Live.19『新しい風が吹いていた 〜ALL'S WELL THAT ENDS WELL〜』
居酒屋で行われた飲み会がお開きとなり、時刻は夜中の1時頃。
「……うん。そういうわけだから、しばらく愛媛には戻らないことになった」
街灯に照らされた夜道を走る一台のタクシー。その後部座席で、鞠華は車窓越しの夜景を眺めながら誰かと通話をしていた。
「ハハ……心配しなくても大丈夫だよぉ。僕だって小さい頃のままじゃないんだしさ、一人でも上手くやってけるよ。じゃあ、そろそろ切るね。……うん、また連絡する」
回線の向こうの相手にそう言い聞かせて、鞠華は通話を切り上げる。
それとほぼ同じタイミングで、隣の席で眠っていたレベッカがウトウトしつつも目を覚ました。彼女は眠たげにまぶたを擦りながらも、鞠華のほうにぼんやりと顔を向ける。
「あっ、レベッカさん。すみません、起こしちゃいました?」
「ううん……大丈夫。ところで今、誰かと電話してたっぽいけれど……」
「はい。愛媛の実家のほうに……レベッカさんこそ、具合は大丈夫ですか?」
「うぅ……ゴメン、まだちょっとダメみたい……」
レベッカは座席のシートに身を沈めながら、気怠そうに額を手で押さえる。
かなりのハイペースでアルコールを摂取していたことが災いしてか、どうやら悪酔いしてしまったらしい。しばらくはレベッカの家に居候させてもらう立場ということもあって、鞠華はこうして彼女を家まで送り届けることになったのだった。
「本当にゴメンね……。君には色々と迷惑をかけちゃってて……」
「あっ、タクシー代なら気にしないで下さい。こう見えても、それなりに稼いでるんで!」
「それもあるのだけど……謝りたいことはそれだけじゃないの……」
「……?」
レベッカは悪酔いの頭痛を堪えつつも、どこか切なげな細い目で鞠華の顔を見やる。いつもの子供のように明るい彼女とは違う、どこか扇情的なうっとりとした表情に、鞠華は思わず生唾を飲み込んだ。
今にも沈んでしまいそうな意識を辛うじて繋ぎ止めながら、レベッカはたどたどしい語調で話す。
「私が君を巻き込んでしまったから……君はもう、もとの生活には戻れない……。親も兄弟も、学校だってあっただろうに……」
「レベッカさん……」
朦朧としながら、半ば寝言を言うようにレベッカは胸中の不安を吐露する。
それでも、大人としての責任感がレベッカの良心を
鞠華もそれをわかっている上で、彼女を安心させるべく優しい言葉を投げかける。
「あはは、心配し過ぎですって。それにボクの生活って言っても、もともと大したものじゃなかったですしねー」
「そうなの……?」
「ぶっちゃけ愛媛に友達とかいないですし、学校も通信制だったんでもっぱら家に引きこもってましたからねー。動画投稿だけが
爽やかな笑顔で聞き捨てならない自虐ネタをぶっちゃける鞠華に、眠たさで頭の回りきっていないレベッカすら気遣わしげに顔をうつむかせてしまう。
「なんか……ゴメンね……?」
「いえ、いいんです! そういうコトがあったからこそ、今こうしてリアルの“まちゃぷりさん”とも出逢えたわけですし……!」
「マリカくん……」
「むしろこっちに来てから、ホントに楽しいことの連続なんです! コミサが中止になったのは残念でしたケド……でも何というか、自分の居場所がはじめて見つけられたような気がして……」
鞠華の口から出たのは決して嘘や方便などではなく、心からの素直な言葉だった。
退屈な日常の空虚感を、ただ女装や動画配信という趣味によって満たすだけだった毎日。そんな灰色だった鞠華の目にうつる世界は、上京して“ゼスマリカ”に乗ったあの日から一転したのだ。
それまでネットワーク上でしか交流のなかった知り合いが、実体と実感をもって確かに存在し、自分もまた誰かに必要とされている。
それを知ることができたこの数日間の想い出は、すでに鞠華にとってはかけがえのない体験となって胸の深くに刻まれていた。
それに。
――キミはね、キミが思っている以上に特別なのさ。
そう言われたことが何よりも嬉しく、誇らしく、その期待に何としても応えたいと思うようになっていた。
「こんなに楽しい気持ちになったのは、生まれて初めてだったんです。それでみんなも幸せにできるのなら……それはもう、願ったり叶ったりじゃないですか!」
「自分もみんなも幸せに……それがキミの……」
「はい! その為にボクは、ゼスマリカで戦うって決めたんです。巻き込まれたんじゃない、きっとこれは必然だったんだって……そう思いたいから!」
強い意志の宿った瞳をたたえて、鞠華は自らの胸の内を堂々と告げる。
「そっかぁ……。それは……よかっ……た……」
鞠華の決意を聞き届けたレベッカは、ようやく安心したのか安堵の息をつくと、再び眠りへと落ちていく。
可愛らしく寝息を立てるレベッカの寝顔を見て、そこに“抹茶ぷりん”を重ねた鞠華は可笑しくなってつい苦笑をこぼした。
*
マンションの前でタクシーを降りた鞠華は、おぼつかない足取りのレベッカに肩を貸しながら部屋へと向かう。
鍵を開けて玄関のドアを潜ると、寝巻き姿のアリスが出迎えてくれた。つい先ほどまで風呂に入っていたのか、黄金色の毛先がわずかに水気を帯びている。
「ただいまアリスちゃん。こんな遅い時間になっちゃってごめんね、起こしちゃったでしょ?」
「いえ、ついさっきまで勉強してましたので……。こっちこそ世話かけちゃってすみません。お姉ちゃん、重かっただろうに」
今にも床で寝てしまいそうなレベッカを寝室まで運ぶべく、アリスも鞠華とは反対側の肩を支える。自分より一回りも小柄な未成年二人に抱えられたレベッカは『むにゃ……だいえっと、してるもんぅ……』と幸せそうな表情で寝言を口走っていた。端からみれば完全にダメな大人である。
「……この様子だと、メチャクチャ飲んで泣きまくったみたいですね」
「あ、あはは……」
号泣の原因のほとんどがアリスにあったことは敢えて黙っておくことにした。彼女もつい二日前までは
寝室へとたどり着いた二人はレベッカをベッドに寝かせ、その上に毛布をそっとかける。ぐっすりと眠る彼女を見て鞠華がホッと一息ついていたとき、ふとアリスに声をかけられた。
「あの、お姉ちゃんから逆佐さんのことも聞きました。その……女装ウィーチューバー、だとか」
「う、うん……実はそうなんだ。別に隠していたわけじゃないんだけどね」
照れ臭そうにしつつも鞠華は肯定する。
彼にとって動画投稿の趣味はもはや生活の一部のように当たり前のものになっていたが、改めて声に出して言われると何とも言いがたい気恥ずかしさがこみ上げて来るのだった。
「アリスちゃんはさ、趣味とかってあるかな?」
「えっと……ショッピングとか、あと歴史小説を読むことでしょうか」
「うんうん。それでさ、できればレベッカさんの趣味のことも頭ごなしに否定しないで、どうか自分と置き換えて考えてみて欲しいんだ」
「置き換えて……ですか」
アリスは顎に手を当てて考え込みながら、寝室の壁際に置かれたデスクトップのPCを見やる。
電源の落とされた何の変哲もないパソコンではあったが、おそらくレベッカはこれを使って趣味である動画を視聴しているのだろう。よく見るとヘッドフォンやデスクチェアなどの周辺機器も、少しばかり高価なもので揃えられているようだった。
「確かに僕やレベッカさんの趣味は、あまり人に言えないようなモノなのかもしれない。だけど僕らにとってはさ、それがない人生なんて考えられないんだ」
「そ、そこまで言い切るんですね。流石ウィーチューバーといいますか……」
「まっ、僕みたいなのは極端な例だと思うけどね。でも僕の動画を見て『元気が出た』って言ってくれる人がいれば嬉しいし、コメントを見たら僕もつい顔をくしゃくしゃにして笑っちゃう。趣味とか娯楽って、そういう生きるために必要なエネルギーのことだと思うんだよね」
鞠華は語りながらも、幸せそうにはにかんでみせる。
それを見てアリスは、少し意外そうに目を丸くした。
「なんというか、逆佐さんもたまには格好良いいことを言うんですね……」
「そりゃ、ボクも一応お
「おにっ……!?」
軽い冗談を口にしたつもりだったが、言われた途端にアリスは顔を真っ赤に染めて鞠華をギョッと睨みつける。
鞠華としては『人生の先輩』的なニュアンスで言い放った“お兄さん”という言葉であったが、どうやらアリスは違う意味として受け取ってしまったらしい。また、鞠華も誤解されていることに気付くことなく、会話は進んでいく。
「(お
「え……えぇっ!? (お姉さんの趣味を)まだ認めてもらえてなかったの!?」
「当たり前です! そりゃ、確かにお姉ちゃんは逆佐さんに元気を貰っているのかもしれないですケド……やっぱり女装したお義兄さん(を姉のケッコン相手にするの)は流石にイヤです! なんか変態っぽいし……!」
「うーん、そっかぁ……。まあそうだよね、いきなり『(血の繋がったお姉ちゃんの極めて特殊な趣味を)受け容れろ』って言うのも酷な話だよねぇ……」
うんうんと頷きながら、一人で納得する鞠華。
彼は野良猫のように警戒心を剥き出しにするアリスへ向き合うと、あやすように柔らかく微笑みかけた。
「……じゃあ、ボクもアリスちゃんに頑張って認めてもらうしかないな」
「なっ……」
「ボクが君に認めてもらえるようになれば、レベッカさんのことも受け容れられるでしょ? それにできればアリスちゃんにも、もっとボクのことを知ってほしいからさ……アリスちゃん?」
「……カッコつける相手、間違えてます」
何故かうつむいたまま唇を震わせているアリスを見て、鞠華はわけがわからず首を傾げる。すかさず顔を覗き込もうとするも、アリスは目を合わせないようにそっぽを向いてしまった。
「耳が赤いけど、もしかしてまだ熱っぽい? ならはやく寝たほうが……」
「……シャラップです。ちょっと黙ってください」
胸の奥から込み上げてくるような熱い鼓動を感じつつも、アリスはつい本心とは裏腹に突き放すような言動をとってしまう。
正体不明のその感情を彼女が理解できるようになるには、まだ少しばかりの時間を要する必要があった。
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