Live.12『気になるアイツが気に入らない 〜HE'S REALLY ANNOYING!?〜』

 正午過ぎの学習塾。


「ありすー、今回はどうだった?」


 自習室で模試の自己採点をしていたアリスは、隣に座る活発そうな塾生の少女に声をかけられた。ちょうど採点を終えたところだったアリスはペンを置くと、気を許した微笑みを向ける。


「一応、志望校の安全圏には入ってそう……かな」

「うおーやっぱり! アリスは凄いなぁ、あたしなんてボーダーラインギリギリだったよぉ」


 がっくしと肩を落とす友人を見るなり、アリスは鞄のポケットから包装されたチョコレート菓子を一つ取り出して差し出す。


「まだ8月末なんだし、これから頑張れば大丈夫だって。ハイ、“きっと勝つ”」

「……うおおおおっ、ありがとぉ……! 普段はツンケンしてるけど時折ものすごく絶妙なタイミングでデレを見せるそんなアリスちゃんが大好きぃ……!」

「ちょ、抱きつくなしぃ……。自習室ココで食べてるのがバレたら怒られちゃうじゃない……」


 慌ててアリスが突き放すも、少女は悪びれずにニヤニヤとした笑顔を向ける。アリスの方も恥ずかしそうに視線を逸らすも、その表情はどこか満更でもなさそうだった。


「あたしももっと頑張らなきゃだね。だってアリスと同じ高校に行きたいもん」

「ちーちゃんならきっと大丈夫だよ。点数もちょっと前に比べたら、見違えるくらい上がってるし」

「えへへ……塾一番の優等生に言われると励みになりますなぁ。あたしもすぐに追いつくからさ、そしたら絶対二人で合格しようね!」

「う、うん。そうだね……」


 “合格”という言葉が引っかかり、つい空返事で応えてしまう。目の前の少女は相当やる気満々のようだが、実際に入試試験が行われるのはまだ5ヶ月も先の話であり、アリスからすればいまいち実感が湧かないというのが本音であった。


(このまま高校に進学して、大学に行って、会社に入って……それで本当にいいのかな……)


 それは、彼女が常日頃から抱いている悩みだった。

 将来への不安感……とは少し違う。用意されたレールの上を何も考えずに歩んでいる、そんな自分自身に対する問いかけだった。


(お姉ちゃんに高い塾代まで払ってもらって、私はこうして塾に通って受験勉強をしてる……でも、本当にでいいの? わかんない……)

 

 考えても答えは一向に見つからず、気ばかりが遠くなっていく。

 アリスが虚空を見つめていたそのとき、不意にこめかみのあたりが痺れるように痛み出した。

 意識が徐々にもうろうとし始め、左胸のあたりに異物感のような気持ちの悪い感触が広がり出す。むしのようにうごめくドス黒いもやが、全身から噴き出すかのようだった。


「アリス……? ちょ、どうしたの!? しっかりしてアリスっ──」


 少女の悲鳴が視界の外で聞こえ、地面に崩れ落ちる衝撃と共にアリスの意識はそこで途切れる。

 自分でも制御しきれぬほどの黒い感情は、やがて彼女を覆い尽くすまでに広がっていき──。



「まったく何なんですか、あの古川ふるかわ嵐馬らんまって人……!」


 “オズ・ワールトリテイリング”日本支社オフィス内にあるフルーツバー。そのテーブルに座す鞠華まりかは、もぎ取ったオレンジの皮を向きながら不満げに愚痴をこぼした。

 彼の向かい側に座るレベッカと百音もねは困ったように顔を見合わせると、不機嫌な鞠華を和らぐようにとりなす。


「まあまあ、マリカくん。嵐馬くんも別に悪意があって言ったわけじゃ……いや明らかにあったけども、根は決して悪い人じゃないのよ?」

「そうだよーマリカっち。融通は利かないし空気も読めないしいつも一言多いしぶつかっても謝らないし冗談も通じない上にすぐ怒るけど、悪い人じゃないよー?」

「最悪、いや極悪人じゃないですか……!」


 嵐馬という男のあまりにも乱暴な物言いを思い出し、鞠華はさらに苛立ちを募らせる。千切ったオレンジを口の中に投げ入れると、もぐもぐと頬張りながら悪態をつく。


「だいたい、モネさんもモネさんですよ。なんでああまで言われたのに平然としていられるんですか……」

「んー? だってあんなのいちいち気にしてたらオカマなんてやってられないじゃない?」

「そういうものですかね……」

「それに、彼からしたらマリカっちやあたしに嫌悪感を示すのも、当然といえば当然だもんねー」

「でも、いくら女装が嫌いだからって、何もあんな言い方しなくても……」

「ううん、違うよマリカっち。嵐馬くんはね、別に女装を嫌っているわけじゃないんだよ」

「えっ……?」


 鞠華が意外そうに聞き返すと、百音はまるで子供の自慢話をする親のように答える。


「彼ね、女形おやまを演じる歌舞伎かぶき役者なの。つまりは女装のプロってワケ」


 女形。歌舞伎において、女性の役を演じる男性役者を指す言葉だ。

 どうやら嵐馬という青年は歌舞伎宗家当代の息子であり、しかも8歳の頃にはすでに初お目見得デビューしていたほどの天才役者らしい。


 あまりにも突拍子もない事実を告げられた鞠華だったが、しかし不思議と合点がいく。確かに彼は言動こそ粗暴だったものの、その佇まいや細かい所作にはどこか“和”の伝統を感じさせるものがあった。


「じゃあ、ウィーチューバーの僕を素人アマチュア呼ばわりしてたのも……」

「うん。嵐馬くんって口はメチャクチャ悪いけど、仕事に対しては自分にも他人にも厳しいところがあるから。あくまで趣味として女装を楽しんでいるマリカっちを見て、きっとプロの役者として思うところがあったんだろうねぇ」


 まるで他人事のように客観的な見解を述べる百音をみて、鞠華はいぶしげな表情を浮かべる。


「僕のことは別にどう言われたって構わないですよ。でも、モネさんにまであんなにヒドいことを言うなんて、やっぱり僕はあの人を許せそうには……はふっ!?」


 喋ってる真っ最中に、皮を剥いたバナナが鞠華の小さな口へと強引に詰め込まれた。突然の事態に慌てふためいている鞠華を見て、バナナを入れた張本人である百音はいじわるそうな笑みを浮かべる。


「はいはーい、それ以上は暗いカオ禁止っ。ストレスを抱え込んでばっかりだと、ドレスが化けて出てきちゃうよーん♪」

「んっ……。どういう意味ですか、ソレ……」

 

 鞠華は口に入ったまるごとのバナナを噛んで飲み込むと、いまいち意味のわからない脅し文句の意味を訊ねた。

 マイペースに2本目のバナナを美味しそうに頬張りはじめた百音に代わり、レベッカがその質問に答える。


「マリカくん。私達の敵である“ドレス”がどこから来た存在なのかは覚えてる?」

「えっと……“虚無世界ヴォイド・ワールド”でしたよね」

「そう。本来それは現実世界こちらがわには干渉できない存在なのだけれど、ある条件が揃えば次元の転位が可能となるの」


 息を飲んで答えを待つ鞠華に対し、レベッカは神妙な面持ちで続ける。


「人の虚無感やストレス、そして絶望……それらはアウタードレスを構成する“ヴォイド”と極めて似た性質を持っていると言われているわ。奴らはそれを媒介として、“虚無世界あちらがわ”と現実世界こちらがわとを繋ぐゲートを切り開くの」


 『もっとも、数ある説の中でそれが有力と言われているだけなんだけどね』とレベッカは付け加える。実際のところ、ドレスが出現する原因や条件について確定的なことはまだよく判っていないとのことだった。


「人のストレスが原因であんな馬鹿デカい敵が現れるなんて、にわかには信じがたい話ですけど……」

「あら。これでもちゃんとした観測と統計に基づいた、信頼できる理論なのよ? 少なくともこの会社はそう断定して、社員がなるべくストレスを抱え込まないよう心掛けているの」


 そう言われて鞠華はようやく、このオフィスに過剰なまでの娯楽施設が用意されている理由に気付く。

 フルーツバーや足湯室といった企業らしからぬ部屋の数々は、どうやら社員のストレスフリーを実現させるべく突き詰めていった結果らしい。ウィルフリッドが口癖のように『我が社はすーぱーホワイト企業だヨ☆』と言っていた理由が、何となくわかったような気がした。


(その話が本当なら……。“アウタードレス”が現れた時っていうのはつまり、どこかに絶望している人がいるってことなんじゃないのか……?)


 レベッカの言い分からすると、おそらくそういうことになるだろう。もしそうだった場合、この会社は“ドレス”出現の媒介とされた人物を特定したりするのだろうか。

 “ドレス”を撃破すればその時点でストレスも自然消滅するのか?

 そうでないのなら、同じ人物が再びゲートを開いてしまう可能性もあり得るのではないだろうか?

 あるいは、拘束や隔離などの非人道的な手段を用いてを強引に防止しているのか──。


 つのるばかりの疑問をレベッカに投げかけようとした瞬間、突然オフィスの全域に警報音が鳴り響いた。


「この音、まさか……!」

「“アウタードレス”が顕現したんだわ……。百音さん、すぐに出撃の準備を……!」


 緊迫した表情でレベッカが言うと、百音は即座に“インナーフレーム”三機を格納した地下ハンガーに向けて駆け出す。鞠華もすぐに百音の背中を追おうとしたその時、携帯電話の通話を着信する音がレベッカのスーツポケットから流れ始めた。

 勤務中のレベッカは一瞬取るのを躊躇うが、業務連絡の可能性もあるのでスマートフォンを取り出すと通話に応じる。


「はい、カスタード………………えっ、うちの妹が……!?」


 不穏な気配を感じ取り、鞠華は恐る恐るレベッカのほうを振り返る。

 彼女は通話を切ると、思い詰めたような顔で会話の内容を話した。


「い、いま、塾の先生から連絡があったんだけれど、その、アリスが突然倒れたって……」

「アリスちゃんが……?」


 すでに運命の歯車は狂い始めているのだということを、この時の彼らはまだ知る由もなかった。

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