プロローグその2
「あそこの茂み、いるね」
「茂みって……どの茂みの事を言ってるんだ?」
「もうっ、しっかりしてよね。ほらっ、私が指差している所。もっとよく見て?」
自身が伝えたい事が相手に伝わらない事がもどかしく、苛々を隠せずに口調が荒くなってしまうヴィヴィアナ。限界に達した彼女は、グッとマテウスに身体を密着させて、視線を合わせる為にマテウスの顔に顔を寄せながら、もう1度真っ直ぐに腕と指を伸ばして、目標の茂みを指し示す。
「ほら。私の指先に見えるでしょ?」
「あぁ、確かになにかいるな。本当に
「ここら辺を縄張りにしてるっていうと、ステップハウンドだと思うけど……あっ、見えた。やっぱりステップハウンドじゃん」
ステップハウンド。狐をそのまま大型にしたような姿形をした、
勿論、違う点も多いのだが、その
その為、毛色は身を潜めやすい土気色で、身体の至る所に土が乗ったままだったりするので、多くが薄汚れた汚い毛並みをしていた。
「面倒な相手だな。こちらに気付いている奴はいるのか?」
「アイツは気付いてなさそうだね。それに、あそこの茂みとあそこにも……それと、あっちね」
「以前は、ステップハウンドを一頭見つけたら引き返せと言われていたが、随分疎らな群れで動くようになったんだな。それにしても……どんな生活をしていたら、そんな視力になるんだ?」
次々とヴィヴィアナが指差す先を双眼鏡で確認していくマテウスだが、指先で指摘されてようやく小さい点が動いている程度にしか分からず、ステップハウンドの動向まで確認出来ているヴィヴィアナの視力に驚きを隠せないでいた。
「どんなって……まぁ小さい頃から狩りとか好きだったし、
普段より饒舌な様子のヴィヴィアナ。密着しているので、耳元で聞こえる彼女の声が、少し弾んでいるように聞こえるのも、マテウスの聞き間違いではないだろう。
戦闘関連の技術や経験において、一切マテウスを上回る事が出来なかった彼女が、この場に限り明らかな優位に立てて、得意気になってしまうのを抑えられないようだ。
「全部で6頭か。その程度なら問題はなさそうだな」
このようなステップハウンドの激減は、インフラ政策の1つである異形狩りが功を奏した結果である。マテウスが口にしたように、以前のステップハウンドの群れは最低でも20から、大規模な群れになると40を越える事も多く、互いに連携を取り合って襲撃してくる為、行商や旅行者の被害が後を絶たなかったのだ。
大した脅威にならない事を確認したマテウスは、再び馬車を走らせようとするが、ヴィヴィアナが身を乗り出すようにしながら、マテウスの腕を掴んでそれを制する。
「ちょっと待ってってば。ほらっ、風向き確認してよ」
大きく困惑した表情を浮かべながら、ヴィヴィアナの言葉に従うマテウス。
「追い風だが、それがどうした?」
「このまま進むと、絶対あの先のステップハウンドに見つかるじゃん?」
「確かにそうだが、相手は6体なんだろう? 奴等は確実に狩れそうな相手しか選ばないと聞くし、例え襲われたとしても、問題ないと思うが」
「でも、襲われないに越した事はないと思うんだよね。奴等は昼行性だし、ほっとけば勝手に土に潜って寝ちゃうからさ……どうせなら、今日はここで休んで、明日の朝早くから移動を開始すれば、襲われる可能性は低いでしょ? どう?」
ヴィヴィアナの発言は、嗅覚を頼りに狩りをするステップハウンドの生態を、よく理解した提案だった。確かに、彼女の言葉通りに動けば、戦闘になる可能性は少ない。戦闘になれば万が一があるし、急ぐ旅でもないのなら、
「言い分は
「さぁ、どうかな? 私はそんな事1つも口にしてないけど?」
マテウスから視線を反らして、惚けた顔をして明後日の方向を見上げるヴィヴィアナ。マテウスは額に手を当てながら、ここまでに稼いだ距離や時間と、ここからの旅路に掛かる時間など、あらゆる状況を天秤に掛けて冷静に計算し、再び手綱を握る。
「分かったよ。少し早いがそこの河岸でキャンプを張ろう。天候も崩れる様子がないし大丈夫だろう」
「ふふっ、そう来なくっちゃ、オジサン。結構話せるじゃんっ」
そう口にしながら、今の日差しと変わらぬ程に眩しい笑顔を浮かべて、マテウスの腕をパシパシと叩き付けるヴィヴィアナ。彼はそれを止めさせて、少し離れるようにと伝えようとした時、背後で大きな音が聞こえて、2人は同時に振り返る。
そこには、食事中の
「2人がうるさくて集中出来ないっ。それに、くっつきすぎっ!」
「はぁ?」
アイリーンの指摘を受けて、ヴィヴィアナはようやくマテウスとの距離感に気付く。ステップハウンドを探す時から変わらずの体勢で話続けていた為、身体は触れぬ部分がない程に密着しているし、まるで恋人であるかのように、互いの吐息が届く程に顔を寄せて話していたのである。
「はっ? ちょっとっ、なにっ? オジサン、近いっ!」
ヴィヴィアナは慌ててマテウスを両手で押し退けると、御者台の端まで移動して、赤くなった顔を隠すように2人から視線を反らす。
「勝手に近づかないでよ、変態っ」
「いや、近づいて来たのは君の方からで……」
「はぁ? 私から近づく訳ないじゃん。ていうか、オジサンがステップハウンドが見つけられないから……あっ、そうか。そうやって見つけられない振りして、私を騙したんでしょ? 本当、男って最低よねっ」
「そんな訳ないだろう。それより、顔が赤いぞ? まさか、日差しにやられたのか? 水分補給はしていたよな?」
「ちょっと、今また触ろうとしたっ! ほら、オジサンの方から近づいて来てるしっ! ていうか、今はヤバいから、触らないでよっ」
「ヤバいって……本当に危ないなのなら、一刻も早く対処をしないと駄目だろう? 君に倒れられたりでもしたら、涼みたいという君の言葉を無視した俺の責任になるし、留守を任せたロザリアにも顔向け出来ない」
「なんでそこで姉さんの名前が出てくるのよっ! アンタと姉さんは関係ないでしょっ!?」
アイリーンの存在を忘れたように、楽しそうに会話を弾ませる(アイリーンにはそう映った)2人に対して、再び自分の存在を思い出して欲しくて、両腕を使って壁をバンバンと何度も叩き付けるアイリーン。2人の会話が止まると同時に訪れた静寂の中、彼女は静かに宣言する。
「……私もそっちに行く」
「はっ?」「なに言ってんの?」
「私もそっちに行くーっ!」
アイリーンは、彼女の肩幅程度の広さの小窓に顔から突っ込むと、モジモジと身体を左右に揺らしながら客室から御者台へ移動を開始する。
「ちょっと、危ないからやめなさいよっ」「アイリ、止めておけっ。馬鹿っ……」
2人の静止を聞かずに、何度も体を揺らしながら前進を続けるアイリーン。しかし、両肩を抜けた辺りでその動きがピタッと静止する。
「「「あっ……」」」
少し考えれば、誰にでも分かる事だ。肩幅程度の広さでは、アイリーンの豊満な胸部が
「抜けなくなっちゃった」
ヴィヴィアナとマテウスは、同じように顔を片手で覆いながら天を仰ぎ、アイリーンは少し泣きそうな顔で2人を見上げる。彼女がそれでもと、ジタバタと両足を振って身動きを取ろうとする
「流石アイリ様。見事な壁尻です」
なにを想ってか、無表情に大きな首肯を繰り返すのだった。
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