第10話 石世龍        

「隣をよろしいか、世龍せいりゅう殿」

いやだ、と言えば、諦めてくれるのか?」

 孤人こじんへの、并州へいしゅうの返しは、実に素気そっけなきものでしたね。

 懐かしきやり取りです。ここからは、并州。敢えて在りし日のごとく、世龍殿、とあざなにてお呼びするをお許し下さい。

 青州せいしゅう王弥おうやの潜んでいたねぐらより、并州、離石りせきへの旅路。斯の折にて世龍殿と交わしたやり取りは、今でも鮮明に思い出すが叶います。


「アンタは人相見にんそうみなのか?」

「は?」

 出し抜けの問いに、孤人は答える言葉を持ちませんでした。面目なき限りです。発すべき言葉を見出せず、いたずらに世龍殿を苛立たせてしまいましたようにも思います。

「前にも似たようなことがあった。ニヤニヤしながら、おれにすり寄ってきた奴がいた。そんなにけつ族は珍しいか」

 寄らば斬る、とばかりの険気。常の孤人ならば怯み上がり、問い掛けたるを大いに悔いたことでしょう。なれどあの折にては、不思議なことに、心地よささえ覚えていたような気がします。

「いえ。珍しいのは、あなた様の目です」

「何?」

 ここで初めて、世龍殿。あなた様の目の険が薄らいだのを感じました。

「鋭くも、雄々しい。気高き猛禽のごときを感じます」

「――莫迦ばかな」

 自ずから述べるべきではなかろうとも思いますが、孤人は不器用です。対手に応じて振る舞いを変ずるを不得手としております。それが、却って奏功そうこうしたのであろう、とは思います。一つ間違えれば、あの場にて孤人の首は転げ落ちていたのでしょうけれど。

 無尽むじん紺碧こんぺきの下、ただ馬上の我と彼とがあるのみ。世龍殿、あの折にても、あなた様は天を仰いでおられましたね。同じでした。元海げんかい様も、黙考もくこうの折には、よく見上げておられた。

「馬に乗らずば碌々ろくろく駆けるも能わず、この細腕では、ともがらも守り切れん。地べたをうこの愚物だ、烏滸おこがましいにも程がある」

「君子とは、常に己が足らざるを知り、学び続けるものです」

「ああ言えばこう言う。人相見の方が余程ましだな」

 孤人としては至極真面目に答えたつもりではあったのですが、確かに、屁理屈と取られても仕方がありませんでしたね。

「まあ、いい。ならば元達げんたつ殿、おれからもひとつ聞いて良いか」

「何なりと」

「不思議で仕方がないのだ。あの王弥おうびが、ああも易々と王への北面を受け容れたのが。王とは、いかなるお方なのか」

「孤人と王弥が惹かれてまぬお方です」

「答になっておらんぞ」

「では、言い換えましょう。孤人も捉え切れぬのです。深くもあり、広くもある。厳しくもあり、優しくもある。実に様々なお顔をお持ちです。敢えて評せば、折々の顔がいずれも時宜じぎに適っておられる、と言ったところでしょうか」

 ふむ、と顎髭をしごく世龍殿に、故もなく若かりし元海様が重なりました。

らちもないな。ここは言いくるめられておくしかなさそうだ」

 今少し世龍殿と話してはいたかったのですが、王弥に来られてしまっては、それも叶わぬ事でしたね。孤人の元を離れる世龍殿を密かに見送ると、王弥とは離石に着いた後の摺り合わせ、だん宇文うぶん部調略にまつわる展望、ぎょう洛陽らくよう攻略の見立て等を話しました。

「時に、元達。ろくは面白かろう」

 出し抜けの言葉ではありましたが、不思議と慌てることなく応ずるが叶いました。頷きます。

「あの若さで、深く見えている。と言って激情を押し殺している訳でもない。才だけではないな。場数も踏んでおろう」

「大分使い倒したしな。何度か祁弘きこうに当てもしている。勝てはせんが、死ぬこともない。どころか、気付けば戦地で子飼いを見出し、そいつらを操って手前好みの戦場をあつらえやがる。見物だぜ。一戦のごとに差配が鋭くなってくのはな」

「それで、大分手下を失ってもいるようだな」

「アイツさえ生き延びりゃいいのさ。アイツが伸びりゃ、手下どもなんざいくら死んだところでおつりが来る」

 こともなげに言い切る王弥の割り切りにはうすら寒きを覚えましたが、とは申せど、故にこそ王弥は苛烈なる戦場を生き延びて来れたのでしょう。経緯がどうであれ、生き延びた末に、騰司とうしらが捨て置けぬ力を持つに到ったのです。

「しかし、驚いたな。アイツは普段、子飼いども以外にゃろくすっぽ口もききゃしねえ。だってのに、元達。お前とは随分喋ってたな。この二十年で、いったいどんな人垂らしの術を学びやがったんだ」

「人垂らしなど……」

 敢えて申せば、孤人の訥々とつとつたる振る舞いこそが却って世龍殿をして警戒を解かしめたのでありましょう。故に孤人は、濁した先の言葉を敢えて継がずにおきました。王弥には解し得まい、と思ったのです。

「まぁいいさ。聞けば元海の息子どもと、勒は年かさも近いらしいな。そこにブチ込めば、アイツも更に伸びるだろうよ」

 呵々かか大笑たいしょうする王弥をよそに、ふと劉曜りゅうよう様の赤き瞳が浮かびました。

 それは、予感とも呼ぶべき物だったのでしょうか。


愚人ぐじん王敬則おうけいそく幽州ゆうしゅう奸賊の蟠踞ばんきょにくみ、士人糾合きゅうごうし兵をつるも、鮮卑せんぴ驃騎ひょうきの勢を留む能わず、以て漂泊ひょうはくの難を得る。しかして愚人の艱難かんなん、少なからずも漢王の覇業にせん。北辺の紐帯ちゅうたいけだ緊密きんみつならず。罅隙かんげき甚だ大ならざるといえど、漢王の威光にて徳化をなし得ん。斯くて奸賊討滅の機、必ずや漢朝に訪れん」

 どこに隠しおおせていたのやら、元海様に拝跪する王弥は髭を、髪を整え、折り目整った朝服、冠を身につけ、見事な口上を述べ上げました。いまし日の王弥を知らぬ漢人官僚らは、離石に登城した折の野盗然たる姿との隔絶かくぜつに、少なからぬ驚きを禁じ得ぬようでした――無論その有り様を眺めたいがための手立てであったのでしょうが。

「この位でいいか、元海。面倒くせえ話は無しだ。叩くぞ、騰司どもを」

 拱手きょうしゅをしながらも、その物言いは飽くまで傲岸、不遜。呼延翼こえんよく様ですらその振る舞いには苛立ち、怒りを禁じ得ぬようでありました。

「徳とは、その者が持つ志を強く保ち、貫くを意の基とする」

 口上のみにて廷臣らを大いに揺さぶる王弥を前に、やはり元海様のみが、その泰然たるを保っておられました。

「ならば、王弥。けいもまたすぐれた徳者である、と呼ぶべきなのだろう」

 元海様が、天に手を掲げられます。

「精兵らよ、時はいたれり! 社稷しゃしょくを踏みにじ兇暴きょうぼうの徒を打ち払い、天下に万年の安寧を!」

 その大喝は、会堂をひと息のもとに呑みました。

 天下を荒らす、司馬氏との戦いが。ここに始まったのです。

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