第14話 劉永明        


「よもや斯様かような形にて、幽州ゆうしゅうに見えようとは。戦の景色、その模糊もこたるを実感しております」

「済まぬな、阿弘あこう。これも乱世の習いよ」

 鄴都ぎょうと宮城、謁見えっけんの間にて向かい合うは祁弘きこうと、王浚おうしゅん

 片や総身を桎梏しっこくにていましめられ、片や甲冑を身に纏い、対手たいしゅを見下ろす。

 王弥おうびの調略が鮮卑せんぴらのみならず、王浚にまで向けられていた。目を疑いました。

 居てはならぬ筈の男が居る。

 また同じ王姓と申せど、王弥と王浚に係累けいるいはありません。いかなる折衝がなされたのか、後に王弥に問えど、王弥は薄く笑うばかりでした。

 王浚はきびすを返すと、壇上に立つ劉聡りゅうそう様に向け、優美なる一礼を呈しました。

漢王かんおう世子せいしりゅう車騎しゃき愚臣ぐしん投身の受諾じゅだくに、欣喜きんき恐縮きょうしゅくとを負いつつ、謝辞しゃじ言上ごんじょう致す。自ら衰亡の途を辿るしんへ、旧臣のせめてもの礼として、末期まつごけんずべく専心して参る」

 仰々しくも、決して礼に適った言い回しでは、ない。頭は垂れつつも、内心で劉聡様、ひいては漢朝を軽んずるが在り在りと見て取れました。

「大儀である。朝敵をちゅうし、天下に漢の在るを、けい戈矛かぼうを以てせんぜよ」

 王浚の底意に気付かぬ劉聡様ではありませんでしたでしょう。なれど、振る舞いによっては幽州より馳せ参じた鮮卑兵らが牙を剥く事も有り得ます。返答は、飽くまで穏当なものとならざるを得ませんでした。

 祁弘の隣、同じく桎梏に縛められた小男が、咬まされた猿轡さるぐつわの奥にて、何事かをわめきます。

 小男は、騰司とうしでした。

 王弥らの出現により、大いに揺らいだ祁弘軍。漢の三軍は機を逃さず晋軍を割り、見事祁弘を捕らえた。お三方の手腕に、改めて驚嘆致しました。

 主将が落ちたとは申せど、鄴の常駐には、未だ少なからぬ士卒がおりました。しかし祁弘の敗北を聞くや、騰司は配下を捨て、単身逃亡を試みた。無論、世龍殿がそれを見逃すはずもございませんでしたね。

 大将が見せた無様な振る舞いに、戦意を喪ったのでしょう。鄴城の門は、戦い無しで開かれました。攻城戦の備えが全て不要となったは、僥倖ぎょうこうであった、と申せましょう。何せ鄴城の堅牢たること、決して長安ちょうあんにも、洛陽らくようにも引けを取りません。仮に抵抗あらば、いかほどの時と犠牲が必要となった事でしょう。

 縛められながらも泰然と坐す祁弘、士卒に押さえつけられ、口を塞がれながらも藻掻もがく騰司。どちらが主で、どちらが属なのか。解ったものではありません。

「晋の猿はやかましいな。早々に煮るか」

 劉聡様の、薄刃はくじんのごときひと言。騰司が強ばり、うなだれます。

 謁見の間、上座に立つは劉聡様。都督ととくとして全軍を統べた王弥ではありましたが、論功ろんこうの場においては「面倒くせえ、お前がやれ」と、飽くまで劉聡様の右に立ちました。そして劉聡様の左には、孤人。

 王浚は拱手きょうしゅの後、群臣の列に加わりました。

 鄴が降伏したといえど、城内にはいかなる火種が残るとも知れません。謁見の間に集うは、ほぼ文官ばかり。主だった将兵は、世龍様にも携わって頂きましたとおり、鄴城内の検分、場外の警護に当たって頂いておりました。

「さて、両名の処遇、いかしたものかな」

 劉聡様は群臣を見渡されました。

 騰司に関しては、論ずるにも値しませんでした。長く漢をわずらわわせた怨敵おんてきでありつつも、いざ刃を合わせれば、およそ将にそぐわぬ振る舞いを呈した。抱え込むに、およそ意義を感じません。

 問題は、祁弘でした。猛将として大いに漢を脅かしては参りましたが、将兵らよりの信があつく、その武を取り込むが叶わば、漢軍は更なる高みへと辿り着きましょう。

 なれど、漢軍は多くの輩を、他ならぬ祁弘によって葬られております。その一身に浴びたる憎悪は、果たして武功に釣り合いますものやら。議論は、紛糾ふんきゅうの装いを呈しつつありました。

 と、謁見の間の扉が不意に開け放たれました。

「なんだ、まだちんたらたわむれてたのか」

 姿を見せるは、白髪に灼眼しゃくがん偉丈夫いじょうぶ

 劉曜りゅうよう様です。

 甲冑かっちゅうに、筒袖とうしゅうに、見るも新しき血糊をつけたまま。その後ろには幾人もの士卒らを率いておりました。

 室内が、賊もかくや、と言う劉曜様の闖入ちんにゅうにざわめきました。

永明えいめい、場をわきまえよ」

「弁える? それは俺の台詞だ、兄上」

 劉曜様が合図を出すと、その後ろより飛び出す壮士が、二人。

 彼らは、迷わずに騰司と、祁弘を斬り捨てました。

 噴き出す血に、床が濡れる。

 集う者らの悲鳴が上がりました。

 だん、と劉聡様が強く踏み出されます。

「永明! 血迷ったか!」

 過日、孤人を前に気色ばんだ劉曜様を、劉聡様が怒気にて圧せしめた事がありました。かの折の劉聡様は、往時とは比べものにならぬほどの圧を以て、劉曜様を指弾なされた。

 なれど劉聡様の将器が育まれておるのならば、劉曜様もまた将器を育んでおります。劉聡様の怒気を前に、劉曜様が引くことはありませんでした。

「それもこちらの台詞だ、兄上! いまだ各地に晋賊が跋扈ばっこする中、いつまで落とした城、倒した敵にかかずらっておられる! 我らに課せられたは、より速やかに、より多くを殺し、晋を滅ぼすことではなかったか! ならば次を見据え、後顧こうこの憂いを断つをこそが上策であろう!」

「――後顧だと? 貴様、まさか」

 謁見の間の隣には、屋上に通ずる階段がございました。高所より、鄴の町並みを一望することが叶います。

 劉聡様の後を追い、孤人を含めた何人かが屋上に向かいました。途中から、様々な物の焼け焦げた匂いが、鼻をくようになります。

 外に出れば、立ち尽くす劉聡様と、その向こう、至る所より立ち上る黒煙が認められました。

「やってくれたな、永明……!」

 この日鄴では、万に上る殺戮がなされたと、後に報告を得ております。


 間もなく離石りせきより、劉聡様、劉曜様、孤人は召喚を受けました。

 王浚は慕容ぼように備えるべく幽州へ帰還。

 王弥と世龍殿は鄴に駐屯でしたね。

 ここに、張賓殿も携わっておられたのですか。

 では、劉曜様のなした行いが、お二方を結び付けた、と言う訳なのですね。人と人との繋がりは、何とも奇なるものです。

「永明。改めて問おう、何故鄴にて無法を働いた」

 縛られこそせぬものの、武装は全て解かれ、玉座の正面にて土下座の体でいる劉曜様。

 報せを聞き、元海げんかい様は大怒なされた、とのことではありました。なれど孤人らが到着した折には、恐らく怒り疲れてしまったのでしょう。悄然しょうぜんたる面持ちであらせられました。

おそれながらこの永明、無法とは思っておりませぬ」

「ほう?」

 床に額をつけたまま、劉曜様が隣に立つ孤人に目配せをなさりました。訴え出たい、とのことでしょう。劉曜様に代わり、孤人が元海様に目線を配しました。

 元海様が、大きく嘆ぜられます。

奏上そうじょうを許そう。おもてを上げよ」

「は」

 顔を上げ、居住まいを正し。劉曜様は、大きく息を吸われました。

漢楚かんそ争乱の折、我らが太祖たいそ高帝こうていは、はじめ項籍こうせきよりの敗績はいせきこうむること甚だしく、鴻門こうもんに至りてはその命数みょうすうすべからく項籍の掌上しょうじょうに在ったと申せましょう。彼の地にて項籍が高帝をしいさずに置いたが故に、籍は垓下がいかにて楚歌そかを耳しております。高皇のわざわいぐるも、大いに勝するも、共に我等にはよみすべき事。なればこそ我等は、籍のてつをこそ踏まぬが求められましょう。鄴都陥落せりと申せど、大漢を周する賊が尽きたわけではありませぬ。寧ろ鄴を得たことによりせいえんじょ各州の賊の姦寇かんこうを蒙る恐れを得た、とすら申せます。晋賊を打ち払うには洛陽、長安を落とさねばなりませぬが、二都を攻めるに当たり、我等は常に鄴に背を見せねばなりませぬ。守将を置けば良い、それも然りでありましょう。なれど晋賊の衆たるや雲霞うんかのごとし。数に劣る我等漢軍は、いかにして後顧の憂いを断ち得ましょう。賊軍の軍旅に糧秣りょうまつの給しうるを妨ぐが上策と申せます。ともなれば、冀州きしゅうはひととき荒土に帰すべきなのです」

 一切のよどみなく、朗々と、劉曜様は論ぜられました。

 なれど論は、語気を強め、更に続くのでした。

「敢えて頓首とんしゅし、申し上げる! 王の覇業、甘い、と申し上げざるを得ぬ! 覇たるの徳行とは何程なにほどか! せい桓公かんこうは覇者でありながら、何故玉体ぎょくたいを朽ちさしめた! 徳行にもとしん嬴政えいせいは、何故皇帝の号を称し得た! 高皇こうこう聖徳しょうとくまったきなれば、基より臣下に叛心はんしんの芽生える由はあろうか! 然るにかんほうえいは何の故に誅さるるや! そも火徳かとくの至りたるが真なれば、王莽おうもう曹丕そうひの凶逆も起こりえぬ! 覇はつねに武と共にあり! 武、即ち殺! まつろわぬ晋賊に示すべきは徳ではない、殺である! 殺した先に徳を示されるのならば、それもまたよろしかろう!」

 気炎を吐く、とはまさにこの折の劉曜様にこそふさわしい言葉でありました。一通りを言い切られた後、再び額を床に打ち付けられます。

「――言いたいことは言えたか、永明」

「一句の残余もなく」

「そうか。ならば余からも申し渡そう。卿が殺したが皆晋の士卒であれば、それも止む無きことであろう。なれど、卿は刃もたぬ細民さいみんをも多く殺した。正しき主に巡り合えなかったことを、卿は罪と申すか?」

 劉曜様は、言葉を返しません。

 言葉が見出せなかった、のではありますまい。おそらく、互いの見据える先が余りにも違っているのだ、と、察せられたのです。

滅晋めっしんは、卿には過ぎた刃であったようだ。平虜へいりょ将軍へと降号、三月の蟄居ちっきょを言い渡す。覇業は殺すのみにあらず。民を救い、初めてなし得るものである。この言葉の意味、噛み締め置くように」

 宣ぜられると、元海様は立ち、謁見の間を辞されようとなさいました。

 そこへ、

「まつろわぬ民など、殺し尽せばよかろうに」

 斯く、劉曜様が、呟かれた。

 振り返る元海様の面持ちが、激憤に染まっていたのがわかりました。

 それが間を置かず、苦悶に変わる。


 ――元海様がお倒れになったことは、到底隠し得るものではありませんでした。

 慕容が、越司が。党をなしての逆撃により、瞬く間に、漢は未曽有の危地に陥った。呼延翼様をはじめとし、多くの将が命を落とされました。

 斯様な危地が、却って世龍殿の勇躍に利したとは――全く、あまりの皮肉に、もはや孤人も笑う以外の評を思いつきません。

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