Live.22『黒いヤツらがやってきた 〜FETAL MOVEMENT OF MALICE〜』

「ふぅ、おまたせアリスちゃん……って、いない……?」


 どうにか無事に排泄を済ませ、すっかり安堵しきった様子でトイレから出てきた鞠華だったが、すぐに自分を待ってくれていたはずのアリスの姿がどこにも見当たらないことに気付く。


(アリスちゃんもトイレに行ったのかな……?)


 そのように考えるのが一番妥当だろう。

 鞠華を置いて他の売り場に行ってしまったという可能性もありえない訳ではないが、あの生真面目なアリスが何も言わないで移動するというのは少しばかり考え難い。


(できれば一声かけて欲しかったところだけど、きっと緊急事態だったんだろう。現に僕もそうだったし)


 そう結論付けた鞠華は、しばらく手近な壁に寄りかかってアリスが出てくるのを待つことにした。



 どれくらいの時間が経っただろうか。

 そう思った鞠華は近くの時計を確認すると、時計の針は待ち始めてから既に20分も経過していることを示していた。


(いくら女の子とはいえ、流石に遅過ぎるよな……)


 女子トイレが混雑しているわけでもなく、むしろ人の出入りは殆ど見受けられない。

 男性にはわからない事情があるということも重々承知している鞠華ではあったが、それを鑑みてもこの所要時間は明らかに異常だった。


(何かあったんだろうか……)


 流石に女子トイレの様子を覗きに行くことはできないとはいえ、ここまで音沙汰がないとつい不安に駆られてしまう。

 上着のポケットに入れていたスマートフォンが小刻みに振動を始めたのは、そんな時だった。

 すかさず鞠華はスマホを取り出して画面を見やる。それがアリスからの着信であることを確認すると、間髪入れず通話に応じた。


「もしもしアリスちゃん!? 今どこに――」

《ウィーチューバー“MARiKAマリカ”だな》


 耳に当てているスピーカーから発せられた声は、アリスのものではなかった。

 礼節を弁えている、しかし鋭いナイフのような切れ味を帯びたような低い声音に、鞠華もより険しい顔つきへと変わっていく。


「……あんた、アリスちゃんに何をした」

《アリス=カスタードの身柄は拘束させてもらっている。彼女を解放したければ、大人しく私の指示に従ってもらおう》


 鞠華は短く息を呑みながらも、パニックになりかけている頭の中を必死に整理することに尽力する。

 少なくとも相手がアリスのスマートフォンから電話をかけて来ているということは、彼女の身に何かあったことはまず間違いないと見ていいだろう。そして『アリスを拘束した』という旨のメッセージも、恐らくはハッタリや虚仮威こけおどしではない。

 これは誘拐事件を実行した犯人からの、一方的かつアンフェアな脅迫に他ならなかった。


「目的は、要求はなんだ」

《これから人質解放の場所を指定する。君にはそこへ一人だけで来てもらおう。もし二人以上で来た場合には、人質の身の安全は保証できないがな》

「馬鹿馬鹿しい。そんな命令に大人しく従うわけ――」

《残念だが、警察機関に頼ろうとしても無駄だ。そうした場合、我々には武力を行使する用意がある》


 まるで逃げ道を塞ぐように、姿の見えない相手はハッキリとそう告げた。

 鞠華は動揺をひた隠すべく、えてあざけるような口調で応じる。


「武力なんて……へえ、大きく出るじゃないか。武装したテロリスト集団か何かのつもりかい?」

《……そういう君こそ、そろそろ気付いてもいいのではないか。なぜ我々が、世間的にみればただの民間人でしかない君に対して、このような脅しをかけているのか。その理由を辿れば、おのずと我々の正体も見えてくる筈なのだかな》

「なに……?」

《おっと失礼、君も既に民間人ではなくの人間だったのだな。ウィーチューバー“MARiKAマリカ”――》


 相手はわざとらしい間を置いて、鞠華の胸中を掻き乱すように一石を投じる。


《――いや、“ゼスマリカのアクター”と言うべきかな》

「……っ!」


 世間には一切公表されていない情報を、相手はいともあっさりと言ってのけた。

 それを受けた鞠華も、たったいま自分が対峙している敵の正体をようやく確信する。


「“ネガ・ギアーズ”……」

《おや、知っていてくれたとは光栄の限りだ。そうとも、我々はネガ・ギアーズ……お前達“オズ・ワールドリテイリングJP”とはたもとを分かった組織だよ》


 その組織については、鞠華も一度だけ交戦したことがあった。

 横浜市街で起きた“マジカル・ウィッチ”との戦闘の際に、こちらを妨害しアウタードレスの撤退を手助けした白いアーマード・ドレス。そのあまりにも稀少な機動兵器を戦力として保有している組織こそが、彼ら“ネガ・ギアーズ”という存在とのことらしい。


「噂では聞いていたけど、本当に悪党なんだな。関係のない一般人まで巻き込んで……!」

《悪党、か……俗の好みそうな言葉だ》

「違うっていうのか!? 女の子を人質に取っておいて、あんたらに正義なんてあるものか……!」

《……お子様と青臭い善悪論について語り合うつもりはない。事実、首元に刃を突きつけられているのはそちら側だということを忘れるな。小娘の命が惜しければ、貴様の忌み嫌う悪党の言葉に大人しく耳を傾けたがいいと思うが?》


 どうしようもない現状を突きつけられ、鞠華は何も言い返せずに言葉を詰まらせてしまう。

 相手があの“ネガ・ギアーズ”であると判明した以上、下手に相手を刺激するわけにもいかない。大人に頼る選択肢も失った今、ただの少年でしかない鞠華はあまりにも無力だった。


「……わかったよ、あんたらに従う。僕はどこに向かえばいい?」

《横浜公園の噴水広場だ。そこからならば徒歩でも15分あれば着くだろう。もし30分経過しても姿を現さなかった場合は、人質を解放する意思がないと見てしかるべき処置を取らせてもらう》

「なっ……」


 事務的な口調で淡々と場所だけ伝えられ、そこで通話は一方的に打ち切られてしまった。

 鞠華はやりようのない苛立ちを募らせつつも、すぐさま地図アプリを起動して経路を確認する。現在位池から指定された場所へは、約2キロメートルほどの距離があった。


「な、何が徒歩で15分だよ……! こんなの、全力で走ってやっと間に合うレベルじゃないか……っ!」


 すぐに鞠華はスマートフォンを握りしめたまま駆け出し、平和そうに日常を謳歌している客たちの群れを潜り抜けていく。彼を後ろ指差してざわつく者もちらほら見受けられたが、鞠華は決して振り返ることなく公園へと急いだ。



 数十分後。横浜市中区・市立公園。


 雲ひとつない頭上の空に、残暑の太陽が燦々さんさんと輝いている昼下がり。

 野球スタジアムを有するほどの広大な敷地内で、ベビーカーを押す母親や学校帰りのカップルといった人々が、思い思いにゆったりとした午後を過ごしている。

 ただ一人。花壇の植えられた噴水の縁石に座る黒尽くめの青年だけは、周りを行き交う人々とは明らかに異質な雰囲気を放っていた。彼はチラリと腕時計を確認すると、ようやく目の前に姿を現した少女――否、少女を装った少年へと声をかける。


「26分33秒、か。人質を取られているわりには、随分と呑気のんきだな」

「ハァ……ハァ……こ、これが呑気そうに、みえますか……っ!?」


 休憩する間も惜しんで駆けつけてきた鞠華は、膝に手を突きながら苦しそうに何度も咳き込む。インドア派ゆえに普段あまり酷使することのない脚の筋肉が悲鳴をあげていたが、黒服の青年は特に気にかけるわけでもなく涼しげな顔で鞠華を見据えた。


「確認する。ゼスアクター“MARiKAマリカ”本人だな?」

「この格好を見ればわかるでしょう」

「念のためだ。も見せてもらおうか」


 懐疑的な視線を向けられ、鞠華は渋々ポケットから赤紫色ワインレッドの“ゼスパクト”を取り出して相手に見せる。事情を知らない者にはせいぜい装飾過多なコンパクトにしか映らない代物だが、それを見せられた青年は納得した様子で頷いた。


OKオーケイ。どうやら君は本物のウィーチューバーサマで間違いないようだ」

「その、ウィーチューバー様のボクを呼び出してどうする気さ。まさかサインが欲しいなんて言うんじゃないよな?」

「私は口先だけの男性おとこに興味はない。……とはいえ、君自身の情報発信力とエンターテイメント性については高く評価しているつもりだ。それを見込んだ上で、君には我々の書いた脚本プロットの花形を演じてもらいたい」

「それは、どういう……」

「まずはこれを見てもらおう」


 青年はそう言うと、既に電源の入れられたタブレットを差し出してきた。鞠華はいぶかしげにそれを受け取ると、ビデオ通話が起動していると思わしき画面へと目を向ける。


 そこに映っていたのは、円形の中に“H”のアルファベットが記された何処かのヘリポート。

 そして、黒いゴシックロリータのファッションに身を包み、不敵な笑みを浮かべた少女だった。


《ハァーイ。そこの下僕アナタ、ちゃんと見えてるぅ〜? 今日の†ぶらっくタイガー★ちゃんねる†出張版は、ここ横浜グランドアークタワーの屋上からお送りするわ!》

「は……?」

《な、何よぉそのつまんなそうなリアクション!? アタシよりもちょっっっぴり再生数を多く稼いでるからって、アタシを小馬鹿にするワケ!?》


 わけがわからず唖然としている鞠華に対して、画面の向こう側にいるゴスロリの少女は一人勝手に騒ぎ立てる。しばらくスピーカーから発せられる怒鳴り声に耳を傾けていると、鞠華は何かに気付いてハッと目を見開いた。


「もしかして、さっきショッピングモールにいたギャルの人……!?」

《ピンポーン、正解ぃ♪ そうよ! アタシこそが、ゴスロリ系女装ウィーチューバーの頂点にして“MARiKAマリカ”最大のライバル、“ぶらっくタイガー”の正体だったのよ!》

「ぶらっくナントカさん……? は知らないけど、つまりその、えっ……キミも男の娘オトコノコだったってコト!? ぜ、全然気付かなかったよ……!」

《ふ、ふふっ、落ち着きなさい大河タイガ。こんなあからさまな挑発に乗っちゃダメ……ええ、そうよ! JKの格好も、ファンのフリをしていたのも、ぜーんぶアンタに近付くための演技ウソ♪ そもそもマリカ死亡説の噂を最初に書き込んだのもアタシだしぃ? そのアタシに“MARiKA”のってことをあっさりバラしちゃうなんて、チョー滑稽こっけい! バッカみたいw》

「まさか僕以外にもこんなにレベルの高い女装ウィーチューバーがいたなんて……やっぱり世界は広い……」

《ちょっと! 悪口の部分だけ都合よくスルーしないでくれる!? またアンタの動画のコメ欄にアンチコメ書きにいくわよ!?》


 貴重な女装仲間を発見したことですぐにでも語り合いたそうにしている鞠華だったが、残念ながら状況がそれを許さなかった。彼は一旦冷静になると、改めて画面越しに女装少年を見据える。


「……あなたも、“ネガ・ギアーズ”なんですか」

《ええ。だからアンタとは、ウィーチューバーとしてもアクターとしても敵同士ってコト》

「アクター……まさか、あの白いアーマード・ドレスに乗ってたのは……!」


 “チミドロ・ミイラ”というドレスコードで呼ばれていた謎の機体を思い出し、鞠華はこの大河タイガと名乗った女装少年こそが乗り手ではないかと疑う。

 だが、画面の彼はすぐさまその可能性を否定した。


《残念ながら不正解ね。アレを動かしてるのはアタシでも、そこにいるタクミでもないわ……って、なにさらっと重要機密を敵に喋らせちゃってくれてるのよ!?》

「いや、それはキミが勝手に答えたんじゃ……」

《うるさい! アンタなんか大っキライよ!!》

「ま、マリカス……!?」

《……っと、今日はそんな大嫌いなアンタのために、スペシャルなプレゼントを用意してたのだったわ★》


 大河がわざとらしく黒い手袋に包まれた両手を合わせると、それまでヘリポートを映していた画面が途端に切り替わる。

 そして直後に映し出された映像を見て、鞠華は驚きのあまり思わず絶句した。


 地上約300メートルもの高さを誇るタワーの屋上。その角に設置されている作業用クレーンから、なんと少女が後ろ手に縛られた状態で吊るされていたのだ。

 焦燥、恐怖、怒り。それらの感情が入れ混じったような震えた声で、鞠華はその人物の名前を叫ぶ。


「アリス……ちゃん……!?」


 宙吊りにされているのは、やはりアリス=カスタードだった。

 人質の身を危険に晒され、取り乱す鞠華。その背後へタクミと呼ばれていた青年は忍び寄ると、鞠華の耳元で悪魔のようにささやく。


「君は先ほど、我々を悪党ヴィランだと言っていたな。その認識は誤っていない」

「……っ」

「肩の力を抜けよ、これはちょっとした余興ゲームだ。ヒーローの役割ロールを与えられたお前が、囚われの姫君ヒロインを救うためのな」


 まるで冷酷無慈悲なサイボーグのように匠が言い放ったその刹那、快晴だったはずの空に突如としてが出現しているのが見えた。

 こぼれた絵の具のように青い空を侵食していく不可解な現象。その正体を、鞠華や背後に立つ青年タクミは知っている。


 顕現兆候アドベントシグナル

 それは人類の仇敵たるアウタードレスが、最悪の偶然タイミングで――或いは、予め計画された必然タイミングで――出現することを意味していた。

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