ゼスマリカ起動編
Live.01『ツイてるあのコが着きました 〜IN TOKYO〜』
“
不安に駆られてつい何度か確認してしまったが、頭上にある駅名標にはゴシック体フォントで太くハッキリとそう記されている。つまり、自分がいま現在ぽつりと立ち尽くしているこの場所は、間違いなく、紛れもなく、どうしようもないほどに“東京駅”の“駅構内”ということだ。
土地勘など微塵もなければ、右も左もまるでわからない。腹の奥からぐいぐいと込み上げてくるプレッシャーにも似た鼓動を感じながら、駅名標を仰ぐ少年は、
(もう、引き返せない……)
そう胸中で呟くのだった。
少年──と呼ぶには、少し繊細で華奢な少女のような体躯。人目を避けるように真っ黒なパーカーのフードを深く被ってはいるが、その隙間からは切りそろえた艶のある焦げ茶色の前髪と、やや眠たげだがつぶらな瞳がわずかに覗けている。
愛媛から新幹線に揺られること7時間。東京に来るのは決してこれが人生初というわけではなかったが、それでもたった一人でこれだけの長旅をしたのは初めての経験であった。
「交通インフラの整備されたこのご時世。『金とちょっとの勇気さえあればどんな遠くにもあっという間に行ける』って言うけど、アレ本当だったんだなぁ……」
そんな当たり前のようなことをわざわざ声に出して呟かなければ平静を保てないくらい、彼は周囲を行き交う人の群れに圧倒されてしまっていた。
何も別に人里離れた田舎で暮らしていたわけではない。地方とはいえ実家があるのは市内の方であり、人混みに対する免疫もそれなりにあるほうだ。
……そう思っていたのだが、やはり東京は一味違うのだということを思い知らされてしまった。人の量もそうだが、それ以上に道行く人々の“視線の質”が違っているような気がしてならなかったのだ。
ここにいる誰もが自分には目もくれず、その存在にも興味を示さない。
過剰な自意識と承認欲求から来る思い込みだとわかってはいても、そういった感傷をまだ上手くコントロールできないくらいには、彼もまた何の変哲もない思春期の若者だった。
まるで世界そのものに見放されてしまったような虚栄感に浸りながら、少年は服のポケットからおもむろにスマートフォンを取り出す。半ば無意識で手に取ったそれを起動させると、小慣れた動作でSNSアプリのアイコンを指で弾いた。
表示されたのは、黒尽くめの少年とは対をなすように華々しい彩色に彩られたマイページ。
サムネイルには可憐な外見の少女──より正確に言えば、少女のような顔立ちと服装をした人物──の自画像が写っており、満点の笑顔で顎にピースサインを作っている。名前の下に記されたフォロワー数は10万人に達しており、これは客観的にみても“芸能人には及ばないものの一部のネット界隈ではそれなりに名の知れたそこそこの有名人”であることを統計として端的に示していた。
アカウント名は『MARiKA(マリカ)』。プロフィール欄の冒頭には“
(そうだ……ボクの存在を認めてくれる人は
ニヤリ、とフードの奥で人知れず不敵に頬を吊り上げる。
自ら保護色を身にまとって無個性に徹する少年。そんな彼が内に秘めたもう一つの顔こそが、カリスマ的人気を誇る動画投稿者“
(ボクは絶対に
学業、スポーツ、芸術、容姿……どれをとっても秀でた才能を持たなかった平凡な少年がほんの些細な思いつきで始めた“女装”という趣味は、いつしか彼の中で大きな割合を占める
「『東京ついたよー(๑>◡<๑)』っと……」
空欄に短い文章を打ち込み、送信ボタンを押す。
これでしばらく放置しておけば、30分も経たないうちにファンの人達からのリプライが来るだろう。
それだけ、自分は他者に愛されているのだから。
「……よし!」
ようやく決意の固を固めた少年──
これから待ち受けている壮絶な運命を、彼はまだ知る由もなかった──。
*
同刻。東京駅構内。
「──
《わかった。引き続き監視を続行せよ。こちらの指示があるまで接触はしないでくれたまえ》
「
そう短く告げて無線機での会話を打ち切ると、レディーススーツ姿の女性は眼前に広げていた雑誌を畳んでカバンの中へと仕舞った。
ぱっちりと見開かれた碧眼、ふわりとしたミディアムボブの金髪、そして抜けるような白い肌はどう見てもヨーロッパ系人種のそれであったが、彼女の口から出ていたのは流暢な日本語である。
名前はレベッカ=カスタード。
東京の某大学を首席を卒業し、現在は大手企業の社長秘書という地位にまで上り詰めた生粋のエリート。
彼女はかけている赤縁のメガネをくいっと押し上げると、喫茶店の窓がよく見える席からスッと立ち上がった。
(女装ウィーチューバー“
窓越しに離れていく黒いパーカーの少年を見つめながら、レベッカは唇に人差し指を当ててつぶやく。
「ちょっといいかも……」
周囲に聞き取られないほどの小声だったとはいえ、無意識のうちにとんでもない発言をしてしまったことに数コンマ遅れて気付いた。羞恥心のあまり顔を真っ赤に沸騰させながら、レベッカはその場でクネクネと暴れ始める。
(って、公私混同はダメダメ絶対! あくまで今は仕事としてあの子を追ってるんだから! そうよ、これは尾行であってストーキングでは断じてなくてぇ……あーもー何考えてんのよ馬鹿レベッカ! いくら私がア、アラサーで独身だからって、さすがに10つ近く歳下のあの子はナシナシ! だいたい結婚とか彼氏いない歴
錯乱しつつも席を離れようとした途端、椅子に足を引っ掛けたレベッカは盛大にすっ転んでしまった。
顔面から床へと勢いよくダイブ。ごつーん、と鈍い音が響き、店内に居合わせた客達もざわつき始める。
なるべく人目を避けねばならないスニーキング中だというのにこの状態は非常にまずい。
「痛っつつ……私の本体、じゃなくてメガネメガネ……」
「大丈夫ですか、お客様? 眼鏡でしたらこちらに」
「あ、ありがとうございます。店員さぁん……」
四つん這いになりながらも、レベッカは拾ってもらった赤縁眼鏡を再び装着する。幸いレンズにヒビ等は入っていなかった。
店員に手を貸してもらい、なんとか立ち上がる。そして辺りを見回してみたが、その時すでに
(もしかして私、さっそく見失っちゃった……っ!?)
任務失敗の漢字四文字が脳内でチラつき、顔面を蒼白とさせたレベッカは慌てて喫茶店を飛び出す。
(もはや説明するまでもないが)輝かしい経歴を持つ彼女の実態は、ここぞという時に壮絶な天然ボケをかますポンコツであった。
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