第08話 八王乱 転――漢を襲う

 孤人こじんが改めて元海げんかい様の幕臣となったのは、臣下よりの単于ぜんう推戴すいたいを元海様が受諾なされた後。ただしかん朝再建は未だ為されておりませんでした。

 この点につきましては、明確に述べておくべきでしょう。孤人は、元海様の単于推戴なる功を疎んだのです。

 幾許いくばくの春秋をこそ経ましたが、孤人が陋巷ろうこう蟄居ちっきょする文弱の徒であるに変わりはありません。たとい元海様の号令の元といえど、文武百官を総べる器が孤人にあるとは到底思えませんでした。

「一番目立たぬ機を狙ったか。君らしいな」

 拝跪はいきする孤人を、元海様はわざわざ玉座から降り、お出迎え下さりました。匈奴きょうど驃騎ひょうき数万余、漢人かんじん明賢数千余を従える、堂々たる覇王の、しかし孤人は只の旧知に過ぎません。過分な待遇と恐縮しつつも、はなはだ熱きを胸に詰まらせれば、涙を禁ずるは到底なし得ぬ業でありました。

 とは申せど、旧交を温めんがために参ったわけではありません。元海様が天下に覇たるを扶翼ふよくせん、と志したのです。涙を拭うと、口許を引き締め、顔を上げ、元海様を見据えました。その深き眼差しに、かすかに惑いが生ぜられました。

 敢えて構わず、孤人は口火を切りました。

「まずは拝命はいめいの儀、誠にお疲れ様でございました。時に大業の第一歩は既に成り、天下は単于の覇業、その行く先に注視しておりましょう。らば、いまは速やかに単于の威徳いとく、その広大無辺たるを大いに示すべき、と愚考致します」

 元海様、いえ、匈奴諸部を取り囲むは、何れもが容易く斬り伏せるも叶わぬ難敵ばかり。彼の者らを蕩尽とうじんせんと志すのであれば、祝辞を述べる暇すら惜しい。故に孤人は、主の許しも得ずに面を上げ、更には不敬も顧みず、性急とも言える上奏に打って出ました。

 旧友の顔が、たちまち主の顔に切り替わりました。孤人の焦燥を、元海様は、十全にお汲み下さったのです。

しかりである。ならば、がなすべきを述べよ」

 速やかなる受容への歓喜と、ようやく愚考の試しの場を得たことと。血湧き肉躍るとは、恐らく斯様な折に用いるべきなのでありましょう。

 かねてより孤人が抱えていた、万余の詞。みだりに洩らさぬ為にも、一度口許を引き締め、拱手致します。

「なすべきは、漢朝光復こうふく

 十余年もの間、抱いていたその一言を、遂に口外致しました。

 元海様が息を呑まれたのを察します。

「――続けよ」

「単于の御意向、民庶みんしょの安寧である、と愚考致します。らば名にて実を牽引するが上策でありましょう。在りし日の漢とて、その末期まつご頽廃たいはいの極みに堕しておりました。魏晋ぎしん乱淪らんりんと較べたところで、そこに何程の差がございましょう。なれどうずたかく積み重なった春秋は、漢の名より腐臭を箕帚きそう致しました。民庶は百載ひゃくさいの覇の輝かしきをのみ見上げております。幸いにも、単于は漢室の皇統をお継ぎであらせられます。そも漢室に於いて、正嫡ならざるが極位を継げぬ理由とはなり得ません。文帝ぶんていは庶子、光武こうぶは傍流、昭烈しょうれつに至りては更にその遍方へんぽう。にも拘らず、何れもが大いなる民心を得るに至りました。先人の有徳こそが継承の証であります。なれば単于に漢の宗廟そうびょうを継げぬ理由はございません。また、単于の元には、精強なる万億の暁勇ぎょうゆうが集っております。漢の名は、この大いなる武に大義をも授けましょう。さすれば単于の威徳いとくは、晋室が招いたこの混迷を打ち払う清風となりましょう」

 幾分の早口上にはなっていたように思います。伝うべきを、余すところなく伝え切れたのでしょうか。述べ足りぬところはあったでしょうか。幾ら顧みたところで詮無き事です。なすべきことをなした。後は、主に全てを委ねるのみ。あるいは、刑場に赴く咎人とがびととは、あの折の孤人のごとき心地なのやも知れません。

 暫しの黙考、やがて、元海様が苦笑されました。

「恐ろしいな、元達。君の示す道は、転び方を間違えれば大逆ともなろう」

しかりでございます。他ならぬ、単于以外にはなし得ぬことかと」

「言うてくれる」

 元海様が壇上に戻られます。玉座に、深く腰掛けられました。

「天意とは、いかなる物であろうか。何ゆえ天下に塗炭とたんの苦しみを味わわせるのか。天ならざるこの窮身きゅうしんでは、所詮無窮無辺むきゅうむへんの、更にその果てを覗き見るは叶わぬ。ならば、この頭上に広がるを我が天となすより他なかろうが」

 元海様が、天を仰ぎます。

 覚えず孤人も、それに倣っておりました。

「――ちょくが要るな、元達」

 その、小さな呟きに。

 時を得た。

 孤人の気宇は、高まるのでした。  


 離石りせきにて匈奴諸部を従え、受禅じゅぜんの儀に臨まれる元海様。煩瑣はんさなる式辞を滞りなくこなされ、紫衣しいまとい、文武百官に南面致します。孤人の起草した竹簡を広げ、堂々たる音声を以て、詔勅しょうちょくを読み上げられました。

「昔、太祖たいそ高帝こうていはその神武を以て期に応じ、大業を開かれた。太宗たいそう文帝ぶんていは明徳を重んぜられ、漢朝の繁栄を確固たるものになさしめられた。世宗せいそう武帝ぶてい夷蛮いばんを打ち払い、漢の威徳を更に大いなるものとした。中宗ちゅうそう宣帝せんていは人士を広く募られ、宮中には顕才が多く集うに到った。祖宗そそうらの偉業は、三皇五帝さんこうごてい王、いんとう王、しゅうぶん王の業にも勝るものであった。しかるに元帝げんてい成帝せいていの世には多くの不幸があり、また哀帝あいてい平帝へいていは玉座を碌々ろくろく温めることも叶わず崩ぜられた。為に賊臣王莽おうもうによる篡逆さんぎゃくを招くこととなった。そこへ世祖せいそ光武帝こうぶていが聖武をもって漢の天を恢復かいふくなされた。顯宗けんそう明帝めいてい肅宗しゅくそう章帝しょうていは光武の覇業をけ、漢朝の示す火徳は更なる安寧を得た。なれど和帝わてい安帝あんていより後、皇綱は再び漸頹ぜんたいの憂き目に遭った。黃巾こうきんの賊は九州を嘗め尽くし、四海は乱れ、遂には董卓とうたくの暴虐を蒙り、更には曹操そうそう曹丕そうひ親子によって凶逆の変が為された。献帝けんていの無念を、しょくの地に在った烈祖れっそ昭烈帝しょうれつていが晴らさん、と立ち上がるも、皇阼こうその奪還はなし得ず、あまつさ懐帝かいていには虜囚の辱めが為されてしまった。社稷しゃしょく淪喪りんそうされてより、四十余年が経つ。ここに到り、天は漢室にもたらされた禍をあわれみ、司馬氏宗族を相争わせんとお仕向けになった。ために黎庶れいしょは塗炭の苦しみを味わうも、それを救う者はいまだ現れぬままでいた。いま、私は群公よりの推戴を受ける身となり、畏れ多くも三祖の業を継ぐ事となった。我が愚昧ぐまいを顧みれば、斯くなる大業を為さんと志すには戦惶せんこう留め切れぬ。但し漢室の味わった大恥たいちは未だそそがれてはおらず、社稷しゃしょくにも主無きままである。よって銜膽せんせん棲冰すいひょうし、群議に従い、我が業を務め上げるを、ここに宣ずるものである」


 斯くして元海様は、漢を襲われました。

 それはまた、司馬氏に対する明確な宣戦布告と呼ぶべきものでもありました。

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