Live.32『なぐりあい河川敷 〜BATTLE OF MARiKA VS. RANMA〜』

 ──常日頃から女性として過ごしていなければ、完璧な女形おやまなど演じることはできない。


 先代から受け継がれて来た家訓に従い、少年は女として育てられてきた。

 礼儀作法から言葉遣いや歩き方まで、全てにおいて“女らしさ”が求められる。其の少年──古川ふるかわ菊之助きくのすけはその教えに何の疑問も抱かないまま成長していき、やがて8歳になる頃には初舞台を踏むほどの歌舞伎役者となっていた。


 彼が天才役者とうたわれるようになったのには明確な理由がある。

 生まれた時から女形を演じるべく育てられた菊之助には、そもそも“自分が男である”という自意識が決定的に抜け落ちていたのだ。

 異なる性の役を演じるため、自らの性別を切り離す技術が問われる歌舞伎界において、自然体の女性を振る舞えるというのはまさに天賦てんぷの才であった。

 ゆえに彼は、若くして「女役を演じさせて右に出る者はいない」と言わせしめるようになったのである。

 菊之助という少年は、女形としてあまりにも完璧すぎた。


 だからこそ、彼は女として振る舞うことを大衆に求められた。

 だからこそ、彼は生の女以上に女として視られるようになってしまった。

 だからこそ、彼は自分が女であることに違和感を抱かなかった。


 それが虚構であることに薄々気付き始めたのは、彼が14歳になった頃だ。一般の人間からしてみればごく当たり前の事実は、しかし当時多感だった少年を絶望させるには十分過ぎるほどに残酷な真実だった。


 誰も教えてくれなかった。

 誰もが劣情の眼差しで自分を見ていた。

 誰一人、男としての自分を求めてなどいなかった。


 やがて少年は“女を演じる”という行為を、そして己が歩んできた人生そのものを嫌悪するようになる。それと同時に、彼は自らを縛っていた家柄に反発するように“自然体の男を演じる”ようになった。


 かつて天才とまで称された菊之助──本名:古川嵐馬らんまが役者として転落し始めたのも、ちょうどそのようなを経た時期だったという。





《“穢れなき焔よ、汝の業を灼き払えバーニング・マギア”ッ!!》


 大きな火球が水面に衝突した刹那、生じた爆発の余波によって海水が一斉に膨れ上がった。

 白々と周囲一帯を染め上げる霧状の水蒸気。その靄のかかった小さな世界の中に、水の上を疾駆する黒い影が一つ。日本刀を携え、一歩ずつ間合いを詰めていくスケバン・ゼスランマだった。


「ハッ。そんななまくらに当たるかよォッ!」


 ゼスランマが踏み込み、上空からこちらを見下ろすマジカル・ゼスマリカめがけて跳躍した。相手は咄嗟に後ろへ逃れようとしたが、ゼスランマの刃のほうが僅かに速い。

 そのまま日本刀が袈裟懸けに振り下ろされ、ゼスマリカの肩から腰にかけてを両断した。


(チッ、分身魔法イリュージョン・マギアってやつか)


 赤黒い粒子となって消えていく幻影を見るまでもなく、切っ先の軽さから嵐馬は瞬時に理解する。

 再び水面へと着地し、即座に周囲を見回す。するとゼスランマを取り囲むように、数十というマジカル・ゼスマリカの分身が押し寄せていることに気付いた。


(フン、所詮は道化の猿芝居だぜ。いくら数を多く見せようが……)


 群れの中に紛れているうちの一体を見据えると、嵐馬は一度刀身を鞘へと納めて両足を踏ん張る。

 そして再び刃を引き抜くと同時に、スケバン・ゼスランマは閃光の如く一直線に飛び出した。


んじゃなあッ!!」


 ──“抜刀一閃・灘葬送なだそうそう”。


 剣の達人でさえも簡単には見きれぬほどの素早い居合斬りが、唯一影を持ったマジカル・ゼスマリカへと叩き込まれた。

 鋭い斬撃はドレスの装甲表面ヴォイド・テクスチャーを両断するまでには至らないものの、それでも凄まじい怪力を乗せた刀身は、受け止めたマジカル・ゼスマリカを乱暴に吹き飛ばす。

 さらにスケバン・ゼスランマは加速をかけると、刀を抜いてさらなる追撃を放った。


「──“抜刀追閃ばっとうついせん血濡尾別ちりぬるをわか”ッ!!」


 水面を摺り裂く刃が逆袈裟に切り上げられ、腹で受けたマジカル・ゼスマリカをへの字に折る。

 鈍い衝撃が全身を駆け抜け、ゼスマリカを纏っていた魔法少女のアウタードレスが強制排除ドレスアウト──四方に吹き飛んだ。


《くっ……!?》

「そんなドレスで、スケバン・ゼスランマの相手が務まるかよ! さっさと着替えを済ませたらどうだ、アァン!?」

《言われなくたって……! ドレスチェンジ“ワンダー・プリンセス”ッ!!》

 

 鞠華の掛け声に呼応し、ゼスマリカの内部格納空間クローゼットからアウタードレスのパーツが次々と出現する。

 鮮やかな桃色の腕が、そして足がインナーフレームと合体していき、やがて着付けを終えた“プリンセス・ゼスマリカ”は間髪入れずにゼスランマへと殴りかかった。

 スケバン・ゼスランマもまた応戦するべく日本刀を構える。直線に迫り来る拳を紙一重で回避すると、相手の死角へと回り込んで斬りかかる。

 肉弾戦に不得手な“マジカル・ウィッチ”ならおそらく対応しきれなかったであろう斬撃の応酬。しかし“ワンダー・プリンセス”へと装いを変えた今のゼスマリカは、その拳で刀の連撃と見事に打ち合っていた。


「女形なんてな、伝統云々なんぞ言われてても、結局は女の代替品でしかねぇ。野郎どもが性の捌け口にするための、ただの見世物なんだよ!」

《そんなことは……ッ!》

「違わねぇさ! それはテメーだって同じなんだぜ、クソアマッ!!」


 急に力強さを増した剣戟が、ゼスマリカのガードを強引に弾き崩した。

 そして怯んでいるところへ追い討ちをかけるように、ゼスランマは空気をも裂くような素早い刺突のラッシュを畳み掛ける。


「大半の野郎は女体を好むクセに、女の面倒臭い内面は遠ざけようとする勝手な生き物なのさ! だから俺やお前のような、“女の外面”だけを抽出した偶像アイドルが求められる!」


 ゼスランマの巧みな太刀さばきによって繰り出される、嵐のような怒涛の斬撃。

 驟雨しゅううが雨足を強めていくように、嵐馬の怒号も激しさを増していく。


「そうやっていびつつちかわれたきたのが、テメーが盲目的に崇拝する女装文化の正体だ! 気がすむまで愛でられて、飽きられたら捨てられる……ただ消費されるだけの愛玩具ラブドールに過ぎないんだよッ!」

《ただの詭弁だ!》

「俺の見てきた現実を否定するなァ! いつだって世間が褒め称えていたのは、白粉おしろいまみれの菊之助だった! そこに“男としての俺”はいねぇ……いいや、そんなのはハナっから誰も望んじゃいなかった!」

《嵐馬……さん……》


 縦横無尽に叩き込まれる日本刀の刃。

 その切っ先が、震えていた。

 嵐馬のこころが、泣いていた。


《誰かじゃない……》

「あン?」

《このドレスを着たのは……ボクの意志だッ!!》


 今まさに振り下ろされようとしていた冷たい刀身を、祈るように突き出されたプリンセス・ゼスマリカの拳が叩き折った。


「クソ……ッ!!」


 日本刀を失ってしまった嵐馬は、咄嗟にヨーヨーを投げ放ちつつバックステップを踏む。

 それを逃すまいと、ゼスマリカはハイヒールを踏み込んで一歩前へ、前へと進んでいく。


《嵐馬! あんたはドレスに着せられてるんだ!》

「戯れ言を……ならテメーは違うっていうのかよッ!?」

《ああ、そうだよ! ボクが女装を始めたのだって、“別のジブン”になりたいという願いがあったからだ! “ぼく自身”を見られたかったわけじゃない……!》


 迫り来る一対のヨーヨーに対して、鞠華は回転蹴りではたき落とすという離れ業をやってのけた。

 かくして持ちうる全ての武器を失ったゼスランマへと、拳を振りかぶったゼスマリカが差し迫る。


《あんたなんかに、ボクのキャラクターは負けない……!》

「くッ……!?」

《ボクの演じる“MARiKAマリカ”は、無敵なんだぁぁぁぁぁぁッ!》


 渾身の右ストレートが、スケバン・ゼスランマの顔面へと突き刺さった。

 頭部を覆っていた白い仮面ペルソナが弾け飛び、装甲の脱げ落ちたインナーフレームがそのまま後方へと吹き飛ばされる。


(“別のジブンになりたかった”……だと……?)


 目の前に見える月を眺めながら、嵐馬は仰向けに倒れた機体をゆっくりと立て直す。

 先ほど鞠華に投げかけられた言葉──役者にとっては基本中の基本でもある心構えを胸中で呟くと、嵐馬は苛立ちのあまり歯牙を剥き出しにした。


「……ンなこたぁ、今更テメーに言われるまでもねぇんだよォッ!!」


 嵐馬が咆哮をあげた刹那、まるでゼスランマの足元で水爆が起爆したかのように、海面がドームのように押し上げられた。

 その水の壁を切り裂いて、電光石火のごときモノクロームの野獣が現れいでる。長い後ろ髪をメラメラと燃え盛る炎のように漂わせるのは、“ネコミミ・メイド”へと換装したゼスランマだった。

 放熱索から大量の白い蒸気を発しながら、四足獣のように水面を駆け抜けるメイド・ゼスランマは、ものの一瞬でプリンセス・ゼスマリカへの懐へと飛び込む。


「最初は誰だってそう言うんだッ! だがな、役を演じるアクターだって所詮は人間だ! 自分が消えていく苦しみに耐えられるほど、丈夫に出来ちゃいねぇんだよ!」

《皆が楽しんでくれるなら、ボクはそれでいい! その笑顔が、ボクを支えてくれる……!》

「ハン! そのだって、何時までつかわからねぇんだぜ!? 飽きられちまえばお前は容赦なく大衆に切り捨てられる! 見返りを期待してるって言ったのはテメーだろうがッ!!」

《知ったことか! ボクは好きで男の娘をやってるんだ! 誰にだってジャマさせるもんか……っ!!》

「この……分からず屋がぁぁッ!!」


 引き裂く爪が、殴り砕く拳が、真っ直ぐにゼスマリカの顔面を狙う。

 ゼスマリカもまたカウンターを決めるべく、力強く握った拳をゼスランマめがけて振りかぶった。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

《させるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!》


 密着するほどの至近距離で、相対する二匹ふたり野獣おとこが吠える。


 瞬間。

 プリンセス・ゼスマリカの右拳が、メイド・ゼスランマの左拳が、双方の顔面マスクへと叩き込まれた。

 突き出した拳を交差させたまま、やがて力なく足から崩れ落ちる。かくして2機のアーマード・ドレスは互いにもたれかかるように、何とも奇妙な形で動きを止めたのだった。




 鞠華が目を覚ますと、そこは夜の河川敷だった。

 どうやら怪我はしていないものの、だいぶ疲弊しているのか身体は麻酔を打ったように動かない。

 すぐには立ち上がれそうにないことを悟ると、諦めたようにしばらくは芝生の上で寝っ転がっていることにした。


「やっと目ェ覚めたかよ。……その様子だと、お前も動けそうにはないか」


 真横からぶっきらぼうに声をかけられ、鞠華は目だけを動かしてそちらを見やる。

 自分と同じく大の字に倒れている嵐馬が、まるで憑き物が落ちたような表情で月を眺めていた。

 そんな彼を見るなり、鞠華は苦笑まじりに応える。


「嵐馬さんって、本当にプロの女形だったんですねぇ」

「あン? まだ殴られ足りねーのかコラ」

「あはは……いや、別にバカにしてるわけじゃなくて。嫌いとか言いつつ、何だかんだでちゃんと真面目に考えてるんだなぁ……って!」


 鞠華なりに褒め称えたつもりだったが、それを聞いて嵐馬は呆れたようにため息をつく。


「お前、人のハナシ聞いてたのかよ……俺は女装を散々こき下ろしてたんだぜ」

「でも女装を貶しはしても、否定することは一度もしてませんでしたよね?」


 鞠華の切り返しが意外だったのか、嵐馬の目が僅かに見開かれた。

 包み隠されていた本心を暴くように、鞠華は追及を続ける。


「嵐馬さんは僕よりも長く女装をしていて、だからこそ辛い目にも逢ってきたんだと思います。でもそれって、嵐馬さん自身が真面目に向き合ってきたからでしょう」

「フン……当然だ、俺はプロだからな。それにこの道はな、生半可な覚悟で進めるほど甘くはねーんだよ」

「だから僕が同じように絶望する前に、女装から手を引いて欲しかった……どうせ本心はそんなところでしょ?」


 冗談めかしく笑ってみせる鞠華だったが、しかし嵐馬はいつものように怒りを露にすることもなく真剣な顔つきで問う。


「……そこまでわかっていながら、それでもお前は女装をやめないつもりか」

「当然です、僕もプロですからっ」


 爽やかな笑みで答える鞠華を見て、嵐馬はついバツが悪そうな顔を浮かべる。

 そして何もかもが馬鹿らしくなったように、口元から乾いた笑い声がこぼれた。


「ハハッ、……なあ、

「何ですか……えっ、いま名前で……?」

「黙って聞け。……俺もな、お前に一つだけ気付かされたことがある。いや、気付いていながら、見えていないフリをしていただけかもしれねぇな……」


 怪訝そうに顔を覗いてくる鞠華から視線を逸らすと、嵐馬は遠くを見つめながら言葉を紡ぐ。


キャラクターを演じることは、自分が消えていくことだと思っていた。俺はそれを恐れて、役に入り込むことをずっと躊躇ってたんだ」


 そう語る彼の瞳には、幼き日の純粋無垢まっしろな自分自身が映っていた。

 周囲からの賞賛の声を、まだ素直に受け止めていた頃の少年。

 そんな遠き日のじぶんは、笑っていた。

 きっかけは決して能動的ではなかったかもしれない。

 それでも初舞台を踏んだ時の自分は、確かに演じるのが好きだったのだ。


「おかげで忘れてたぜ。俺が他の誰かを演じられること、それ自体が“俺らしさ”だったんだ。舞台の菊之助を含めて、俺は……古川嵐馬なんだ」


 それこそが鞠華との無意味な殴り合いの末に見出せた、しかし嵐馬にとってはこの上なく意義のある答えだった。

 数年という歳月を縛られ続けてきた彼にとって、その真理はあまりにも──笑ってしまうほどに簡単なものだったかもしれない。

 それでもこの重荷が取れたような開放感は、忌避してばかりだった嵐馬の意識をもう一度舞台ステージへと向けさせてくれた。

 もはや今の彼に、もう迷いなどない。


「だから、その……なんだ。テメーには……ほんのちょっとだけ、感謝してる……ぜ」


 嵐馬は照れ臭そうに目を泳がせつつ、絞り出すようにそう告げた。

 普段の彼からは想像もつかないような言動に、鞠華はしばし目を丸くする。

 やがて可笑しさに耐えきれず含み笑いをしたかと思えば、急に小悪魔の笑みを浮かべて嵐馬のほうを見た。


「全っ然、役に入りきれてないじゃないですか。やり直しぃー」

「なっ……テメーはドSか!? てか今のは別に芝居じゃねえよ!」

「え、まさかあんなクサい台詞をナチュラルに言ったんです……? うわぁ……嵐馬ないわぁ……」

「う、うるせぇな! あとさり気なく呼び捨てにすんな、一応歳上だぞ!?」

「じゃあ、嵐馬おにいちゃん?」

「うぐっ!? そ、その声でその呼び方は色々な意味で危ういからやめろ……ええい、もう呼び捨てでも何でも好きに呼びやがれッ!」

「わかりまし……ううん、わかった。ランマ!」

「ったく、扱いづれぇ後輩が増えたもんだぜ……」


 芝生の上でそんなやり取りを続けているうちに、いつしか二人の間にあったしがらみも綺麗に消え去っていた。

 数十分後にアーマード・ドレスの回収班が迎えに現れるまでの細やかな時間。

 決闘を経た彼らはまるで唯一無二の親友同士のように、月夜の下で腹を割って語り明かしたのだった。

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