幼き蹉跌その1
「では、その暁の血盟団の目的というのは……」
「表向きの目的は収容所で異端審問を待つ同志と、ニュートン博士の解放だ。だが、今になっても君にその声明が届いてない以上、あのオイゲンに成り代わった男が、この研究所でなにかをする為の時間稼ぎに使われているだけなのだろうな」
「本当に。本当に、どうしてこんな事を。こんな事に意味がない事ぐらい少し考えれば……」
「そうだな」
会議室へと戻ったマテウスは、女王特権を使用して女王ゼノヴィアへの報告をしていた。マテウスの報告を聞いて、まるで我が事のように失意の感情を露わにするロザリアに対して、マテウスは他人事のように軽く
ゼノヴィアの失意の理由は、マテウスにも勿論伝わっている。異端審問で捕まった者達をなんとか解放しようと彼女自身が動いていた矢先に、それをぶち壊すような今回の騒動では、声を失ってしまうのも無理はない。
だが、マテウスにとってそれは文字通り他人事だ。マテウスとて、彼等が普通の営みを続けていた普通の人間であった事ぐらいは分かっている。だが普通だからこそ、その場の空気に流されやすく、精神が弱れば心が揺れやすい。
ただ、赤の他人が道を踏み外しただけの話に、自身の義妹が心を痛めている姿を見るのは、やはり気分のいいものではなく、仏頂面のまま先を続ける。
「……だが、君が気に病む必要なないさ。それに、急かすようで悪いが、余り時間がない。救援がどうなっているかを教えてくれるか?」
「既に治安局の重犯罪処理班が対応しています。ただ、突入に踏み切る事は難しそうです」
「どうしてだ? 人質の件は確かにあるが、此方と連携すれば比較的速やかに対処は可能な筈だろう?」
「その、それが……クレシオン教団異端審問局に、今回の件が漏れてしまったようで、突入は彼等が主導して行う事になりそうなんです」
「オイオイ、それは……冗談キツイぜ」
襲撃者達の構成。今回のような
「恐らくですが、オーウェン公が教会に
「オーウェン公? 一体、どうして彼の名が?」
「実は、話の成り行きで、私が彼に義兄……マテウス卿が内部に潜入している事を漏らしてしまって……今、思い返せば軽率な発言でした」
オーウェン公とマテウスとの
その過去を踏まえれば、今回の件をオーウェン公に知られる事が、マテウスのメリットにならない事は、ゼノヴィアの言葉通り予想の範囲であるといえた。
「いや……例えそうだとしても、正確にこうなる事までは予想できなかっただろう。それ以上気にするな。それよりも、ここへの突入は何時ぐらいになりそうかは分かるか?」
「正確な時間まではハッキリと言えませんが……」
「
「夕刻……いえ、日が落ちてからになるでしょう」
「そうか……」
まだ太陽は中天から少しだけ降りた所。神威執行官達の突入を待っていては、人質の安否は勿論、襲撃者達から消耗戦を持ちかけられた場合、マテウス達にも犠牲者が出る可能性が高くなるだろう。
マテウスは、余力がある内に動くべきかどうか決断を迫られる中で、異端審問局への
(まさかオーウェン公と暁の血盟団達の教官とに繋がりが? そう解釈すれば、奴等が王宮への地下通路の情報を得ていたのにも説明が……いや、それでは自らの手勢である白狼騎士団の女騎士に、犠牲者を出した理由が分からないし、あくまでオーウェン公が関係していると語ったのはゼノヴィアの予想だ。余り早計になるのは良くないな)
マテウスが1人で考え込んでいる間、ゼノヴィアは黙ってマテウスの次の言葉を待っていた。ゼノヴィアには、なにも言わずとも彼が情報を整理しているのが伝わっているので、それの邪魔にならぬようにの配慮であった。だから、次に言葉を発したのも、マテウスからだった。
「分かった。後は此方でなんとかする。またなにかあれば報告するが……」
「此方で管理している、
「そうか? 普段通りだと思うが……」
「はぐらかさないでください」
「ハハッ。まぁ君に隠し事をしても仕方がないが……今は都合が悪い。また直接会った時には必ず伝えるよ。では、通信切るぞ」
マテウスは一方的にそう言い終えると女王特権を閉じる。その際に女王特権を握る自分の右手を見た。包帯で応急処置された右手には、ある筈の位置にある筈の物がなかった。
小指が根元からそっくりそのまま消えているのである。痛々しく赤く
そして会議室内を振り返って皆の様子を確認する。外へ出る為の扉の前では、パメラとエステルが2人で外の様子を伺っていた。襲撃者達がこの会議室内に突入してくるような事がないとは限らないので、2人にマテウスが頼んだのだが、外は先程までの戦闘が嘘のように異様な静けさを保っていた。
ヴィヴィアナは未だに体調が悪そうなロザリアの側から、離れようとしない。マテウスがヴィヴィアナにそれまでの事情を説明した時、彼女は自身の背中の傷の事は一切忘れて、マテウスを視線で殺さんばかりに睨み付けて、どう怒りを開放するべきかを探っているようだったが(マテウスが指を失っているのを見ているので、普段のように強く出れない)、ロザリアが直接彼女を
「あの、その……用件は終わりましたか?」
「ん? あぁ、終わった」
そうして周囲を見渡しているマテウスの影から、コソコソと近づいてきたのはレスリーだ。マテウスが女王特権を使う為に会議室の隅に移動して、人払いをしていた為に、近づくタイミングをずっと伺っていたのだろうレスリーは、許しの言葉を貰うとすぐにマテウスの右手の様子を確認する。
「あ、あの……包帯を変えますか? ち、血が止まってないですし……その、止血の為になにかを……」
「なにかをっつってもな……たちまちこの場で出来る応急処置は済ませただろう? それに、包帯はまた怪我をした者が出た時の為に、予備として残しておいた方がいい。まだ俺達の安全が保障された訳ではないんだからな」
マテウスはレスリーの申し出に対して、そう断りを入れた。そうしてマテウスが視線を送るのは、彼がいた場所とは対極にあたる、会議室の片隅。膝を抱えて、顔を自らの足に押し当てて押し黙っているアイリーンへ向けてだった。
すすり泣くような声は聞こえなくなったものの、気づかわし気に両隣りに腰掛ける、フィオナの声にもナンシーの声にも無反応。彼女自身の罪悪感に圧し潰されてしまいそうなアイリーンを見て、マテウスはさてどう声を掛けたものかと考えながら、彼女へと歩み寄っていった。
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