黒き刺客編

Live.20『女装はクセになるから気をつけろ 〜FORBIDDEN FRUIT IS SWEET〜』

 季節が一つ巡り、夏休みが明けて9月となった。


「逆佐さん、説明してください。事と次第によっては警察に突き出しますよ」

「いや……あの、これは、えっとぉ……」


 カスタード宅の一室。その部屋の主であるアリスが仁王立ちをしている目の前で、鞠華は涙目になりながらも正座をさせられていた。

 ちなみにアリスはつい先ほど帰宅したばかりであり、白と紺のコントラストが爽やかな半袖のセーラー服を着ている。今日の学校は始業式のみだったらしく、正午を迎えるより前に早々と帰宅してきたのだ。


「ふーん、だんまりですか。では仕方ありませんね、心苦しいですが警察に通報するしか……」

「ま、まってアリスちゃん! それだけは……通報だけは勘弁してぇ……!」


 鞠華が四つん這いになって懇願こんがんしたため、鞄からおもむろに携帯を取り出そうとしていたアリスの手がピタリと止まる。

 彼女はまるでゴミを見るような冷たい目で鞠華を見下ろしながらも、やがて呆れたように携帯電話を再び鞄に仕舞った。


「はぁ……まったく。私は確かに逆佐さんが女装ウィーチューバー“MARiKAマリカ”であることも知っていますし、その趣味についても非難するつもりはありません」

「アリスちゃん、わかってくれたん……」

「いいえ、残念ですがこの件については解りかねます! 一度冷静になって鏡を見つめ直して下さい!」


 アリスに怒鳴られてしまい、鞠華は言われた通りに部屋の隅に置かれたスタンドミラーへと顔を向ける。

 するとそこに映っていたのは、季節外れな長袖のセーラー服を装った女子生徒だった。紺色の生地の上に白いスカーフが胸元で結ばれ、正座を組む細い両脚には黒のストッキングが履かれている。艶やかな長い髪の印象もあって、どこか控えめで清楚な雰囲気を醸し出していた。

 そんな窓際で読書をしている姿が似合っていそうな美少女――もといは、アリスに向かって勢いよく土下座をする。彼の足もとには男性用のスウェットが脱ぎ捨てられており、また部屋のクローゼットには服を取り出されたような痕跡が残っていた。


「……えー。この度は、仕舞ってあったアリスちゃんの冬服を勝手に取り出した挙句、こっそりと試着してしまって……すみませんでしたぁーっ!!」


 フラッシュに囲まれた芸能人の謝罪会見のごとく、鞠華は深々と床に頭を擦り付ける。まるで可憐な美少女が無理やり土下座をさせられているような絵面だったが、彼がれっきとした男性であることを知っているアリスは特に躊躇なく問い詰める。


「いやいや、この場合『すみませんでした』の前に言うべきことがありますよね? そもそもなんで私の制服を勝手に着ていたのかがわからないんですけど……」

「どうしても女装が……したかったんだ……」

「はい?」


 アリスが聞き返すと、セーラー服の鞠華はぽろぽろと涙を零しながらも、自らが犯行に及んだ動機を訴える。


「うぅ……だって最近ゴタゴタしてたせいで全然動画を投稿できてなかったし、用意してたコスプレ衣装は荷物ごとホテルで燃えちゃったし……家に居てもやることないし」

「それで、居候の分際で暇を持て余してしまった逆佐さんは、魔が差して私の制服をついつい着てしまったと」

「つまるところ、そういうことになります」

「なるほど……いやわからん。そこまで女装をしたがる理由が全くもってわからないんですがそれは」


 すると訊ねられた鞠華は、なぜか己の華奢な半身を抱きかかえながら身を悶えさせる。うっとりと紅潮したその表情は、まるでイケナイ遊びを知ってしまった少女のようにどこか官能的だった。


「理屈じゃあね、ないんだよ……一度経験してしまったら、自然とカラダが求めてしまうようになるの……」

(あー……この人、女装が完全に癖になってるなぁ)


 ごく一般的な感性の持ち主であるアリスはつい頭を抱えてしまう。どうやら鞠華は女装をすることによって得られる快楽の虜になっており、その執着ぶりは中毒か依存症と言ってもいいほどに大きなもののようだった。


「そんなの自分の服でやって下さいよ……。服が全部燃えちゃったのなら、新しく買いに行けばいいじゃないですか」

「えっ? いやいや、普通に考えて男が一人で女性服の売り場になんて入れないでしょう。何を言ってるのアリスちゃん」

「くっ、女装した人に常識を語られるとなんかムカつく……!」


 とはいえ、鞠華の言うことに一理あるのもまた事実だった。

 娘のいる父親などは例外としても、男性が女性用の服を購入する光景はなんとも犯罪の臭いが漂うものだろう。それも思春期真っ盛りのティーンエイジャーである鞠華ともなれば、それこそあらぬ誤解をされかねない。


「だ、だったら通販とかを利用すれば……」

「やだ! 小生そんなにまてない! 今すぐ女装しーたーいー!」

「子供か……はぁ、わかりましたよ。じゃあ私と一緒に服を買いに行きましょう」

「ヒョ?」


 アリスの出した思わぬ提案を聞くなり、それまで駄々をこねていた鞠華がふと顔を上げる。


「アリスちゃん、今なんて?」

「だから……女の私が付き添いとして一緒に行けば、逆佐さんも気兼ねなく服を買えるって言ってるんです。いちいち言わせないでくださ……わっ!?」


 照れ隠しのつもりかそっぽを向きながら喋っていたアリスだったが、突然鞠華に両手を握られて声が上擦ってしまう。

 そんな彼女の複雑な心境に気付くこともなく、鞠華は無邪気に目を輝かせながらアリスの顔をまじまじと見つめていた。


「アリスちゃん! キミはなんて最高なんだ……っ!」

「ちょ……逆佐さ、その……近いんですけど……」

「ああ、でも僕だけ付き合わせちゃうのも悪いから……そうだ! 代わりにアリスちゃんも男性服売り場に連れてったげるよっ!」

「それは結構です……!」


 鞠華の誘いは断られてしまったものの、アリスも女装用の服を買いに行くこと自体に対しては満更でもなさそうだった。というよりも、むしろどこか嬉しそうですらある。

 このまま買い物へと出掛ける前に、鞠華はひとつだけアリスに確認の意味も込めて訊ねた。


「あのー……女の子用の服を貸してくれたりとかしたら嬉しいなーって」

「……もう、今回だけですからね」


 アリスは少しだけ迷った挙句、自分があまり着ていない私服を鞠華に貸し出すことにした。


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