黒蜘蛛草紙その3

 ―――数分前、理力付与技術エンチャントテクノロジー研究所アンバルシア支部、4階会議室


「ちょっ……」「うわぁ~。痛そ~」


 マテウスの拳と一喝いっかつに、言い争いをしていたレスリーとアイリーンは、並んで頭を両手で抑えながらうずくまり、その光景を見てヴィヴィアナとフィオナが、まるで自身が殴られたかのように、顔をしかめながら声を上げた。


「喧嘩をするなとは言わないが、もう少し時と場所を選ぶぐらいはしろ。それとも、それが出来ない程に君達は子供だったのか?」


 マテウスにも、ヴィヴィアナとフィオナの声は届いていたが、彼はあえてそれを無視して話を進めていく。殴られた頭の痛みで反論できないレスリーとアイリーンの2人に対して、彼にしては珍しく声を少し荒げながらだ。


「時間が惜しい。手短に話すから、聞いてくれ」


 蹲る2人と同じ視線になる為に、マテウスも膝を落としてレスリーとアイリーンの顔を見比べる。ようやく殴られた箇所の痛みが引いた2人は、目端に涙を浮かべた瞳でマテウスを見詰め返した。


「まず、あの騎士鎧ナイトオブハートを倒さずにここから抜け出す選択肢はない。俺達が抜け出そうとすれば、奴は必ず俺達を追って来る。そうなれば俺達は、君達やナンシーさん、ロザリアを守りながら戦う羽目になるよな? 上手くいけば抜け出せるかもしれないが、それは誰かが犠牲になった上での事だろう。それは皆、本意ではない筈だ。違うか?」


「でも……だからって騎士鎧に正面から挑むなんて……アゥッ!」「レ、レスリーはマテウス様が無事、なら……それで……ヒゥッ!」


 そんな返答をする2人に対して、マテウスはもう1度ずつ拳を振り下ろした。今度は少しばかり加減して。


「少なくとも、パメラは同じ判断を下した。治療中の君を巻き込まない為だというのは勿論、彼女はあのまま倒すつもりで、騎士鎧に正面から挑んでいる。俺もそれが皆が無事で帰る為の最善だと判断したから彼女を見送ったし、サポートをエステルに頼んだ。だが、それでも彼女達2人だけでは荷が重いと思っている。だから俺はすぐにでも2人を助けに行きたいんだ。君達が、その足を引っ張ってくれるなよ」


「でも、マテウスは今、怪我をしてるじゃない。私の所為で……だから、私は……」「レスリーも……こ、これ以上マテウス様が、け、怪我をする所を見たくありません」


 マテウスがもう1度拳を上げた時、2人は同時に瞳を閉じながら頭をかばう動作をする。だが、落とされたのは小さな溜め息だけで、一向に痛みは襲い掛かって来なかった。恐る恐る瞳を開き直した2人が見たのは、困ったような苦笑いを浮かべて後頭部を掻くマテウスだ。


「余りあなどってくれるな。普段は結構買い被ってくれてるじゃないか。今こそ信じて貰いたいんだがな。君が選んだ騎士は……君が選んだ教官は、あの程度の騎士鎧にやられる程、ヤワだと思っているのか?」


 言葉を詰まらせてる2人に代わって、マテウスが先に口を開く。


「任せておけよ。勝算はある。だから、先に2人を行かせたんだ。コイツなんかなくったって、騎士鎧の1体ぐらい、ワケないさ」


 アイリーンと争う際に、レスリーが落とした儀剣ぎけんをアイリーンに手渡して、彼女の両手に握らせた。代わりに、黒閃槍シュバルディウスを拾い上げて立ち上がる。


「最後に1つ。この怪我は別に君の所為じゃない、アイリ。だから、本当に気にするな」


「でも……」


「ハハッ、今日はデモデモばかりだな。だったら聞くが、君が足を怪我したのはナンシーさんの所為なのか? 今も彼女を恨んでいるのか?」


「そんな事は……あっ……」


 マテウスの言わんとする事に気付いて、アイリーンはハッと顔を上げる。


「そういう事だ。あの瞬間に、恨んで欲しいとか、恩に着せたいだなんて考えてて、体が動くワケないだろう? 気付いたら勝手に体が動いていたんだ。その結果で指を失ったのは、俺自身の過失。むしろ指1本失うだけで、君を守れたのなら幸運だったといえる。だからこの事で、これ以上自分を責めるのはやめろ。いつまでも君が落ち込んでいるのを見るのは……その……具合が悪い」


 最後に適切な言葉を選べた自信がなかったマテウスは、アイリーンから視線を外してレスリーへと運ぶ。顔をうつむかせたままの彼女の表情は推し量れなかったが、納得していないような雰囲気は感じ取れた。


 だから彼は、彼女の頭を上から鷲掴みして、グシャグシャと撫でつけてやる。


「分かったのかっ? レスリー。これ以上っ、俺の過失をっ、勝手に主人である王女殿下にっ、押し付けてくれるなよっ?」


「あうぅ~……わ、分かりましたっ。分かりましたので、その……そのっ!」


 レスリーの頭から手を離して、もう1度2人を眺める。まだなにか口にしたかったが、これ以上は反論出来ない。今はもう、マテウスを見送るしかない。それが理解出来ているのか……2人はまるで、両親が働きに行くのを見送る子供のような顔であった。


「まだ話し足りないが……続きは皆が無事に帰ってからだ。それと、強く殴って悪かったな。痛かっただろう?」


「そう思ってるんなら、もっと優しくしてって言ってるのに……もうっ」「そ、そんな事は、その……マテウス様にでしたら、レスリーはどんな罰でも……」


「まぁ俺の右手は、痛くもかゆくもなかったんだがな?」


 挑発するように舌を見せながら、ヒラヒラと自慢げに小指を失った右手を泳がせるマテウス。その顔に、アイリーンは勿論の事、レスリーまでもムッと顔を歪める。


「よく分かったわっ。時間がないんだったら、はやく行っちゃいなさいよっ! そのっ……私はもう、大丈夫だから。その代わり、無事に帰って来て。約束、だからねっ?」「あのっ、そのっ、ご武運を!」


「任せておけ。フィオナ、ヴィヴィアナ。また着物の女が現れるかもしれない。ここは任せたぞ」


「……分かってるわよ。アンタこそ、負けたりしないでよねっ」「はいなっ。マテウスはん……マテウスさんも、気をつけてーなっ!」


 槍を掲げ、それぞれの激励を背中で受け止めながら室外へと出ると、半壊した廊下から中庭を見下ろすマテウス。ちょうど時計塔の壁を突き破って、中から<パーシヴァル>が姿を現した所だった。


 その光景を見詰めながら、黒閃槍を握る右手に力を込める。ズキッと走る強い痛み。別にマテウスは彼が言葉にする通り、痛覚が鈍い訳ではない。ただただ、痛みに慣れ、我慢強くなっているだけだ。


 更に、小指がない影響からだろう。何度も振るってきた筈の黒閃槍が、まるで新しい試作品を握らされているような違和感さえ覚えていた。


 当然マテウスとて、こんな状態な上に生身で騎士鎧と戦う事に、不安を覚えないワケではなかった。この地で敗北し、屍を晒す事も十分にあり得るだろう。互いの事情などお構なしに、非情な現実を突きつける。戦場とはそういう場所だ。


 だからこそ、彼は普段通りに落ち着いていた。彼にとっては、慣れた戦場へ戻ってきただけなのだから。ただ1つ、違う事があるとすれば……


(あれだけの啖呵たんかを切っといて、アイツ等を裏切るワケにはいかんよな)


 そういう気負いはあった。だがそれは心地よい……そういうたぐいのモノだ。


『好意を寄せている人になにも期待されないのは、辛い事だと思いませんか?』


 マテウスは、ここに来てロザリアとの会話を思い出す。あぁ……そういう事か。帰ったら伝えるべき事が増えたな……そう心の中で呟きながら、助走をつけて<パーシヴァル>の頭上に向けて飛び降りていった。

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