第05話 短春
細君・
ここで、少し孤人のことも話しておきましょう。生まれは元海様と同じく
洛陽は、元海様のお言葉通りの場でした。あらゆる賢、あらゆる智が集まるのが都であった、と申せましょう。同じく人の腐臭も多く集まるのには
見知らぬ文字を追い、心ときめかせているだけであった孤人です。
とは申せど、いつまでも慶賀しているわけにも参りません。史書を編むとは、即ち大いなる晋朝の成り立ちをいかに万民に知らしめるかを伝える行いとも申せます。
また宮中にて書の編纂に携わっておれば、ただそれだけ、と言うわけにも参りません。後進の育成も、孤人に課せられることとなりました。
目眩もせんばかりの多忙な日々の中ではありましたが、多くの才知溢れた学徒と接する機会を得、いたく刺激を受けたものです。
中でも、際立って印象深かった人物がおりました。
三名は、特に孤人が携わっていた三國志の時代に強く興味を懐いておりました。義父上の業績を語る、またとなき機でもあります。彼らの質問に対し、しばしば孤人は熱く語ってしまったものです。
「各々方が、三国で特筆に能う、と思う人物は何方であろうか」
ふと気まぐれに、三名に尋ねたことがありました。
――この辺りで、いちど断りを入れさせて頂きます。
晋朝にあれば、司馬姓を冠する多くの貴顕について語らざるを得ません。されど彼の者らを並べて姓名にて称せば、混同の畏れを免れることは叶いますまい。そこで
「
逸早く答えたのは、越司でした。
「彼の者の貴賎を問わぬ人士の
静かで、しかし烈気を伴った声。眼鋒鋭く見据えるは、天。隙あらば孤人にも論にて躍り掛からんとするかのようです。
越司の隣、柔和な笑みにて、その鋭き論を聴き留めるが睿司でした。折に触れては小さく頷きます。そして、越司の論が区切りを見せたところで、取り決めでもあったかのごとく、言葉を継ぐのです。
「礎石の一。まさしく我等が目指すべき所。故に、
越司が不快そうに眉根を寄せます。そこへ睿司が、曖昧な笑みを向けるのです。不思議な間柄の二人でした。仲が良いような、悪いような。よく噛み合いはするようでしたが。
「睿。
「可、否の問題ではないのですよ。兄上の英賢に疑義の紛れる余地はありません。しかし、ひと一人の目には、おのずと限りがあります。ならば兄上は、某をいま一つの耳目となされば良いのです」
兄上、と呼んではおりますが、越司と睿司は兄弟ではありません。
魏室を打ち立てた
司馬炎は、
睿司の発言に得心し切ったようでもありませんでしたが、とは言え越司もそれ以上の
「王導。
促しを受け、まず王導は
越司、睿司は司馬氏一門でも特に顕名。その両名に侍ることが許されている、と言うだけでも王導がいかに重要な家門にあるかを示しております。
その王導は、
「
言葉ぶりはさておき、徒に両名に
越司が魏の創始者、睿司が呉の丞相を
「
王導の物言いに、ふと過日の元海様を思い起こし、つい孤人の顔が綻んでしまうのでした。やはり如才なき者は、居る所には居るものです。
越睿両司の言を受け、素知らぬふりをしながらも、最終的には両名を立てる形での発言となす。孤人には到底なし得ぬ即興の、言葉を用いた舞い、とでも申しましょうか。
越司は幾分苦い顔を浮かべ、睿司は、その曖昧な笑顔を崩さぬままでおりました。
司馬炎死去前の、ある穏やかな日のことにございました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます