人たらしめる為の魔障

プロローグその1

 ―――約1ヶ月後、昼。バルアーノ領西部、テルム街道


 テルム川。ウィンタム領内、エウレシア王国三大湖のウィンタムレイクから、バルアーノ領を横断して、ロイストン海峡へ流れ込んでいく大河川だ。その河川沿いに伸びる、古くから交通の要として使われている街道がテルム街道である。


 その街道上をゆっくりとしたスピードで移動していく馬車。その御者台にてマテウスは、手綱を片手で扱いながら、大きな欠伸をして、それを右手をかざす事によって隠していた。


 河川以外は見渡す限り、なんの変哲もない小さな丘陵きゅうりょう。その向こうに広がる森林でも見る事が出来るのなら、少しの変化を楽しめるのだろうが、無味乾燥とした景色が続く現状では、マテウスがこうして暇を持て余してしまうのも、無理からぬ事だった。


「ねぇ? 私達も船じゃ駄目だったの? あっちの方が楽だろうし、涼しそうなんだけど」


 そう声を掛けて来たのは、同じ御者台にてマテウスの隣に腰掛けているヴィヴィアナだ。彼女は、ようやく正式に赤鳳騎士団へ支給された、プリーツスカートタイプの制服を着ている。


 ただし彼女は、胸元のリボンはとっくに解いて、長い赤毛が纏わりつかないようにポニーテールにしてくくる為に使っているし、制服は勿論、下のブラウスのボタンまでも外して、胸の谷間が見えるまではだき、暑苦しそうに片手に持つ手紙を使って、自身の胸元に風を送っている。


 マテウスと同じように膝を立てて、足を開いて座っているので、当然プリーツスカートは捲れて、彼女のしなやかな肢体に張り付いた黒いスパッツが丸見えになっているという、制服姿だというのに目のやり場に困る、だらけきったスタイルになっていた。


 まだまだ残暑が厳しい季節とはいえ、余り褒められた姿ではない。だが、あえてそれには触れようとせずに、マテウスは言葉を返す。


「あっちというのは、なんの事だ?」


「ほらっ、あれの事よ。あれ」


 彼女が顎と視線を使って指し示す先に、マテウスもその視線を運ぶことで、テルム川の向こうからボートが近づいてくる事に気付いた。ボート面積の半分は荷物を重ねて載せて、オールを漕いで穏やかな渓流に従いながら進む漕ぎ手の姿は、楽そうかは兎も角として、強い日差しに晒されるだけの御者台より、涼し気ではある。


「そうしたいのは山々だが、船上での護衛訓練なんてしてないだろう? 今回は諦めてくれ」


「ほーんと、つまんない理由……馬車だって危険な事には変わりないじゃん」


 唇を尖らしながら拗ねた声を上げるヴィヴィアナ。自身の膝に片肘を着きながら恨めしそうにボートの漕ぎ手を眺めていると、壮年の男が大きく手を振って来た。というより、馬車の横で騎乗して並走していたエステルが、先に手を振ったのに対して、振り返してくれたようだ。


「マテウス卿っ! いいな、あれっ。私も乗ってみたいぞっ」


「君もか……駄目だっ。今は諦めろっ」


 馬上で目をキラキラと輝かせながらボートを指差して、マテウスへ振り返るエステルの要求に、そげない断りを入れるマテウス。すると瞳の輝きを失って、露骨にシュンとしてしまうエステルの姿を見て、ヴィヴィアナは笑いをこらえ切れずに、クスクスと声を漏らす。


「ほらっ。皆、ボートで移動してみたいんだって」


「この進行ならヴェネットには予定通り3、4日前には到着する。時間は作るから、ボートに乗りたいのならあっちに行ってからにしてくれよ」


「それじゃ遅いから言ってんのに……はぁ~ぁ~、あっついなぁ~」


 マテウスを責めるように大きな声で主張しながら、再び手紙に視線を落として続きを読み始めるヴィヴィアナ。街中と同様に舗装の行き届いた道とはいえ、馬車の旅は少なからず揺れる。文字を読むのに、適した環境とは言い難い。


「移動中に読むのは止めておいた方が良くないか? いい加減にしとかないと、馬車でも酔うぞ?」


「大丈夫よ。そうなりそうなら、すぐに休憩いれてるし」


「だが、その手紙はもう何度も読み返しているのだろう? 読むのは別に今でなくったって、良くないか?」


「それは私の勝手でしょ? それに、何度でも読み返したくなるの。ゼヴィさんの手紙、面白いし」


 ヴィヴィアナが口にするゼヴィとは、勿論マテウスの義妹でエウレシア王国の女王ゼノヴィアの事だ。以前ヴィヴィアナがゼノヴィアに本を借りた際に、お礼と感想を書き綴った手紙をゼノヴィアに送った事が切っ掛けで、そこからマテウスを間に介した文通のような関係が今も続いているのである。


 ゼノヴィアにとっても、ヴィヴィアナの要求に応じた、自分の好きな本をお勧めとして貸し出し、それに対して新鮮な感想が毎回返って来るのが楽しいようで、それが彼女の息抜きになるのならと、伝書鳩のような扱いも甘んじて受け入れているマテウスであった。


 そしてどうやら、ゼノヴィアはそのプロフィールをマテウスと旧知の女貴族と偽っているようで、ヴィヴィアナは自身が女王と文通しているという事に気付いていない。そうやって気の置けない関係を楽しんでいるゼノヴィアに水を差すのも悪いので、当然マテウスからもその事実を伝えるつもりはなかった。


「まぁ、彼女は本の事となると口数が多くなるからな。あと、説教とか」


「本の事もあるけど、最近は半分くらいアンタの事だよ?」


「……は? なんて書いてあるんだ?」


「ちょっと、勝手に取ろうとしないでよっ。見せるとは言ってないでしょう?」


「だが、俺の事を書いてるんだろう? 良いじゃないか」


「手紙の内容は見るなって、ゼヴィさんにも言われてるんでしょう? 見せるワケないじゃんっ、変態っ」


 手紙へと伸びるマテウスの手を振り払い、腹部に隠すように両腕を回して庇いながら、ベーッと舌を伸ばすヴィヴィアナ。小生意気な仕草が、彼女と血の繋がった姉の姿をマテウスに彷彿ほうふつとさせる。


「まぁでも? どうしても知りたいって言うなら、少し教えてあげようか?」


「……例えば?」


「例えば、アンタに文字を教えた時の話とかぁ」


「……いい。やめろ」


「ゼヴィさんがダンスに困ってた時の、アンタの態度とかぁ」


「もういい。勘弁してくれ」


 ヴィヴィアナが口を開く度にマテウスの大きな体が小さくなっていき、遂に彼は片手で顔を覆いながらうつむいて、弱々しく声を上げる。よりによって、1番知られてはいけないであろう相手に、なんて内容を教えるのだ……最愛の義妹に呪いの言葉を吐きたくなる日が来ようとは、思いも寄らなかった。


「ふふっ、アンタでも昔の話は恥ずかしかったりするんだね」


「そう言われるとそうだな……今だって胸を張れるような生き方をしてる訳じゃない癖に、一端いっぱしに当時より成長した気になっているという事か。笑える話だ」


「本っ当に捻くれてるっ。姉さんやゼヴィさんの言う通りなんだから……もう少し、素直な反応出来ないの?」


「頼むから、他の奴等には話してくれるなよ?」


「まっ、それで良いって事にしといてあげる。実はゼヴィさんにも口外しないようにって言われてるし。その代わりアンタも、私達の手紙を絶対読んだりしないでよ?」


「それはいいが……君が俺の言葉を信じるのか? 盗み見る事なんて簡単に出来るんだぞ?」


「確かに私は、アンタの言葉なんてあんま信じてないけどさ。ゼヴィさんも姉さんもアンタの事を、こういう約束でも律儀に守る人って言ってるし、まぁ信じといてあげようかな」


「……そりゃ嬉しい話だ」


 マテウスはちっとも嬉しくなさそうな渋面を作りながら、それが独り言であるかのようにボソッと小さく口にするのだった。

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