Live.31『一匹狼はタソガレたい 〜LONELY WOLF ON THE HARBOR〜』

 結論から言ってしまえば、嵐馬は半日も立たぬ間にメイド喫茶をクビとなった。

 それからの彼の今日一日の行動については、これといって特筆することはない。

 ただ、今は何も考えたくなかった。自由になりたかったのだ。

 打算などありはしない。それでも息苦しさや瀬無せなさから逃げるように、ひたすら愛用のバイクを乗り回していた。


 そうして目的もなく彷徨いはじめてから、かなりの時間が経過していた。

 店を飛び出した頃にはまだ真上にあった太陽は、すでに地平線の向こうへと沈みつつある。

 運転による疲労が蓄積していたこともあり、嵐馬は東京湾河口沿いのとある広場にバイクを停めることにした。

 車体に寄りかかり、煙草をふかしながら遠くを見つめる。そのまましばらく揺れる水面を眺めていたものの、やがて何もかもが馬鹿らしくなって、真っ白い煙を吐き出した。


 散々逃げ回ってようやく手に入れた自由は、どうやらそこまで心地の良いものではなかったようだった。


「らーんーまーさんっ!」

「のわっ!?」


 不意に背後からかけられた声に、嵐馬は思わず飛び上がってしまう。

 振り返ってみると、私服姿の鞠華がこちらへ駆けて来るのが見えた。どうやらメイド喫茶での仕事を終えた後のようだ。

 嵐馬は驚いたように顔を上げるも、すぐに素っ気なく正面を向き直る。


「……なんでここがわかったんだよ」

「そんなの、ゼスパクトの位置情報を見ればすぐにわかりますって。嵐馬さんって意外と抜けてますよねぇー」

「チッ……」


 嵐馬は不機嫌そうに舌打ちをすると、いつの間にか横に立ち並んでいた鞠華の姿を一瞥する。

 彼が着ているのは、ピンクを基調としたやや少女趣味な女性物の洋服だった。

 少し前までの人前で女装ができなかった“半端者”の時とは違う、すっかり時代の開拓者となってしまった鞠華を見て、嵐馬は露骨に大きなため息を吐いた。


「ハァ……恥ずかしげもなくスカートを履くようになりやがって。やっぱり気に食わねぇわ、お前」

「んなっ……! そういう嵐馬さんは、どうしてそこまで女装に噛みつくんです? 自分だってアクターなんだから、女装もしてるじゃないですかっ」

「俺はあくまで“仕事”として女を装っているだけだ。それを“趣味”なんて言い張るヤツの気が知れないね」


 嵐馬は芝居掛かった口調で嫌味を言い放つが、彼の予想に反して鞠華はイヤな顔一つ見せなかった。

 言い争いは時間の無駄だというように、核心に迫る質問を鞠華は投げかける。


「歌舞伎役者で、女形おやまなんですよね。嵐馬さん」

「……誰から聞いた。星奈林か?」


 途端に嵐馬の目つきが変わり、鋭い眼光に睨まれた鞠華はつい萎縮してしまう。

 それだけ嵐馬にとってはタブーとも言えるような話題らしいが、鞠華は恐れずに話を詰めていく。


「誰だっていいでしょう。僕が許せないのは、そうやって人の趣味を踏みにじるあなたの態度だ」

「ハン。クソアマごときが俺に口答えか」

「そういう見下した物言いをやめてくださいって言ってるんです! 嵐馬さんもプロなら、女装に対してもっとリスペクトがあってもいいんじゃないですか!?」


 女装は楽しい趣味ではあっても、決して“楽”なものではない。

 メイクやスキンケアはもちろん、社会性への配慮も少なからず必要となってくる。

 そんな見た目の華やかさ以上に大変な行為だからこそ、同じ女装男子として喜びや苦労を共有したい。というのが鞠華の本意だった。


「……ハァ。やっぱり気に入らねぇわ、お前」


 だが、嵐馬は頑なに拒絶する姿勢を変えようとはしなかった。

 そればかりか普段にも増してあざけりの混じった微笑をこぼしたため、鞠華は苛立ちを滲ませた声で言い返す。


「そこまで言うなら教えてくださいよ……。どうしてそんなに女装を嫌っているんですか」

「そうペラペラと喋るキャラだと思うか? 俺が」

「僕だって好きで訊いてるわけじゃないですよ。ただアクターとして、チームメイトのミスの原因を突き止めようってだけです」

「んだと……?」

「どこかの誰かさん風に言えば、これもですよ。こう見えても、今は僕だってプロなんですから」


 爽やかな笑みをたたえて鞠華が言うと、嵐馬はバツが悪そうに歯噛みする。


「……ハン、テメェには一生わからねェよ。“女を演じるコト”を、あろうことか楽しんでいるようなヤツにはな」

「またそうやって殻に閉じこもって……!」

「ならテメェにはわかるのかよ!? 生まれた時から、望みもしない女装を強いられ続けてきたオレの苦しみがッ! 役を演じていくうちに、“自分”がなくなっていく恐ろしさが!」


 鞠華に問い詰められたことで余裕を失ったのか。

 あるいは、日頃からの鬱憤が爆発したことがそうさせたのか。

 どちらにせよ、嵐馬はこの時はじめて他者に対して本音を漏らしていた。

 驚きで言葉を失ってしまっている鞠華へと、嵐馬はさらに吐き捨てるように呟く。


「目障りなんだよ……女として見られているコトを喜んでいるようなヤツは。気持ち悪ィ、反吐へどが出る」

「あなたは、また……!」

「いいや、言うぜ! テメェも、テメェを見て喜んでいる俗物どもも、オレから言わせれば全員異常者クレイジーだってな!」


 嵐馬は思いの丈をぶつけると、上着の内ポケットから青藍インディゴのゼスパクトを取り出して鞠華に見せつける。

 そして呆然としている鞠華へと、まるで煽り立てるように口のを歪めた。


「お前も出せよ。を、ここでしようや」

「嵐馬さん……でも、それは」

「安心しろよ、幸いここらに人気ひとけはねェ。アーマード・ドレスを呼び出したところで、大した騒ぎにはならねぇさ」


 『それに』と、嵐馬は目の前にいるを睨みつけて言う。


「……テメェも、俺を殴りたくて仕方ねぇんだろ」

 

 あからさまで、誰が見ても明白なほどにわかりやすい挑発だった。

 そして、それを笑って見過ごせるほど鞠華は大人でもなければ、逃げ腰になってしまうほどの玉無しでもない。

 彼は心からの笑みを浮かべると、力強く嵐馬に応えた。


「珍しく意見が合いましたね。ボクもそう思って、さっきからウズウズしていたところだ──ッ!」


 女装少年と天才女形。

 女を着飾る二人は視線を交差させながら、互いのゼスパクトを掲げる。

 そして刹那、内なる“けもの”を一気に爆発させた。


「ゼスランマ、幕開まくあきだ……ッ!!」

「来い、ゼスマリカァァァッ!!!」

 

 重なり合う二つの咆哮。

 万物を震わせるようなその叫び声を、海面から現れた二柱の水飛沫みずしぶきが掻き消した。

 水中で起爆があったかのような波が河口沿いの陸地に押し寄せ、いがみ合う二人を瞬く間に飲み込んでいく。その波が引いたとき、すでに彼らの姿はどこにもなかった。

 先程までの熱気が風に流れ、湾岸につかの間の静寂が訪れる。わずかに顔を出している陽のオレンジ色に照らされた水上に、機械仕掛けの巨人が対峙していた。


換装完了コンプリート、“マジカル・ウィッチ”……》

換装完了コンプリート、“スケバン・セーラー”。さあ、憂さ晴らしに付き合ってもらうぜ……クソアマァッ!!」


 その戦いに意味があるかと問われれば、そんなものはない。

 自己満足だと咎められれば、首を縦に振らざるを得ないだろう。

 それでも彼らには、男として通さなければならない“節”が確かに存在した。

 ともすれば野蛮な行為であったとしても、彼らにとっては最も望むべき通過儀礼イニシエーションなのだ。


 夕陽が沈む。ピタリと風が止む。

 それが決闘の合図となって、二機のアーマード・ドレスは吸い寄せられるように動き出した。

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