第09話 八王乱 結――漢晋争乱

 かん光復こうふくの大業は、元海げんかい様の大徳あらばこそなし得ました。なれど、これは飽くまで始まりに過ぎませんでした。その旗は、司馬しば氏を打倒せねば、ただの大仰な飾りにしかならぬのです。

 離石りせきが大いに沸いていた頃、洛陽らくようにても八王の乱、その趨勢すうせいがほぼ決しておりました。勝者は、越司えつし

 乱のさなか、司馬衷しばちゅうが死去。ここで越司は、逸早く次なる晋帝、司馬熾しばしを推戴しました。司馬熾の名の下、残存諸王を屈服せしめ、大権を手にしたのです。

 越司は、やはり傑物の類である、と評さざるを得ません。

 いまし日には倫司りんし打倒に参じこそしたものの、そこで元海様より手痛い敗績を被っております。自らの無力を実感したのでしょうか、再起にあたっての手続きは、その後の動きよりすれば、実に入念なものであったことが窺えます。

 睿司えいし揚州ようしゅうの経営を任じ、王導おうどうと供に長江ちょうこうを渡らせ。旧都・建業けんぎょうにて人士取り纏めをなさしめました。肥沃ひよく江南こうなんの地は、そん氏の手により豊穣な実りをもたらす地に発展を遂げておりました。加えて江南は、戦乱打ち続く中原より、長江の天険にて大きく隔たれております。逸早くこの地を抑えることにより、越司は潤沢なる軍資を得ました。

 騰司とうし。倫司討伐後、王浚おうしゅんに北地を固めさせ、鮮卑せんぴ烏丸うがんを従え南下、ぎょう入り。叛乱の芽は、祁弘きこうが速やかに刈り取って回ったそうです。騰司は越司の実の弟でもあります。宗族同士が互いの血で血を洗う中、心許せるともがらに要地を抑えさせたことは、越司にとり、いかほどの安寧となったことでしょう。

 また西方にては、同じく越司の弟である摸司もし長安ちょうあんに駐屯。西の端、涼州りょうしゅうを守る太守、張軌ちょうきと連携し、漢を牽制しておりました。

 以上のごとく、諸王を討伐する傍ら、中原を大いなる盤面と見立て、元海様が易々と身動きできぬよう仕立て上げたのです。

「見事なものだな」

 地図を眺め、元海様もそう洩らさずにはおれませんでした。

「いかにほころびを見出し、衝くか、ですな」

 同じく地図を眺め、宿老、呼延翼こえんよく様が仰ります。その指が幽州ゆうしゅうの南東、青州せいしゅうを示しました。

「時に、王。青州に蔓延はびこる山賊のこと、ご存知にありましょうや」

「山賊?」

「ほぼ、軍と申し上げても良いでしょう。騰司が鄴を迂闊に離れられぬほどの勢力を保ち、方々を荒らし回っているのだとか」

「なるほど。此方に引き込むことができれば心強いな」

 元海様の言葉を聞き、呼延翼様が、に、と笑みを示されました。初老に差し掛からんとする勇将とは思えぬ、いたずらじみたものでした。

「王ならば、彼の者らを引き入れるのにさほどの苦労は致しますまい」

「何故、そう思う」

「この山賊どもを率いている者の名をお伝え致しましょう。王弥おうび、と申すのですよ」

「――!」

 がた、と椅子を倒し、元海様が立ち上がられました。


「よう元達げんたつ! 相変わらずの時化しけた面だ」

「よもや、貴様の顔を再び目の当たりにせねばならんとはな」

 元海様のことです。恐らく、孤人こじんと王弥が再会すればどうなるのか、も踏まえた上で、孤人を使者にお選びになったのでしょう。無論、元海様以外で王弥が警戒せずに済む相手、と言うことでもあるのでしょうが。

 洛陽にあった頃の奔放な貴公子然とした有り様はどこへやら、まるでくしの通らぬ髪に髭、そこかしこにどす黒い染みを残す粗衣そい。極めつきは、その首飾りです。人骨をつなぎ合わせ、そこに玉をはめ込むという代物でした。

「聞いたぞ。元海に漢王を名乗らせたそうだな。随分とえげつない手を使う」

「世に王を収める器がないのだ。ならば作るしかなかろう」

「おーおー、怖ことを言ってくれる」

 徳利とっくりを掴むと、ぐいとひと飲み。更にはそのまま、こちらに投げて寄越します。孤人の後背に控える侍従らが色めき立つのが分かりました。

「構うな、大事ない」

 徳利を受け取ると、王弥に倣います。毒など入れていない、と言う、王弥なりの気遣いです。飲まぬは、ともすればかの難物を敵に回しかねません。

「――!」

 ならば、あおった酒のそのいと強きは、王弥の策であった、としか申せませんでしょう。口が、喉が、目の奥が焼けます。噴き出すわけにも参りません。孤人は堅く目を瞑り、臍下せいかに圧を込め、何とかその一口を飲みきりました。

 王弥と、その取り巻きは大笑い。後に侍従に聞いたところによると、孤人は涙もはなみずもまったく留めおけずにいたそうです。

「いや、元達! 男になったな!」

 王弥が肩を組んで参りました。幾許いくばくかのえた匂いを嗅いだ、ような気もしております。身中を暴れ回る酒精のために、碌々頭も回らぬ有様でありました。

 王弥の潜みたる屋敷、その奥の間に通され、ようやく水にありつきました。

「少しは強くならんと、女に見下されるぞ」

「それで結構」

 何とかそう返すと、頭を振りました。いつまでも呆けた頭ではおれぬのです。

「余計な前置きは要るまい。王が、けいの力をお求めだ」

「まぁ、断る理由もねえな。いいぜ」

「――何?」

 肩透かしを受けた、と言うのが正直なところです。

 王弥よりの返答は、余りにあっさりとしたもので。内心でどのように思うところがあろうとも、己の値を吊り上げることに腐心してこよう。そう予期し、手立てを揃えていたのですが。

 に、と王弥が笑います。

「その顔が見たかった」

「貴様、たばかるのも――」

「あぁ、いいいい。元海と戯れるなら兎も角、お前とやり合うのは疲れるだけだ」

 不遜にして、傲慢。とは申せど、実を求めるに愚直。たちまちのうちに、眼眸がんほうが鋭きを帯びるのです。

青州賊せいしゅうぞくだ何だいわれてるがな、正味のところ、祁弘から逃げ回ってるようなもんだ。あれは化け物だ、手が付けられん」

「貴様をして、そこまで言わしめるのか」

「言いたかないがな。だが俺とて、ただ逃げ回るのは性に合わん。見させて貰ったさ。あいつらを、つぶさにな」

 そう言うと、王弥は顎で背後に指示を飛ばしました。

 ――この折でしたね。せき并州へいしゅう、あなた様に初めてお目にかかったのは。

ろく、地図だ」

「は」

 今でも覚えております。并州の、あの佇まい。あの頃の并州は、全てを憎んでおられた。王弥にきょうじておりながら、へりくだるつもりなど微塵もない、とその気影にて語っておられた。ひと目にて、稲妻に近しきが総身を走りました。

「ん? どうした、元達」

「今の少年は?」

「あぁ、勒か。拾ったんだよ、戦場でな。聞けば騰司に捕まり、奴隷として売り飛ばされたって言う。奴を殺したい、って抜かしやがったから飼ってるが、これが思い掛けねえめっけもんでな」

 地図を持って参られた并州に対し「遅せえ」と鞭を飛ばす王弥。今にして思えば王弥なりの英才教育だったのやも知れませんが、無論、并州が王弥を許す理由にもなりますまい。

 地図を広げると、石を置いて行きます。

「この石が騰司ども。で、こいつが俺」

 と、王弥が自らを示すために置いたのは、玉。

「玉は王に使え」

「うるせぇな、そこじゃねえだろうが。いいか、さっきも言ったとおり、祁弘がいる限り、騰司を狩るのはほぼ無理だ。だが、祁弘と、その手下どもの間になら付け入る隙がある」

「鮮卑兵、烏丸兵か」

「ああ」

 次に王弥が取り出したのは、碁石でした。祁弘を示す石の周りに白の碁石を、また騰司らを示す石の北にも、同じく白を。そして、更にその北方に、黒の碁石を配します。

「黒は?」

慕容廆ぼようかいだ」

 思わず、孤人は王弥の顔を覗き込んでしまいました。

 慕容廆。鮮卑、慕容部の王。

 今でこそ慕容部は漢朝と境を接しておりますが、この頃はだん部、宇文うぶん部よりも更に北の地に跋扈しておりました。荒涼たる北地を駆け回る彼の者は、群狼と評される鮮卑らの中にあって、なお狼に近しかった、と申せましょう。

 八王の乱の争乱を嫌った漢人らの中には并州、幽州を越え、更にその北、慕容らの地にまで逃れてた者もおりました。彼の者らを得た慕容廆は、急速に力を付け、狼たるを保ちながらも、中原を噛み砕かん、と爪牙を研いでおりました。

「慕容が脅威となれば、祁弘に従う者らがいつまでも南地にかかずらってもおれぬ、と?」

 王弥が頷きます。

「加えて、祁弘はともあれ、結局のところ騰司、王浚は鮮卑烏丸らを駒としか見てねえ。ここにつけ込みゃ、打開の芽もあるだろう。が、今の俺には、それをなす口は兎も角、金がねえ」

 そして、王弥が掴むは、金塊。どっかと、離石に置くのです。

「と、言うわけだ。宜しくな、金蔓かねづるさんよ」

 王弥の、この奔放な振る舞いに。

 もはや孤人は、苦笑するより他ありませんでした。

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