第11話 宴席         

「で、どうすんだ?」

 開口一番、王弥おうびが一同を見回します。

 かん王の私的な会食の場、と言う名目です。上座に元海げんかい様が着座こそなされるものの、八名が車座くるまざとなって料理、酒を取り囲みます。

 元海様の両隣には孤人こじん呼延翼こえんよく様。孤人の隣に劉聡りゅうそう様、呼延翼様の隣に劉曜りゅうよう様。王弥は元海様の対面に付き、両側には部将の曹嶷そうぎょく、参謀の張嵩ちょうこうはべっておりました。

「北の騰司とうし王浚おうりょう、西の涼州りょうしゅうを治める張軌ちょうきは守りの一手の装いだが、いつ動くとも限らん。南西では摸司もし氐羌ていきょうがよしみを通じ、また南に越司えつし、南東は睿司えいし王導おうどう。全く、見事な蓋だ。とりあえずどこかに風穴を開けねばやっておれん。さあ漢王、どこから手をつける?」

「下らぬ韜晦とうかいを申すな」

 呼延翼様が、若干の苛立ちを隠さぬままに言葉を繰り出しました。

「どの方面も到底おろそかには出来ぬ。故にこそ、其方には騰司攻略の大役が任ぜられておるのだ。よもや今更策無し、などとは抜かすまいな」

「怖えぇよ爺さん」と、全く怯える素振りも見せず、王弥はうそぶきます。

「言われなくとも、騰司については動いてるさ。だがな、こっちがお仕事してる合間に鍋の底が抜け落ちました、とかご勘弁願いてえんだよ。何も、細かい方策を聞こうってんじゃねえ。この大いなる漢の覇業、どう完遂なさるお積もりか。その道筋くらいは聞いたところで減りゃしねえだろう」

 呼延翼様だけではありません。劉曜様の顔つきにも苛立ちがありました。劉聡様は泰然となさっておられる風でありましたが、やはり、やや、固い。

 対する曹嶷、張嵩は、共に王弥の元で修羅場を潜り抜けてきた強者。 瞬く間に張り詰めた場をいつでも破れるよう、薄ら笑いの向こうに、険気を匿するのでした。

「元達」

「は」

 苦笑なされた元海様の、ただの一言。

 やはりのこの手の役回りなのだ、と、孤人は内心にて盛大なる嘆息を漏らすのでした。

喫緊きっきんに於いては、摸司、越司、睿司の三者は捨て置き得る」

 ここで言葉を切り、耳目を集めます。

「過日、益州えきしゅうにて巴氐はてい李雄りゆうが晋軍を排除、帝位を僭称した、とのこと。彼の者を捨て置けば晋室にとりても大いなる災いとなろう。故に摸司は、寧ろ李雄に目を光らせねばならぬ。次に睿司と王導は、いまだ呉越ごえつばんの寧撫に奔走している。その業をなし得れば脅威足り得ようが、一朝一夕では済むまい。最後に越司、この三者の中でもっとも警戒せねばならぬのは間違いがないが、どうにも奴は今、晋帝との連携に齟齬そごを来しておるようだ。辺縁の動きが、いささか鈍い。ならば今は、この三者については最低限の守りで良い、と見る。無論油断など出来たものではないが」

 ほう、とひとしきりの関心を示した後、王弥がぐいと上体を孤人に傾けました。

「後回しにして、それで後々面倒なことにはならねえのか?」

「ならば逆に問うが、両面りょうめん摩滅まめつの末の滅亡が、貴様の望む趨勢すうせいか? 騰司はまさしく後顧こうこの憂い。ここを除かずして越司と向き合わば、延々と限られた士卒らを損耗し続けよう」

 激することなく、ただ、断じる。

 いかに迷わず、投ずべきに投じ、殺すべきを殺すのか。王弥とて、手立てに絶対がある、とは思ってもおりませんでしたでしょう。求められるは、率いる者の断固たる不退転。すべきである、せねばならぬ、などと言った迂遠うえんな物言いでは、到底間に合わぬのです。

 しばし孤人と見合った後、王弥の目は元海様へと転じました。元海様からの付言は、ありませんでした。

 わずかに、王弥の口端が持ち上がります。

「速やかに騰司をて、って訳だな。無茶言いやがる」

 戯れ言めかした物言いにより、触れなば裂けんばかりであった場の気が和らぐのでした。孤人の隣で劉聡様が静かに、しかし大きく息を吐かれました。

「きみが無茶に付き合うとは、毛頭思えんがな」

 元海様が仰ると、「この野郎」と王弥は手元の酒杯を乾します。

「まぁ、速やかに、はこっちも願ったりだ。決めるなら手早くやらにゃならん。どのみち祁弘きこうに大きな綻びは望めねえ。強引に口を開け、そこに楔を手早く打ち込むしかねえ」

 王弥の言葉を、孤人が受けます。

鮮卑せんぴか」

「ああ。知っての通り、俺は祁弘に散々に追い立てられた。もちろんただ追い立てられたわけじゃねえ。こっちの手の者をじわじわと植え込んで行った。ただし、そいつらには手前以外に誰が入り込んでんのかは教えてねえが」

 こともなげに言い切る王弥。孤人の背に寒気が走りました。

 潜り込ませた間者は、陣中で誰が味方かも分からぬまま日々を過ごすことになるのです。事が洩れたところで、殺されるのは自分ただひとり。また騰司側に寝返ってみたところで、露見すれば結局王弥の手の者に殺されることになるのでしょう。

 間者を送り込むというのは、斯様なことなのでしょう。しかしながら、長らく宮中深くにおり、兵法とは縁遠きところにおりました孤人では、王弥の手口、その人命の甚だ軽き扱いが、どうにも易々とは受け容れられずにおりました。

「祁弘のいまの強さは宇文うぶんだん烏丸うがん諸部の騎兵にある。一方北の外れでは鮮卑慕容ぼよう部が力をつけてきている。奴らの南下は避けられん。そこで、対慕容の協力を餌に、宇文らの本体をこちらに寝返らせる。ともなれば、祁弘の指揮下にある鮮卑どもも、祁弘に従う理由を失う」

「随分易々と言い切るではないか。成算は立っておるのか?」

 呼延翼様が、さながら遠雷のごとき声色で疑義を投げつけられました。

「なきゃ言わねえよ、こんな事。ただな、爺さん。さっきも言ったが、こんだけやって祁弘に開けられんのは、ようやく針のひと穴だ。鮮卑なんざ率いてなくとも、元々奴は強ええ。鮮卑らを調略したところで、すぐに立て直してくるだろう。だから、穴を開けた側からこっちの軍をねじ込み、一気に決めにゃならん。早すぎても、遅すぎても失敗する」

「ほう」呼延翼様が腕組みします。

「その方でなくばできぬ、とでも言わんばかりではないか」

「ああ、無理だろうな」

 即座に切り返す王弥に、呼延翼様がむぐ、と言葉を詰まらせました。

 元海様が苦笑致します。

阿豹あひょう、そう舅御しゅうとごをいじめてくれるな。私と元達げんたつ、それときみの侍従以外、きみを知らんのだ」

「おいおい、問いに答えただけだぜ。心外だな」

「仕方あるまい、きみの答は鋭すぎるのだ」

 侍従に告げ、王弥の杯に改めて酒を注がせます。普段は酒をたしなまれぬ元海様でありますが、敢えて王弥のひと飲みに合わせ、ご自身も杯をお傾けになりました。

「それで、阿豹。私からは、何をすれば良い?」

「金。それと、速ええ奴を貸してくれ。鮮卑どもを落とすにゃ、どうしても先立つもんが要る。いざ落としました、って段に到って、鄴をぶっ叩ける奴がいねえんじゃ世話もねえ。祁弘の僅隙きんげきあやまたず撃てる位に、速ええ奴が要る」

「なるほど」

 元海様が、暫し黙考致します。

「ならば、玄明げんめい永明えいめいを貸そう。また監軍かんぐんに元達をつける」

 この提言に、孤人らは大いに驚いたものでした。

 玄明は劉聡様の、永明は劉曜様のあざなです。即ち元海様は、帰順して間もない外様に過ぎぬ者に、迷わず大権をお預けになったのでした。

「父上!?」

 さしもの劉聡様も、この発言には恐慌を禁じ得ませんでした。やおら立ち上がり、元海様をにらみ付けられます。暫し目を合わせた後、劉聡様は劉曜様に目を転ぜられます。

「永明、そなたからも何かないのか! いくら父上と言えど、無謀にも程がある!」

 なれど、当の劉曜様は寧ろ愉快きわまりない、と言った面持ちでおりました。

 王弥と呼延翼様とのやり取りが交わされていた折、始めこそ王弥への敵愾心てきがいしんを隠し切れずにいた劉曜様でありましたが、王弥の切り返しを聞くにつけ、感心の容色ようしょくを示しておりました。果てには王弥の発言に、愉快そうに頷く始末。

「兄上、落ち着かれよ。我らが属し、また監軍には元達ぞ。仮に王弥に異心いしんあらば、我らの手でちゅうせば良い」

 劉曜様の言葉を受け、納得したわけでもありますまい。が、ともあれ劉聡様は着座なされました。

「元海。言ってくれるな、貴様の養子も」

 凶暴なる笑みを、王弥が浮かべます。

「存分に、使い倒してくれ」

 元海様が、鷹揚おうように述べられました。

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