Live.30『お帰りくださいませご主人サマ 〜MONSTER CUSTOMER HUNTER〜』

 東京都千代田区・秋葉原某所。

 喫茶店“PUREぴゅあはぁとMAIDメイド CAFEカフェ”。


「「おかえりなさいませっ! ご主人様♪」」


 店内に入ってきた男性客を、メイド服に着替えた鞠華と百音がおきまりの挨拶で出迎えていた。

 二人はとびきりのスマイルを浮かべながら応対し、てきぱきとテーブルに案内しては客からの注文をうけたまわる。

 ちなみに鞠華は現代風にアレンジされたフリルが多めの可愛らしいメイド服を、百音は胸元が露出したデザインのミニスカメイド服をそれぞれ着ていた。加えて百音にいたっては赤フレームメガネのオプション付きである。


「なんつうか、スゲェ順応力だな。あいつら……」


 初めてにも関わらず完璧に接客をこなしている二人を見て、嵐馬はテーブル拭きをしながら思わず感嘆の吐息を洩らした。

 例によって彼もまたメイド服に着替えており、ふりふりのレースがあしらわれたロングエプロンドレスを身に纏っている。胸元には過度に大きなリボンが結ばれ、動くたびに首元のチョーカーに付いている鈴が音を立てて揺れた。


「……で、なんでアンタも同伴してんだよ」


 嵐馬が振り返った先には、奥のテーブルに座すレベッカの姿があった。

 ハンディタイプのビデオカメラを片手に構え、そのレンズは店内を動き回ってる鞠華を執拗に追っている。


「あとで編集して動画をアップするからって、マリカくんに頼まれたんです。タイトルは『【1日店員】メイド喫茶・イン・アビス【やってみた】』で!」

「へいへい……あいつも意外とそういうところは抜け目がねーよな」


 さりげなく撮影の手回しをしていた鞠華に、嵐馬はつい呆気にとられてしまう。

 彼は皮肉を口にしたつもりだったが、それを聞いたレベッカは何を勘違いしたのか柔和な笑みをたたえて鞠華を見た。


「マリカくんなりに大勢の人を楽しませようと頑張ってるんでしょうね。きっと根っからのエンターテイナー気質なんだと思う」

(聞いてねぇよ……)

「ほらっ、嵐馬君もムッとしてないで笑顔えがお! せっかくメイドさん姿が似合ってるんだからっ」


 レベッカに言われ、嵐馬は喜んでいいのかもわからず困り顔を浮かべる。

 彼女の指摘どおり、確かに嵐馬の女装は──まるで愛想のない表情を除けば──メイド喫茶のベテラン店員と見紛えるほど様になっていた。

 肩や腰周りにボリュームがあるデザインをしたメイド服のためか、本来の男性的な身体のラインが隠されており、男が無理やり女物を着ているような違和感もない。


「……別に、似合ってねぇし」

「おほっ、照れ顔いいよぉ。できればもうちょいモジモジした感じだとなおグッドかも」

「や、やめろォ! カメラこっち向けんな!」


 と、嵐馬が羞恥と嫌悪の入れ混じった悲鳴をあげていたそのとき、別のテーブルからの呼び鈴が鳴った。

 ハッと嵐馬は店内に視線を巡らせるが、どうやら彼以外のメイドたちは手が空いていない様子である。


「ささっ、嵐馬くんもファイトだよ! ファイト!」

「やっぱり俺が行かなきゃダメか……ハイ、ただいま……!」


 ニヤニヤと頬を緩ませるレベッカに踵を返し、嵐馬はそそくさと鈴の鳴ったテーブルへと向かう。

 呼び出したのは、先ほど鞠華が案内していた男性客二人だった。

 アニメキャラがでかでかとプリントされたTシャツに、ポスターのはみ出たリュックサック。頭に巻かれたバンダナに瓶底メガネと、現代では一周回ってなかなかお目にかかれないオタクファッションをしている。


「お呼びでしょうか、ごっ……ご主人様」


 肩を小刻みにプルプルと震わせながら、嵐馬はあくまでしおらしさを装って接客しようとする。

 だがそんな様子の彼を前に、客の二人はどこか残念そうに顔を見合わせた。


「あれぇ、マリカきゅんは指名できないでござるかぁ?」

「それかモネママがよかったお……」

「すっ、すみません。既に予約でいっぱいの状態となっておりまして……」


 普段の嵐馬なら舌打ちしているところを必死に抑え込みつつ、申し訳なさそうにペコペコと頭を下げる。

 すると客の方も諦めてくれたのか、渋々メニュー表を開き始めた。


「仕方ないお……じゃあ、この『ふわとろバジーナ☆神オムライス』と『男の娘・ヒミツのウインナー♡コーヒー』を頼むお!」

「あっ、小生もオムライスとぉ、あと『モネ姉さんのマウンテンバーグカレー』にするでござる!」

「んんんwww食べ盛りですなwwwwww」

「オムライスが2つ、ウインナーコーヒーが1つ、ハンバーグカレーが1つですね。かしこまりました、少々お待ちくださいませ」


 商品名に色々とツッコミたいのを我慢し、嵐馬はオーダーメモを手にキッチンへと向かう。やや接客態度はぎこちないものの、ここまでホールスタッフとしての役割はきっちりこなしているかのように思えた。

 そして数分後、嵐馬が料理を運んで客のテーブルへと戻ってくる。


「お待たせしました、ご主人様。こちらオムライスがお2つとウインナーコーヒー、それからハンバーグカレーになります」


 皿の音一つ立てず、丁寧な所作で料理を置いていく。

 やがて全ての皿を置き終えた嵐馬が『では』と一礼してから立ち去ろうとしたとき、客からの追加注文の声に呼び止められた。


「ついでにもお願いするでござる!」

「……は?」


 客の言っていることが理解できず、嵐馬は咄嗟に固まってしまう。


「オムライスに“美味しくなる魔法ケチャップ”をかけるアレでござるよう!」

「ケチャップだったら、そこに置いてあるのを自分でかければいいだ……よいと思いますが」

「メイドさんにかけてもらわないと美味しくならないのー! そういうモノなんでござるーっ!!」

(わ、わけわかんねぇ……!)


 サブカル分野におけるメイド文化への理解が決定的に欠けている嵐馬には、一体客が何を求めているのか半分もわからなかった。

 張り付いたような笑顔を辛うじて保ちつつも、とりあえず言われた通りにケチャップの容器を手に取る。


(よくわからねぇが、コイツをかけりゃいいんだよな……)


 嵐馬は両手で容器を握ると、おそるおそる慎重にケチャップを絞り出す。

 一言も言葉を発しないまま、ふわふわなオムライスの上にジグザグの稲妻模様を丁寧に描いていき──。


「……って、そうじゃないでござろう! なんで普通にかけてるんでござるか!?」

「なっ……!? いや、だってこのかけ方が一番美味しくなるはず……」

「もっとこう、元気になる絵とかー愛情のこもったメッセージを描いて欲しいんでござるよう! メイドさんならできるでござろう!?」

「ケ、ケチャップでかぁ……!?」

「拙者のオムライスはもういいでござるから、相方の方は今度こそちゃんとやってくれでござる!」

「かっ、かしこまりました! 申し訳ございません、ご主人様ーッ!!」

 

 嵐馬は上官にシゴかれている軍人のように頭を下げると、再びケチャップを両手に構える。

 そしてオムライスという名のキャンバスへと、トマト色の絵の具を思い思いに走らせていった。

 やがて絵を完成させた嵐馬が、どっと疲れたように額の汗を拭う。描いてもらった客は不安そうにオムライスを見るが、すると意外にも好評な反応を示した。


「うおおおお! 可愛い動物のケチャップ絵キタ──っ! これは……お馬さんかーっ! さすがメイドさん、絵心があるおぉ……っ!!」


 思いがけず喜んでくれている二人の男性客に、嵐馬は心底申し訳なさそうに真実を伝える。


「……それ、ネコです」

「えっ……で、でも、この長い顔はどう見ても」

「ネコだ」

「えっ、えっ?」

「これはヒドい……でござる」


 必死に場を盛り上げようとしてくれていた客の二人も、猫の顔面を縦に引き伸ばしたような絵を見ては思わず言葉を失ってしまう。

 それほどに嵐馬という青年は、残念なことに絵心や芸術的感性というものを欠片も持ち合わせてはいなかった。彼自身もこの絵の出来の酷さには引け目を感じたらしく、がっかりしている客を前にオロオロと慌てふためいてしまう。


「い、イヤです! やめてください……!」


 そのときだった。

 あえぐような悲鳴が聞こえ、嵐馬はふと声のした方向を振り向く。

 店の入り口付近で、バイトの女性店員が来店してきた男たちに囲まれていた。計三人の男性客はいずれも強面で、まるで猿が人間の服を着ているような野蛮さを全身から醸し出している。


「別にいいじゃんかよー、パンツが何色なのか確かめさせてくれって。それとも、ご主人サマの命令が聞けねぇってのかァン?」

「で、ですから。当店ではそのようなサービスは行っておりませんので……ひっ!?」


 男が殴りかかるフリをし、メイドの表情が恐怖に歪む。

 取り巻きはそれを舐め回すように見るなり、野蛮人のように下劣な笑みを浮かべた。一人が女性の顎をクイっと上げると、唇同士がぶつかりかねない距離まで顔を近づけさせる。


「ご主人サマに生意気な口を利いてるのはこの口かァン?」

「い、嫌……」

「俺がここで塞いじまってもいいんだぜェ? なんなら下のクチでも……」


 もはや誰の目から見ても、その一部始終は下衆による犯行として映った。

 正義感とは無縁の人間だという自覚のある嵐馬でさえも、これには流石に神経を逆撫でされるような気分を抱いてしまう。

 そしてそれは鞠華も同様だったのだろう。すぐに男達の元へと駆け寄ると、女性店員をかばうように割って入った。


「いい加減にしてください! 警察呼びますよ!?」

「あン? なんだテメー……」


 お楽しみの邪魔をされて露骨に嫌な顔をする男達だったが、鞠華の顔をまじまじと見つめた途端にその表情を変える。


「って、よく見たらウィーチューバー“MARiKAマリカ”じゃねえか。なに、メイド体験なう? もしかして撮影してんのォー?」

「もったいねぇなあ。こんなに可愛いのに男なんて……ってか、本当にツイてんのかね?」

「何なら剥いちゃう? いま、ココでw」

「……っ!?」


 一人の男に鞠華の細い手首が掴まれ、残る二人の手が彼の着ているメイド服へと迫る。

 鞠華は必死に逃れようと抵抗するも、筋力に乏しい彼は赤子の手を捻られるように後ろ手を組まれ、あっという間に取り押さえられてしまった。


「は、放してください……!」

「普段から女装してんだから、それくらい恥かしがるなよォー。なぁに、オトコノコの証拠をチラッと見せてくれるだけでいいんだぜェ?」

「それとも、本当はツイてないから見せられないとか? それはそれでご褒美だけどな、もしそうだったら大スクープだぜ、ヒャッヒャッヒぼへぶぅっ!!?」


 つい数秒前まで店内中に品のない高笑いを響かせていた男性の体が、3回ほど空中でスピンしてから床に叩きつけられた。

 頬を殴られた男はそのまま白目をむいて気絶し、残る二人が慌てて拳の飛来した方を振り返る。

 するとそこには、指の関節をコキリと鳴らす嵐馬が立っていた。可憐なメイド服を着ている彼は、しかしそれを覆い隠さんばかりの荒々しいオーラを放っている。


「な、なんだテメェ!? メイドごときがご主人サマに手をあげようってのかァッ!?」

「……うーむ、それを言われると非常に困りますね。確かに使用人風情が主人に暴力を振るうのは問題だ」

「ちょ、ちょっと嵐馬さん! なに納得しちゃってるんです! 助けに来てくれたんじゃないんですか!?」


 不安そうに騒ぎ立てる鞠華を手で制すと、嵐馬は改まったように男達と向かい合う。

 そして何を思ったのか、彼は今日一番の営業スマイルを浮かべて言い放った。


「だから、『萌え萌えじゃんけんゲーム』をしましょう♪」

「「…………は?」」


 その場に居合わせていた全員がハモった。

 突拍子もない提案に唖然としている男達にも構わず、嵐馬は天使のような笑顔を凍りつかせたまま腕をグルグルと回し始める。


「いっくよぉーっ。萌え♡萌え♡じゃ〜んけん! じゃ〜んけん──」

「えっいや、ちょっ、おまっ」

「ポオオォォォォォォォォォイッ!!!!!」


 固く握られた嵐馬の鉄拳が、男の顔面へと吸い込まれるように突き刺さった。

 メキッ、という鼻の骨が折れる音が鳴り、男の体が店の壁へと吹っ飛ばされる。

 残りはあと一人だ。


「こ、こんなのジャンケンじゃねえ! ただの恐ろしく強ぇグーパンじゃねえか!」

「次の対戦、いっくよぉーっ。萌え♡萌え♡じゃ〜んけん! じゃ〜んけん──」

「ま、まて、俺が悪かった。だからあの、お慈悲を」

「グーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」


 どこか間の抜けた雄叫びとは裏腹に、鋭い拳の一撃が最後の一人へと叩き込まれる。

 男はまるで少年誌のバトル漫画よろしく盛大に宙を舞ったあと、背中から床へと叩きつけられた。

 さらに、その程度で終わらせる嵐馬ではない。彼は失神している男達を強引に叩き起こすと、胸ぐらを掴みながら微笑んでみせた。


♡」


 天使のような微笑みの背後に悪魔の気配を感じ取った男三人は、『し、失礼しましたぁーっ!!』と情けない悲鳴をあげながら一目散に店を飛び出していった。


「フン、『いってらっしゃいませ、ご主人様』ってな」


 再び店内に平和な静けさが戻ってきたことを確認すると、嵐馬は一安心したように長い後ろ髪をかき分ける。

 するとそんな彼の元へ、正装を着た一人の男性が近付いてきた。その人物はこのメイド喫茶の支配人であり、1日店員の嵐馬たちにとっては今日限定で上司でもある。


「どうだいマスター、マナーの悪い客相手にもきちんと礼節をわきまえて“ご奉仕”してやったぜ。これで俺も真のメイドとやらに一歩近付けたと言っても……」


 冗談めかしく笑ってみせる嵐馬だったが、支配人の男は微笑の一つさえ溢しはしなかった。

 そればかりか、明らかに眼が笑っていない。


「……過言、でしたね」

「ウン、自覚があるようで結構」


 支配人は残念そうに首を横に振ると、立ち尽くしている嵐馬の肩にポンっと手を置いた。

 

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