終章【首相の弁論】In2018
首相の弁論
「初めての女性総理大臣となったお気持ちを聞かせてください」
カメラのフラッシュを浴びながら、白いスーツ姿の女性はにっこりと笑った。笑った時に見える一本の金歯がきらりと反射して光る。
――弘美スマイル。そう国民から崇められ、大多数の支持を受けた彼女は今、総理大臣としてカメラと記者の前に堂々と立っている。
息を大きく吸い込み、深々とお辞儀をした。シャッター音は鳴りやまない。
「女性――という観点で正直なところ考えておりませんでしたので、その質問にはお答えしかねます。男性だから、女性だから、または初めてだから、というカテゴリーで総理大臣に着任できるほど、その椅子は低くはありません。それは今回、身を持って知りました。ただ、今の気持ちをここでお伝えしていいのであれば、一言だけ――」
すぐには言葉を続けず、周囲をゆっくりと見渡す。
ざっと三百人くらいだろうか、と彼女――望月弘美は概算でフロアにいる人数を割り出した。三百人、という人間の目が一堂に会して私を見ている。それに快感を覚えた瞬間だった。
長い道のりだった、と望月はこれまでの人生を振り返る。
辛口コメンテーターとして、お茶の間を賑わせていた彼女は、とある番組のとある事件でのコメントで視聴者から袋叩きにあった。しかも、時を同じくして政界進出を狙っていた源田智和の地元である岐阜をけなしてしまったことで、出鼻は挫かれ、後の衆議院選挙では、落選。源田智和とは大きく水をあけられた形となった。
程なくして、彼女も政界に入ることになるのだが、その時には、もう源田智和の地位は確立されていた。結局、私は負けたのだ、とすぐに望月は悟った。別段、源田智和に強いライバル心を抱いていたわけではない。あの時、自分を失墜させた彼に一矢報いたかっただけだった。元々、コメンテーター時代、共演することが多く、テレビが勝手に煽っていただけで、彼女自身は興味を持っていなかった。
しかし、そのチャンスは唐突にやってきた。
源田智和が裏で、殺人に手を染めていることを、お抱えの記者から入手したのだ。その記者は編集長としての権限をフル活用し、望月にいろいろな情報を提供してくれる太いパイプだった。しかも、幸運なことに、その出版社の本拠地が源田智和の出身である岐阜に在籍しているということもあり、情報は濃く、そして正確だった。その情報をまとめていくうちに、彼女の心に二つの感情が芽生えた。
一つが、源田智和への強い憎悪。
もう一つが、彼女の中に隠されていた殺人への強い興味である。
望月はすぐに行動へ移した。
編集長の言葉によると、源田智和は、編集長の部下が真相へ近づいていることを知り、地元のヤクザ――大谷組の元組長、大谷政明を利用して殺害を命じたらしい。早速、望月は現地に部下と一緒に向かった。編集長から見つからない撮影ポイントを教わり、じっとりと息を潜める。人が殺される瞬間を初めて見た望月は、体を震わせながら、死体へと近づく。
袈裟懸けに斬られた死体を見て、彼女はあの時の記憶が蘇った。望月は死体の左手を掴むと、一つの決意をした。
部下に左手の切断を命じ、編集長からその死体となった人物が生前、一番親しかった部下の女性のもとへ送りつけるように指示をした。きっとその彼女なら源田智和の真相へ近づき、暴露してくれるだろう、と根拠のない確信があった。
そして、それは彼女の予想をいい意味で裏切ってくれた。
源田智和は懐刀の大谷政明によって殺された。それを知った望月は、源田智和のこれまでの悪行をすべて公にするように指示をした。おかげで世間の目は源田智和に向けられる一方で、同時に源田智和とライバル関係にあった望月にも向けられるようになった。
望月はできる限り、真摯に受け答えをして、源田智和を弾劾する役を担い、国民の支持を得ることに成功したのだ。しかもあの大谷政明も勝手に交通事故で死んでくれたのも幸いし、望月に仇なす者はもうこの世にいない。
――そして、今の地位がここにある。
先ほど、記者に述べたように、男も女も関係ない。望月の今立っている場所は、国民から支持を受けたからに他ならない。ただの結果である。虚偽はない。
望月は下唇をぺろりとなめた。そして口を開く。
「私の胸の内に秘める信条を頼りに、邁進していく所存です」
望月の一言により一層のシャッター音が響く。
無数のシャッターが降り注ぐなか、一人の記者が手を挙げた。
締めの言葉にふさわしい一言だったのに――。望月は心の中で舌打ちをした。しかし、ここで時間を理由に無視するのも印象が悪い。そう考え、手を挙げた記者にどうぞ、と告げた。
指名された記者は女性だった。ショートカットの茶髪で小柄な女。しかし、顔つきはどこか強気で、望月の心を逆撫でする。
「雑誌SCOOPの記者、鈴木と申します。総理に聞きたいことは一つだけです」
雑誌SCOOP? 私のお抱えの編集長のところではないか。
あんなオカルト雑誌の記者がなぜこんなところに――?
望月の疑問が解消する暇もなく、鈴木と名乗った女性記者は口を開いた。
シャッター音は鳴りやまない。
ただその音よりも、心臓の鼓動の方が大きいのはなぜだろうか。
望月はそんな些末なことを考えながら、今から起こる事態に目を、そして気を逸らす。
それでもシャッター音は鳴りやまない。
望月は、自分の視界が一瞬だけ歪んだ瞬間、目を閉じた――。
切り裂きジャックが潜む街 歌野裕 @XO-RVG
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