エピローグその6
「……本当に付き合ってないん?」
「本当に付き合ってないよ。頼むから、ヴィヴィアナの前では口にしないでくれよ? それよりフィオナ。君の方こそ、もういいのか?」
「ふーん? せやね。まぁ、これぐらいにしといてあげるっ。お待っとーさんっ。えっと……その、ロザリア
「はい。お話……出来ましたか?」
「はいっ。来るのおそーなったから、ちょっとなごーなってん」
「来るのが遅くなったから、少し長くなってしまいました……ねっ?」
「あっ……はい。それ……ですっ」
「大丈夫。少しずついきましょう?」
マテウスの先を、手を繋ぎながら並んで歩き始める2人の様子は、実の姉妹のように微笑ましい。ここに来るまでは、憧れが強すぎて逆に近づき辛いだのなんだのと口にしながら、マテウスの周りをウロチョロしていたフィオナだったのだが、今は御覧の様子である。
(もうお役御免、といった所か)
それに対して大きな解放感と、少しだけの
その夜。彼はいつも通り、長い小言を浴びせられる覚悟で、傷だらけの姿を義妹であるゼノヴィアに見せに行った時、彼女は恐る恐るマテウスの手に触れて、痛みはないのか? と尋ねた。彼が、もう大丈夫だと答えると、両手を使ってマテウスの右手を包み、自らの胸元に寄せて抱き締め、動かなくなった。
そのまま長い時間、ジッとマテウスの手を握っていた彼女は、真剣な面持ちでゆっくりとマテウスを見上げる。
『義兄さんの事だから、いつかはこういう日が来るだろうと、ずっと覚悟していました。ですが……こうやって目の前にすると、とても辛くて、苦しくて……かける言葉がこれ以上、見つかりません』
義兄さんが怪我をしたのは、間接的には自身の
ゼノヴィアが、その胸の内を
そんな感情を抑えつけながら、瞳の端に少しの涙を溜め、声を小さく震わせながら、マテウスの右手に頬を摺り寄せるゼノヴィアの顔は、まるで我が事のように痛ましい表情を浮かべていて、それが先程のロザリアの表情とそれが重なって、マテウスは動揺したのだ。
闘いを繰り返していれば、いずれ傷つく。それは当然の代償で、それが原因に殺されたとて、文句の1つもあろう筈がない。まだこの世に命が繋がっているだけ、自身はマシな方だろう。そう考えるマテウスにとって、彼女達の心中を正確に察するのは、難しい作業であった。
(だが、まぁ……次はなるべく上手くやらんとな)
それは具体性の欠片もない誓いとも呼べない、なにか。だがマテウスにとって、なにを考えているか分からないロザリアは兎も角、大切な家族であるゼノヴィアの、あんな表情を見たくない事は確かだったので、自然と彼の内に浮かんだ、精神的に追い詰められたからこそ零れる、衝動的な想いだった。
普段のマテウスならば、こんな軽薄な言葉になんの価値もないと、一笑に付する所だ。喉元に剣を突き立てられようとも、彼がここまで追い詰められるような事はないだろう。その事実が、ゼノヴィアという存在が、最愛であると同時に、どうしても苦手意識を拭えない相手であるという事を、マテウスに再認識させる。
そうしてマテウスは、心の内で一区切り着いた事によって、その先……ゼノヴィアに会いに行った、もう1つの理由に思いを巡らせる。彼がゼノヴィアにその針を手渡した時、彼女は以前にも似たような事を頼んだ事を覚えていたようで、その
『まさか、また毒ですか?』
その、まさかだよ……マテウスはそう答える。その結果が分かるのは、以前と同じならば今日にでもといった所だが、結果を聞かずとも彼にはある程度の予想が付いていた。決闘裁判の後にジェロームを殺した吹き矢の針、その時に塗られていたモノと同じ、アオマダラグモの毒である。
以前はカナーンとの関連性で考えていた為に、忘却の彼方に追いやっていた事実を、今のマテウスは明確に思い出してた。その毒は、彼が将軍としてまだ現役だった頃に、その副官を務めていた男デニスが、毒を使用する際によく選んでいたという事を。
もし、ロザリアの命を狙った相手が、彼女の言葉通り、オイゲンに成りすましたデニスであったのなら、彼がマテウスへのメッセージとして、アオマダラグモの毒を使用した可能性は高い。だが、そうだとするなら、別の大きな疑問も残った。
何故、ロザリアは生きていたのだろうか? という疑問だ。
彼女はリネカーのように、特別に毒への耐性を持つ為の訓練をした人間ではない。それどころか、身体能力は一般平均よりも低く、か弱い部類の女性だ。(性格や性根は、この際は置いておくとして)アオマダラグモの毒に、耐えられるような肉体ではない。
そもそも、デニスがアオマダラグモの毒を好んで使用していたのは、毒性の強さと、毒の回りの速さからである。血清を手元に用意しておくなど、
そうして考えると、先程までは微笑ましかったロザリアとフィオナと楽し気に話している光景が、空恐ろしいものに見えて来て、マテウスは視線を落とすと同時に、彼女にこの内容をどう伝えるべきか迷い、深い溜め息を落とした。
「また溜め息なんか落として……疲れとるん?」
いつの間にか、マテウスに近づいて来ていたフィオナが、下から彼の顔を覗き込む。彼女が正面に立ち塞がった為に、マテウスは急に足踏みするようにして、立ち止まざるを得なかった。
「いや、考え事を少しな。それより、ロザリアと話していたんじゃないのか?」
そうしてマテウスが前を向き直ると、ロザリアも彼女の脇に立って自身を見上げている事に、彼は気付く。どうやら、2人で立ち止まってマテウスを待っていたらしい。
「どうやら、フィオナさんから話があるそうです。それを、貴方にも聞いてもらいたいと言うので……」
「俺にも、か?」
どちらか片方ならまだしも、両方に対して、となると、マテウスはその話の内容が想像出来ずに、左手で顎を撫でながら、少しだけ首を傾げる仕草を見せた。
「それで? なんの話だ?」
マテウスとロザリア、2人の視線を同時に浴びて、フィオナは緊張した面持ちで喉を鳴らして、唾液を飲み込む。ミニスカートの裾の両端をそれぞれの手で掴み、モジモジと動かす様から、真剣に迷い、どう切り出そうか戸惑っている事が
それに対してマテウスが催促する為の声を掛けようとするが、ロザリアによって制される。彼女は口許で人差し指を立てて、マテウスに静かに待つように望んだ。少し納得がいかないものの、フィオナの真剣な想いは伝わって来たので、彼は大人しく黙って待つ事にする。
そして、遂にフィオナの重い口が開かれたのだが……
「あのな、そのな? 2人はさ。ウチがっ……ウチが、動物の言葉が分かるって言うたら、信じてくれる?」
その突拍子もない発言に、今度はマテウスとロザリアの2人が、どう反応していいのか分からずに、顔を見合わせて押し黙ってしまうのだった。
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