Live.10『ラッキースケベは止まれない 〜WHAT HAPPENS TWICE, HAPPENS THRICE〜』

 十数分ほどの協議の結果、客人である鞠華まりかはソファで寝ることに決定した。

 あくまでレベッカは自分のベッドを貸し与えるつもりでいたらしいが、それに妹のアリスが猛抗議したのである。彼女の目には鞠華が『急に家へと転がり込んできた女装趣味の変態オトコ』として映っているらしく、風呂場での一件もあり一方的に嫌悪の対象とされてしまっていた。

 そんな一悶着もあったまま、鞠華はあてがわれた温かい毛布に身を包めて、ただ知らない天井をぼんやりと見つめる。

 思い返せば、今日だけであまりにも色々なことが起こり過ぎた。


 愛媛から東京への大移動。

 お台場で出遭であった久留守紫苑くるすしおんという謎の少女。

 虚無世界ヴォイド・ワールドから来たる“アウタードレス”の侵攻。


 そして、“インナーフレーム”……。


 睡魔に誘われていた鞠華の思考はそこで途切れ、そのまま彼はまぶたの裏側の世界へと沈んでいった。小さな寝息を立てながら、赤子のように丸くなって深い眠りにつく。

 何かの夢を見た気がする──しかしてその内容をハッキリと思い出せないまま、鞠華は翌日の朝を迎えた。


──おねえ……ちゃん……。


「なんの寝言ですか……ささっ、早く起きてください。朝ですよ」


 毛布を勢いよく剥がされ、細く開いたまぶたに朝陽あさひが容赦なく射し込む。

 ソファから身を起こすと、学生服姿のアリスがジトーっと蔑むような半目でこちらを見下ろしていた。レベッカと同じ色の金髪は両側で結んでおり、髪型をツインテールにしている。


「おはよ、アリスちゃん……。あれ、土曜日だけど学校?」

「今日は模擬試験があるんです。私、受験生ですから」

「そっか、大変な時期だもんね……がんばってね」


 鞠華はエールを送ったつもりだったが、言われたアリスはなぜかそっぽを向いてしまった。何か気に触るようなことを言ってしまっただろうか。


「……まだ、認めたわけじゃありませんから」


 鞠華が声をかけようとしたタイミングで、アリスはこちらを振り返ると食い気味につぶやいた。

 小さな肩をぷるぷると震わせ、猫のような鋭い眼光で鞠華を睨んでいる。


「お姉ちゃんに歳下の彼氏ができたとか、私は絶対に認めませんからっ!」

「ちょ……ア、アリスちゃん!? 君はなにを……っ!?」

「だってそういうことですよね!? お姉ちゃんは頑なに否定してましたケド、今まで男の人を家に連れてくる事なんて一切合切いっさいがっさいありえませんでしたし!」

「一切合切ありえなかったの!?」

「そんなお姉ちゃんにもようやくいい御縁が巡って来たかと思えば、よりによって女装趣味のドスケベヘンタイ男ですか! もう選り好みしてられるような年齢じゃないことは重々承知していましたけど、まさかここまで特殊な人を連れてくるほど追い込まれていたなんて……!」


 ああ、これは……。

 昨日の今日だからなんとなく雰囲気や気配でわかる。

 どうやら鞠華は、またあらぬ誤解をかけられてしまっているらしい。


「ま、待ってアリスちゃん。一旦クールダウンしよう。僕とまちゃぷ……レベッカさんは決してそんな関係ではなくてだね……ていうかそもそも僕はヘンタイじゃないよぉ!?」

「今更そんなことを言っても説得力皆無ですし! それに昨日はあ、あああっあんなモノまで触らせておいて……! 不潔です、近寄らないでください!」

「なっ、大体アレはキミの方から……!」

「シャラップです!! 責任とれHENTAIヘンタイ!!」


 鞠華は必死に弁明しようとするも、アリスは聞く耳を持たないといった様子で罵詈雑言をぶつけてくる。昨日の脳筋男ゼスランマのアクターといい、もしかして東京はこんな人ばかりなのだろうか。

 ありもしない危惧を鞠華が抱きかけていたとき──、


「ふあぁ……おはよアリス。今朝は早いんだねぇ……」


 廊下とリビングを隔てたドアが開け放たれ、そこから眠たげに目をこすっているレベッカが欠伸あくびをしながら現れた。

 彼女の登場により、場の空気が一瞬にして凍りつく。鞠華とアリスが口を開けたまま硬直しているのにも気付かぬまま、まだ寝ぼけているレベッカは呑気な様子で部屋へと入ってくる。


「そっか、今日は模試の日かぁ……。お昼代はいるんだっけ……?」

「ううん、お昼過ぎくらいには終わるから大丈夫……そんなことよりお姉ちゃん、服着て! 服……!」

「ふくぅ……?」


 ゆっくりと、レベッカは自分の体へと視線を落とす。

 次の瞬間、それまで彼女にまとわりついていた睡魔が一気に吹き飛び、半開きだった瞳が大きく見開かれた。

 白いぱんつ。暴力的なまでにグラマラスな体躯を包んでいる衣服は、なんとたったそれだけだったのである。

 普段は姉妹で二人暮らしをしているのでだらしない格好でも然程問題はないのだが、今は客人で男性の鞠華が目の前にいる。そして当の彼は裸同然のレベッカを前にして、衝撃のあまり立ち尽くしたまま鼻から血を流していた。


「はう……!? ごっごめんなさい、いつものクセでつい……!」

「い、いつも……?」


 まさか毎晩パンイチで過ごしているということだろうか。

 このスーツがよく似合う女性は、家だと案外ズボラなのかもしれない。そんなことを鞠華が考えていると、いつの間にか真正面にアリスの握り拳が迫ってきていた。


「ウチの姉で変な想像……するなぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

「テラ理不尽ンッ!?」


 このとき逆佐鞠華は人生で初めて、同じ女性から二日連続でグーパンを喰らうという快挙を成し遂げた。


✴︎


 横浜市港北区・マンション内駐車場。


「それじゃ、行きましょうか……顔、本当に大丈夫?」


 小型乗用車のハンドルを握るレベッカは、助手席に座る鞠華へと気遣わしげな視線を投げかけた。鞠華はシートベルトをしっかりと締めていることを確認しつつも、遠慮がちな愛想笑いを浮かべる。


「あはは、なかなか良いパンチでしたねー」

「うちの妹がゴメンね?あとで絶対にちゃんと謝らせるから……!」


 ちなみに話題に挙げられたアリスは、鞠華に殴りかかった後そそくさと家を出て行ってしまった。鞠華としては一刻も早く誤解を解きたかったのだが、模試が早い時間から始まってしまうらしいので無理に引き止めることもできなかったのだ。


「いえいえ、本当に大丈夫ですから。むしろ、あそこまでレベッカさんが妹に慕われているのを見て、ちょっと羨ましいなって思ったくらいだったり……」


 決して冗談でも皮肉の類でもなく、素直な感想だった。

 それを聞いてレベッカは安堵したような笑みを浮かべると、アクセルを踏んでゆっくりと車両を発進させる。まだ朝を迎えたばかりの街並みが、ゆったりと車窓の外を流れていった。

 目的地は彼女の職場。すなわち、昨晩にも訪れた“オズ・ワールドリテイリング”の日本支社オフィスである。


「いつも車で通勤を?」

「うん。家からすぐ近くだからね、電車よりもこっちのほうが都合がよかったの」


 レベッカの言うように、横浜のオフィス街は住宅地の目と鼻の先にある。時間帯もあってか都会にしては比較的交通量も少なく、快適に車は目的地へと向かいつつあった。


「……実はね。アリスと二人暮らしを始めてから、かれこれ10年くらいになるんだ」


 レベッカから意外な事実を告げられ、鞠華は思わず息を飲んだ。

 てっきり鞠華はアリスが日本の学校に通うために姉の家へと下宿しているのかと思っていたが、そういうわけではなかったらしい。そもそも彼女は受験生であり、まだ中学生である。

 断片的な情報から答えに至った鞠華は、表情を曇らせながらそっと訊ねる。


「10年前……もしかして、“東京ディザスター”ですか……?」


 本当であれば、当事者かもしれない人物にこんな聞き方をするのはあまり好ましくないということは鞠華とて理解していた。しかしレベッカは控えめに笑って応える。


「ええ、そう。当時私や私の家族は東京にいたのだけれど、それであの災害が起こって……私とアリスは無事だったけど、両親はその時に、ね」


 なぜ外国人である彼女が一家揃って東京に来ていたのかという理由には、なんとなく見当がつく。

 10年前……2020年に東京で開催されようとしていた世界最大規模のスポーツイベント。多くの訪日客が訪れているタイミングで不幸にも“災厄”は発生してしまい、当然ながらイベントも中止に追いやられてしまったのだ。

 レベッカの家族も、きっと大勢いた観光客のうちに含まれていたのだろう。


「色々と大変だったんですね……。十年も前って言ったら、レベッカさんもまだ……」

「うん、その時はまだ学生だったからね。だからアルバイトを何個も掛け持ちして、アリスを養うので必死だったなぁ」


 昔を懐かしむようにレベッカは語っているが、彼女は現に今だって妹の学費や生活費を稼ぐために女手一つで仕事をしている。なかなか真似できるものではないと、鞠華は思った。


「アリスちゃんが何だか羨ましいな。こんなに素敵なお姉さんに愛されていて」

「す、素敵だなんて、そんなことないよ……? 全然モテないし、すぐ失敗するし、インドア趣味のつまらない女って思われてそうだし……」

「そんなに卑下しなくても……」


 アリスも心配していたようだが、どうやらレベッカという女性は相当に出逢い運というものがないらしい。彼女の正確な年齢は把握していない鞠華であったが、既に何かを諦めたような哀しい瞳から何となく察しがついてしまう。


「そ、それを言ったら僕だって超インドア派ですよ。外に出るくらいなら家でWeTube見てた方が楽しいですし! だから自信持ってください!」

「ウィーチューバーが言うと凄い説得力がある! そうよね……女装男子の動画を見るのが趣味で何が悪いんじゃっーて話よね……! ありがとね、マリカきゅんのおかげで少し自信がもてた気がする!」

(ぽ、ポジティブだなぁ……)

 

 とはいえ、趣味に生きるのも別に悪いことではないだろう。娯楽があるからこそ普段のストレスに耐えられるという人も多いだろうし、それを押し殺してまで生きるくらいなら死んだほうがマシだ。少なくとも鞠華はそう思っていた。


「ああでも、できればアリスにだけは私の趣味を言わないで欲しいの……! マリカくんにこんなことを言うのもファンとして大変はばかられるのだけども……!」

「お構いなく、オタクのTPOはちゃんと弁えてるつもりですし。まあ、家族に『こんな動画を見てる』なんて普通言えないですもんね……わかりますとも」

「ごめんね。でも、アリスの前でだけは立派な姉でありたいから……もし私の趣味がバレたら、“一緒に死ぬ”か“妹もこの道に引きずり込む”しかないわ……!」

(そんな極端な二択でいいの……!?)


 そんな他愛もない話を続けていること、約二十分ほど。

 ふと窓の外を見ると、ちょうど車が広大な“オズ・ワールドリテイリング日本支社”の敷地内へと入っていくところだった。


「さあ、着いたわよ」


 地下駐車場に車を止めると、レベッカはそう言って車を降りる。

 鞠華も彼女の背中を追いかけて、オフィスの中へと入っていった。

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