悔恨は重く深くその3

「マテウス卿っ!? やはり無事だったかっ!」


 ツバキの背後へ向けて、真っすぐ距離を詰めるマテウスの存在に最初に気付いたのは、エステルであった。しかし、彼女が声を上げて反応してしまったが為に、マテウスが仕掛けたツバキへの奇襲は水泡に帰してしまう。


 マテウスの存在に気付いてからの、ツバキ達の反応は早かった。粘りながらなんとか反撃の機会を伺っていた動きから一転、すぐさま戦いを切り上げて退却する為の動きへと変化させたのだ。


 エステルと対峙していたツバキは、エステルの視線がマテウスへと奪われている隙に乗じて、マテウスに振り向きもせずにエステルの脇を抜けて移動、そのまま加速してパメラと闘いを続ける、儀剣を手にした2刀流のツバキと合流すると、彼女がパメラを斬りつけるタイミングを合わせて、背後から蹴りを見舞う。


 しかし、背後からの奇襲ですら、パメラの鉄面皮を崩す事は出来なかった。右腕1本で2刀による連撃を弾きながら、背後からの蹴り足を、逆に破壊せんとする威力の裏拳を左手で放つ。ツバキの右足甲とパメラの裏拳がぶつかるが、表情を歪めたのは先程までエステルと対峙していた、無刀のツバキの方であった。


 パメラを挟んで瞬間的に数的有利の状況を作りながらも、それに固執こしゅうする事なく無刀のツバキは、右足の痛みを堪えながら、すぐにパメラから離れる。その移動先には、自らの分身が落とした短刀があった。その短刀を拾い上げて、すぐに反転してパメラの姿を確認しようとしたツバキの視界に、銀の閃きが映る。


 反射的に身を伏せたツバキの残像を、死出の銀糸オディオスレッドが引き裂き、石造りの壁に爪痕のような深い傷が、何筋にも残った。間一髪で命を繋いだツバキであったが、パメラの標的は完全に儀剣を持つツバキから、短刀を拾い上げたツバキへと移っているようだ。触れる者の命を刈り取る銀糸が、続けざまに振るわれる。


「パメラ殿っ。私も加勢を……っ!?」


「馬鹿っ。止めておけっ」


 パメラとツバキの戦いに、不用意に近づこうとするエステルの肩をマテウスが止める。次の瞬間、エステルの一歩先をパメラの銀糸が空を切り、足元に深い傷痕が発生する。マテウスが止めるのが一瞬でも遅れていれば、エステルが銀糸の犠牲になっていただろう。


「加勢するのはいいが、パメラが装具を振り回している時は、気を付けろ。巻き込まれるぞ」


「……うむ。しかし、これでは……」


「まぁ、今回は任せていて問題はないだろう」


 パメラが死出の銀糸オディオスレッドを振り回している最中は、彼女を中心とした嵐のようで、少しでも気を抜いた動きをしようものなら、敵味方問わずに肉片へと変貌を遂げる事になる。このように屋内戦にも、護衛にも向いていない装具ではあるが、殺人だけを信条とするリネカーらしいといえばらしい。


 マテウスの言葉通り、パメラが巻き起こす嵐を避けるだけで精一杯のツバキには、反撃の機会すら許されず、そのまま戦いは終わりを告げると思われたが、儀剣を持った2刀流のツバキが、パメラの背後から嵐を掻い潜りながら近づき、パメラの背中に向けて儀剣を投げつけた。


 これに対してパメラは、後ろ蹴りで儀剣を弾き飛ばすが、銀糸の嵐が一瞬緩んだ隙に、短刀を拾った着物少女はなんの躊躇ためらいも感じさせない最短距離で、エステルが作った廊下の大穴から3階へと飛び降りて逃走した。


「次、てめーとヤる時があったら、どんな手を使ってでも……っ!?」


 パメラはこの言葉を聞き終える前に、銀糸を真っすぐ飛ばして着物少女を捉えようとするが、着物少女は身を屈めながらサイドステップでこれを回避し、彼女も分身の後を追うようにそのまま廊下の大穴から3階へと飛び降りる。


「絶対にぶっ殺してやっからなぁっ!」


 先程言い終える事の出来なかった台詞を最後の言葉に、着物少女は姿を消した。パメラとしてはその後を地の果てまで追い続けて、リネカーとしての役目を果たしたかったが、今の状況下でアイリーンから離れる事との危険性を天秤に掛けて、後者の方を重視して黙って見送る事にした。


「パメラ殿、流石であるな。私も加勢したかったのだが、力至らず申し訳ない」


「……いえ。お気になさらず」


 息一つ乱していないパメラは、駆け寄ってきたエステルに見向きもせずに詰まらなそうに答えを返す。視線が3階に向けられている所を見るに、未だに着物少女が反撃してくる可能性を考慮しているようだ。


 そのやり取りを傍で眺めていたマテウスからすれば、エステルが不満を覚えないかと気になったが、当のエステル本人はなにも気にした風もなく、パメラと同様に3階を覗き込んで、着物少女の姿が本当に消えたのかどうかを確認していた。


 ひとまずこれで皆、無事だった……そんな弛緩しかんした空気が流れ始める中、周囲を見渡していたマテウスの視線の先に、アイリーンが映った。床に空いた大穴の対岸で、高潔な薔薇ローゼンウォールを展開していた筈の彼女が、崩れ落ちそうな廊下を壁伝いにこちらに向かって移動していたのだ。


 マテウスはその行為に対して、声を上げて止めたかったが、そうする事によって立ち止まってしまい、むしろ危険ではないかという思いに至り、口を閉じた。一方アイリーンは能天気にも、自分の為に戦ってくれたパメラに対してねぎらいを伝えたくて。


 そして廊下に打ち捨てられたマテウスの儀剣を拾って、マテウスに謝る切っ掛けになればと考えていて、壁に背を預けながらの横歩きで、歩を早める。そんな彼女の背後から、ハッとなにかを思い出したヴィヴィアナが血相を変えた顔で声を上げる。


「アイリッ。この階はまだ狙撃で狙われているんだから、壁を解いちゃ駄目っ」


 パメラがヴィヴィアナの声の内容に気付き、アイリーンの姿を見ようと顔を上げた時には、既に彼女の視界をマテウスの背中が覆っていた。ヴィヴィアナの声に反応してからでは、とても間に合わないタイミング。


 彼はこれまでの経験から来る、不快な胸騒ぎに促されて一歩目を踏み出し、その直後に浴びせられる鋭い殺気に、確信をもってアイリーンに向かって駆け出していたのだ。


 アイリーンが廊下の崩れ落ちそうな部分を無事に渡り切り、その亀裂に靴を取られてつんのめりながら、そのまますぐ傍に落ちている儀剣を拾おうと屈んだと同時に、マテウスが右手を伸ばしてアイリーンを押し潰すようにしてうつ伏せにさせる。


 それと同時に先程までアイリーンがいた場所を、風の弾丸が通り過ぎた。それは、壁にその弾痕が出来なければ、本当に狙撃されたのかも分からない程の静けさでありながら、石造りの壁を貫く程の確かな殺傷能力を有していた。


 マテウスは右手に走った痛みを堪えながら、身を屈めたままアイリーンを守るように狙撃された方向に背中を向けて、彼女の上半身を起こしてその身体を確認する。


「おい、無事か? 怪我はないか?」


「私は……大丈夫。でもっ……マテウス、貴方ッ……」


「エステルッ。壁を頼むっ! ヴィヴィアナとフィオナもこっちに渡って来るんだっ。一旦、室内に身を隠すぞっ!」


「任されたっ!」「わ、分かったわよっ」「ほいっ!」


 マテウスの鬼気迫る指示に、普段は指示される事を嫌うヴィヴィアナまでも素直に応じる。ヴィヴィアナとフィオナの2人は大穴を協力して渡り終えて、既にエステルが広げていた理力の壁の背後に着地すると、そのまま室内へと移動する。


 それを確認するとマテウスは、腰を抜かしたかのようにペタンと座り込み、儀剣を両手で握りしめたまま青ざめた顔をして一点を見守るアイリーンと、そのすぐ横で身を屈めるパメラを見比べる。


「2人も先に中に入っていてくれ。俺はエステルと2人で、ナンシーさんとロザリアを迎えに行く」


「……分かりました」


「嫌っ。パメラッ、待って。待ってったらっ! マテウスッ……私、貴方に謝らないと……」


「気にするな。話は後だ」


 それでもアイリーンはマテウスにすがりつこうと手を伸ばすが、パメラの力づくを前にしてはなす術もなく、室内へと押し込まれてしまう。アイリーンは暫くの間、扉の前に立ち塞がるパメラに逆らって廊下に出ようと暴れていたが、急に糸の切れた人形のように崩れ落ちて、床に四つん這いになってしまう。


「アイリちゃん? 大丈……えっ? それ、血が出てるんちゃうの? どっか怪我したん?」


 その様子を見ていたフィオナが背後から気づかわし気に声を掛けた。フィオナの指摘通り、アイリーンの制服の肩から横腹に掛けて、まだ乾ききってない血痕がみ込んでいる。アイリーンの青ざめた顔を含めて、フィオナが怪我を疑うのも無理はなかった。


「違うの。これは私じゃなくてっ……私じゃなくて、マテウスがっ……」


 震えた声で、今にも零れ落ちそうな程に瞳一杯に涙を溜めながら、彼女にとって恐ろしい現実を口にする。


「私の所為でっ……私の所為で、マテウスの指がなくなっちゃった」

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