確かにアーマード・ドレス2機を保有する“ネガ・ギアーズ”の協力を得ることができれば、救出作戦の成功率は格段に上がるだろう。

 だとしても──政府と連携する立場の人間として、それを容認するわけにはいかなかった。


「身の程を弁えていないようなので言わせてもらうが、お前たちは国家公認のテロリストなのだヨ。そう易々やすやすと要求に従うと思っているのかネ」

《だからこうして、わざわざプライベートの回線を使って提案をしているんじゃないか。オズの支社長ではなく、個人としてのウィルフリッド=江ノ島にな》

「民間の回線が政府や盗聴機関エシュロンに傍受されていないとでも思っているのか」

《それについては既に対策済みだ。問題はない》


 相手の物言いから、おそらく“ネガ・ギアーズ”には、優秀なハッキングスキルを持った人材がいるとみて間違いないだろう。

 ウィルフリッドが詮索をしている間にも、通話の相手は構わずに話を続ける。


《なにも表立って連携してくれなどと言うつもりはない。もとより我々も勝手に動かせてもらうつもりだ、それを妨害さえしなければそれでいい》

「信用できない」

《それはこちらのセリフだと言わせてもらおう。……あんたが間違った正義を振りかざさなければ、こちらも叛旗をひるがえすことはなかったということを忘れるな》


 突き放すように言われ、ウィルフリッドは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 そしてほんの微かな希望へとすがるように、相手へと問いかけた。


「戻ってくる気はないのか。江ノ島家の次期当主としての誇りを、ドブに投げ捨てるつもりではないだろうネ……?」


《……その名前はもう捨てた過去。今の私は、くれないたくみだ》


 吐き捨てるような言葉を最後に、たくみと名乗った相手──は一方的に通話を終了させる。

 『ツー、ツー』という不通音を静かに止めると、ウィルフリッドはしばらくその場に立ち尽くしていた。

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